大学が大学として変わるために

2018年6月29日

【ちばてつやMANGイノベーション研究所】を大学で、ちばてつや教授と立ち上げたのが、2016年6月。
ちょうど2年が過ぎて行こうとしている。

この2年間、あらゆる世界が大きく変わっていっている。
たった2年前のことなのだが、たとえば取材を受けたとき、「ioT」と言っても記者たちは「?」だったし、シンギュラリティと言われている、カーツワイルの、「テクノロジーの進化のスピードが∞になる」といった話しなど、説明しても「そんな時代が30年後に来るわけがない」と、まず信じてももらえなかった。

それがたった2年で、だれもがioTは利用しているし、シンギュラリティについても普通に議論できるようになっている。

そう、この2年間でだれもがエクスポネンシャルを実感としてリアルに感じているのだ。

だが、大学に目を向けると、本来、研究機関として時代の最前線であるべき大学が、旧時代のシステムの中で存在している。

学生の手の中にはスマートフォンという、「知る」ことのできるテクノロジーがあるというのに、検索で出る程度の講義を大学で行っている。
技術だってYouTubeで一流の技術を見て知ることができるというのに、それでいいのだろうか。

だいたいここは大学である。
小学校・中学校・高校までのように、答えを出す場所ではない。
大学とは、答えを求めて考える場所のはずだ。

だから先生は教授と呼ばれ、学生は生徒ではなく、学生と呼ばれている。
そもそも、「研究」という意識を持って大学へ来ている教授、学生はどれだけいるのだろうか。美大の場合だと、技術を教えてもらうだけなら、先生も学生も専門学校で教え、学べばいい。

この数年、大学を変えるためにそうとう動いてきている。
この場所(ブログ)で伝えているだけでも、言ったことはひとつひとつ研究の先で「形」にしてきている。
当たり前だが、「形」にしなければ、やっているとは言えないからだ。
この6月もゼミの学生と帝京大学の学生と組んで、読者がマンガの中に入り込めるVRマンガを制作し、宇都宮市民芸術祭で新たに始まる、メディア芸術プレ事業として出展した。
このVRマンガは新しいコンテンツとしての大きな可能性があると感じている。

来年度から大学で二つの新しい授業を立ち上げることが決まった。
もう、新聞で発表されたので、ここに書いておこうと思う。

ひとつは「アニマルアート」という授業を立ち上げる。
なぜアニマルアートを大学で立ち上げるか、そのコンセプトを少し書いておく。

“ここ数年、世界でアニマルに関する、マンガ、キャラクター、アートと世界的にブームになっている。
日本でもマンガ・アニメの「けものフレンズ」が大ヒットし、猫や犬に関するあらゆる書籍がヒットするなど、「どうぶつ」の時代といっていいほど、どうぶつが求められている。

たとえばキャラクターとして、どうぶつの歴史を振り返っても、ディズニー、ワーナーブラザーズの顔となっている数々のキャラクター、スヌーピー、ラスカル、トムとジェリーなどなど、どうぶつは世界中のだれもが知っているキャラクターとしてブームに終わらず、根強く生きてきている。

日本最古の漫画と言われている「鳥獣戯画」も、どうぶつたちがたくさん描かれている。

そういったどうぶつに興味を持ち、どうぶつをアート、マンガ、イラストで本格的に描いてみたい、勉強してみたいと思っている人たちは世界中にたくさんいるはずだ。

●調べたところ、「アニマルアート」として大学の中で特化したコースを立ち上げている大学はない。
これほどまでに求められているにもかかわらず、アートにおいて特化してどうぶつ学べる場所がないということだ。

●大学で「アニマルアート」を立ち上げるにあたって、やはりそこには「研究」がなければ大学で教える意味はない。
また、大学で、なぜ「アニマルアート」をはじめるか、なぜ栃木の大学でアニマルアートなのか。
そのコンセプトが見えてなければ、大学でアニマルアート設立の軸がぶれてしまう。

●まず、「アニマルアート」を大学ではじめるにあたって、大きな「軸」がふたつある。
それは学生を集めるための二つのブランド力としての「軸」でもある。

その一つは、世界的に有名なアーチストである姫川明輝先生が客員教授として来ていただけるということだ。
その姫川先生の、今月の4月1日より、那須の観光協会や国の観光庁と進めている「9bプロジェクト」のARで、姫川先生の生み出した九尾の狐たちのキャラクターが、まずは9つの那須の観光地を案内するシステムがスタートしている。
このプロジェクトを進めるにあたって、昨年より九尾狐のキャラクターたちは、この栃木に来て、この地で制作している。
依頼されて創るではなく、この地で「生み出していく」という制作の仕方を、このプロジェクトをスタートしてから姫川先生ははじめている。
それとともに、姫川先生のアート作家としての活動を、那須にアトリエを創り、アニマルアートを中心に、この地で進めて行くと決め現在進めてる。

自然があり、そしてどうぶつ王国の存在も、この地で制作アトリエをかまえる大きな要因にもなっている。

ここ数年、姫川先生はアニマルアートに関して、アメリカへシャーマニズムのシャーマンに会いに行くなど準備を進めていたこともあり、一昨年から自然の中にアトリエを持つ計画が那須に絞られてきたこともあり、本格的にマンガとは別に、アニマルアートを栃木の地で進めると言ってくれている。
そういった流れから、大学でも研究してみないかと姫川先生に提案し、月1回という形でお願いし、了解を得たというわけだ。

