今、ここで私が生きる

仕事場を自然の中に移してから散歩が日課になっている。
自然というのは「今」を教えてくれる。
春の「今」は自然の命が芽生える季節。

禅で使われる仏教用語、「即今(そつこん)・当処(とうしょ)・自己(じこ)」。
「今、ここで私が生きる」という意味だが、この言葉が自然の中でリアルな軸として感じられる。

もちろん自然の移り変わりだけではない。
今、自分が生きているのは、まだコロナ過がつづき、ロシアのウクライナへの侵略戦争によって世界は緊張状態の中にいる。
その「今」の中で、大学のこと、学生のこと、研究のこと、進めているプロジェクトのことなどなど、いくつものことが動いている。

すべてが「今」というレイヤーの重なりの中で存在している。

ゲーテの「ファウスト」の中の言葉を思い出す。
「人間は、努力する限り、迷うものだ」

そう、迷いは成長しようとするから生まれてくる。
成長とは、同じところに留まることなく、変わり続けることだ。
その変わっていくというのは、人それぞれで答えはない。
だから迷う。

それはとても大切な迷いであり、迷うということは生きている証だと思っている。

変化を求めなく、「このままでいい」と考える人が周りに多くいるが、「このままでいい」といういうのは現状維持ではなく、後退していることに気づいていない人たちだ。

「このままでいい」は、「今」ではなく過ぎ去った過去。

そんなことを散歩をしながら考えた。