2019-4-30

平成最後の日が流れている。
旅の風を感じている。

そう、あの懐かしい旅の風だ。
まだ昭和だった18歳のころと同じ空気感を持った風だ。

あのころ、まだ何ものでもない自分にもがき、自転車で四国、九州、本州をただただ走っていた。

高校のとき週刊少年ジャンプで賞をもらい、大学に入るとプロのミュージシャンとして事務所に誘われ、いきなり河島英五さんと全国をツアーが始まった。
事務所には、当時大人気だった「あのねのね」がいたことから、バイトでマネージャーもやった。
そこには、つい数ヶ月前までテレビで見ていた山口百恵がいた、キャンデーズがいた、ピンクレディがはじめてデビューしたときは、渋谷公会堂の袖で彼女たちをみていた。
中学、高校と毎日ラジオで聞いていた、オールナイトニッポンのスタジオにいた。

大好きだった映画の世界も、東宝の映画のスタッフとしてかかわり、となりの組では黒澤明監督が「影武者」を撮っていた。

そんな中で気がつけば十代で日本の47都道府県はすべて回っていた。

旅は非日常の毎日だ。
明日何が起こるかわからない日々が流れていく。
不安もたしかにある。
だがそれ以上に、「あした何と出会えるのか」そのワクワク感に毎日心が震える。

知らないことを「知る」喜びが毎日訪れる。
「知る」ということは、自分が成長していくことが実感として感じることができること。

この歳になって、60歳を過ぎて、あの昭和の日々と同じ風に吹かれている。

考えてみればずっと走りつづけている。
昭和も平成もただただ走りつづけてきた。

今また、18歳のころと同じように、新たないくつもの知らない世界の中で走り始めている。
大学とは何かと考え、学校ではない大学にすべく、大学を変えようとこの10年、ただただ走り続けてきた。
そして次ぎの旅は世界だ。

4月から、中国のメディアの大学の、南京にある南広学院で講義をはじめた。
今、中国のITは、アメリカのGAFAを超える勢いだ。
つまり世界の先端の研究がそこにある。

ちばてつやMANGAイノベーション研究所の中国支部も大学の中につくった。

もちろんいろいろな駆け引きがあり、研究をコンテンツ化し、それをビジネスに結びつけなければならないプレッシャーもある。

だがだ、つまりは、旅が好きなのだ。
毎日が同じ風景の中では生きている実感が湧いてこない。
高いテーションの中で旅をつづけるしか、そこにしか生きている実感が湧いてこない。

そう、きっと死ぬまで旅をつづける。
昭和、平成、そして令和と、どこまで行けるか、どこまで「知る」ことができるか、どこまで「成長」できるか。

もうすぐ「令和」の時代がはじまる。

すべての概念が変わっていく

2019-3-31

目の回る忙しさがつづいている。
大学は春休みなのだが、4月からスタートする中国南京の南広学院大学と立ち上げる国際授業へのスタートとともに、北京、香港でもいくつものプロジェクトが立ち上がりってきている。
大学、栃木などで進めているプロジェクトが20以上あるわけだから、そりゃぁ、周りからその仕事の量に「無謀」の声が上がるよね。
でも、まぁ、10代のころから、「できるできないではなく、やりたいか、やりたくないか」ですべて決めてきたわけだから、その信念に従い、今回も「やりたいからやる」。それでいいと思っている。

3月末、北京に飛び中国で毎日のように濃い会議と打ち合わせの日々を過ごしてきた。
時代は間違いなく大きく変わっていっている。
やはり5Gを中心に、この1年で変わっていくか、そういった「これからの時代」に対して、何をやっていくかといった、そういった話し合いができた。

このブログでもいってきたのだが、大学は“研究”があり、“コンテンツ化”をしていき、そしてそれを“ビジネス”につなげていく流れが必ず必要だと思っている。

それも高い意識を持ったチームの中での“研究”、“コンテンツ化”、“ビジネス”でなければ意味がない。
時代はエクスポネンシャルに流れている。
1年前のことは、もう古い過去としてビジネスにはなっていかない。
“研究”によって新しいものを生み出し、それを“コンテンツ化”し、イノベーションを起こせるものが、“ビジネス”となる。