●二つ目の軸は、自然。
この栃木の地で、自然が溢れるその中でアニマルアートを研究、制作していける環境だ。またその栃木にある那須どうぶつ王国にも話しを持ちかけていることから、協力はおねがいしている。

そのどうぶつ王国に拘るもうひとつが、この地に合った生態のどうぶつたちを、檻にいれずに、自然の中で見せていることと、大半のどうぶつに触れることができる環境だ。

これは、触れることによって、どうぶつの皮膚感、骨格など本物を体験できる環境があります。
どうぶつ王国のコンセプトである「人間と動物の自然な関係」がここにはあり、その中からアートが生まれるといった、これから進めて行く「アニマルアート」のコンセプトとしても一致する環境がここにはあるということだ。

◎こういった中で、ただどうぶつの絵を描く、どうぶつの絵の上達などだけではなく、大学として、アニマルアートをやっていく中で大事なのが研究である。
その点においては、動物学の授業も必要とされる。
動物学は、古代ギリシアの時代に生まれ、発生学、生理学、生態学、動物行動学、形態学などの視点から研究が行われています。

動物がどのような課程を得て、今の体型、骨格になっていったか。
それは「生命」と「生存」という研究にも繋がっていく。

そういったこともわかった上で、動物を知り、それをアートとして技術を磨いていく、大学としての研究と実践を持ってのアニマルアートにしていかなければならないと考えている。
そういった動物学の先生に関しては、宇都宮大学、農学部動物生産学の青山准教授に講義をお願いしている。

実技に関しても、動物デッサン、クロッキー、骨格を徹底的に、どうぶつ王国とともに、大学の近くにある宇都宮動物園とも協力しあいやっていくつもりだ。
動物を立体に創ることで、動物を知ってもらうために、動物フィギュアも、立体造形の教授にお願いしている。

◎出口に関しては、キャラクターが求められる時代ということもあり、マンガ専攻で進めているAR、AI、VRのシステムを使った、アニマルキャラ制作や、グッズ製作。
帝京大学との連携で、3Dプリンターを使っての立体のフィギュア製作など、これからの時代に向けて、就職活動も含め対応していく方向で進めている。

また動物が描けるようになれば、生命が描けることにもつながり、アーチストとしても高いレベルで活動できる人材育成ができると考えている”

長々と書いてしまったが、こういった考えを持って、現在、新しいコースを創り上げで動いている。

もうひとつは、大学での語学の授業を、「マンガ語学」という形で立ち上げる。
語学を学ぶということも、まったく変わってしまった。
スマートフォンのアプリで、語学は同時通訳のできる時代である。

大学で専門的でなく、海外旅行で話せる程度の英語や他の語学なら、スマートフォンで十分だということだ。
ならば大学の授業を受ける必要が果たしてあるのか?

2年前、出版関係者から相談を受けたことがある。
日本のマンガは世界中で読まれている。
すべての書籍の中で一番売れているのが、日本のマンガという国がいくつも存在する。

そこで相談を受けたのが、翻訳者がいないということである。
マンガの場合、キャラクターは言葉によっても表現されている。
ただ、言葉を翻訳するわけにはいかない。
そのキャラクターがわかって翻訳しなければ、マンガの中のキャラクターが死んでしまうということだ。

たとえば、キャラクターが「ボク」「わたし」「あたい」「オイラ」「オレ」…自分を指す言葉だけでも、まったく違うキャラクターになってしまう。
それをどう訳すか。
翻訳者がいないというのは、語学ができるのではなく、キャラクターがわかったオタクで語学ができる人間がいないということなのだ。

そう考えたとき、直訳ではない、キャラクターならこの言葉をどう話すかを考え、学ぶ語学というのは、大学でやれば面白いのではないかと考えたわけである。
もちろん、翻訳者を育てるというのではない。
マンガのキャラクターを使って、語学を習うことによって、語学を深く理解できるのではないかと考えたわけである。

それはスマートフォンでは訳せない語学でもある。

まずは、何はともあれ、このふたつの新しい授業をどうにか立ち上げることが決まった。

実はまだまだアイデアはあるが、身体がもたないので、まずはこの二つを育てていく。

世の中はAIに職を奪われるとビクビクしているし、大学もAIによってなくなる学部も出てくるとビクビクしている。

いやいや、今の時代の流れは、ビクビクではなく、ワクワクではないか。
AIはまだ1%も開発されていない「便利な道具」で、あらゆる方面で無限の可能性を秘めている。
iPhoneが発売されて、この10年でいかに便利になり時代が変わったか。
それ以上の可能性がAIを中心に始まろうとしているのだ。
そのAIを育てるまさに中心が研究機関である大学だと思っている。
つまり「研究」である。

今、日本中の大学は生き残りに必死なのだが、大学は「研究」を軸に考えれば、それぞれの大学の存在の意味が見えてくるはずだ。
「研究」のできない大学は、大学として必要ないし、学生も「研究」の意識がなければ、大学に無駄なお金を使うだけになる。
そして何より、「研究」の意識のない教員は、すぐさま大学を辞めるべきである。

今、大学が大学として、変わろうとしている日々が間違いなく始まっている。

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