昨年から実はうんざりしていることがある。
日本の教育だ。
昨年、上海の高校を回ってきたとき、「勝負にならない」とハッキリわかった。
もちろん上海という特別な場所だとわかっている。
だが、特別な場所にしろ、そこで行われている教育は、ちゃんと時代を捉えた「研究」があっての教育であり、テンプレートで教える勉強ではない。
ひとりひとりが時代と向き合い、成長するための「研究」意識が、生徒にも先生にもある。特に先生は、高校主導で順番に目的を持って海外に留学して、そこで学び研究してきたことを、生徒と研究して教え、学んでいくというシステムができていた。

これはもう、日本の大学でさえまったくできていないことを、中国では高校でできているということだ。

日本では2020年から文科省・内閣府・経済産業省などが提唱する未来社会のコンセプトで進められている、Society5.0に向けた教育でも人材育成が具体的に始まる。
ニュースではプログラミングの授業ばかり取り上げられるが、Society5.0による教育とは、「知識を学ぶ」から、「考え力、表現する力、判断する力」を育てるということだ。
テレビを見ていて中学か、高校なの校長先生がおもしろいことを言っていた。
その学校では宿題がないというのだ。
宿題は「やらせる」勉強だ。
ぼくも大嫌いだった。
そしてその学校ではテストを行い、採点のあと、再テストを希望者は受けることができるというのだ。
たとえば70点を取ったとしよう、次の日に自分から再テストを受けるとなったら、できなかった30点のところを家で勉強するということだ。
自分から、それも目的を持った、見事な自分から勉強する宿題となる教育だ。

こういった教育が2020年から始まるのならば、実に大歓迎である。

問題は今、目の前の学生たちだ。
いや、先生たちも大問題だ。
先生は答えを教えるのが義務だと思っているし、学生は答えを教えてほしいと口をあけて待っている。
だが、この世に答えなんてあるのだろうか。
大学ということは、答えを「考える」でなければ意味がない。
その「考える」が研究なのだが、その「考える」を学生も、先生もほとんどがやっていない、だから、大学で研究する先生が、学生がほとんどいないのだ。
だから大学は単なる「学校」で、学生は「生徒」になっている。

ここ数年、大学を変えたいと動いてきたし、時代と地域の中で、“研究”をし、“コンテンツ化”してきているのだが、最近徒労を感じている。
何人かはたしかに、意識を持った学生はいる。
だが、全体の3%にも満たない数しかいない。

前にも書いた通り、まず、学生も先生も、大学だというのに「研究」という意識がほとんどない。
それどころか、「研究」することに対して、「答えを教えてくれない」と平然と言ってくる学生もいる。
「研究」とは、答えがないから「研究」するものだという意識すらない。
先生にしても同じで、ぼくは学生たちと教室で授業はやらない。
研究室や他の専門知識を持った大学にゼミ生を連れ出向いて、現場でコラボしてコンテンツ制作をやっている、まぁ、高校や専門学校じゃあるまいし、研究とはそういうものだと思っているから、ゼミではそういう形で研究しコンテンツを制作している。
だが、他のゼミ生や、先生たちは教室で授業をやらなければ授業放棄と見るものもいるからこまったものだ。
授業とは教室でやるものだと、それが常識だと思っているこそが、そもそも大学としておかしいことだ。

まぁ、いつも言っているのだが、「研究」という目的を持っていない、学生、先生は専門学校に行ってもらいたい。

とはいっても、こんな考えを持っているものはほとんど今いる大学にいないわけだから、「研究」は、今回、新しい形としても中国南京の南広学院大学での新しい国際授業へのスタートにともない、中国を中心にやっていこうと思っている。

北京を中心としたチームとともに、ITに関しては香港のチームから参加の声がかかっている。

今、時代はまったく違う時代へと変わってしまう。
今までの産業革命とは規模の違う、人類が今までで一番進化し、変化していく時代のど真ん中にいることをみんなはわかっているのだろうか。
Smartphoneがこの世に出てきて、10年少しで、世界中の人たちがSmartphoneなしてで生きられなくなっている。
そのSmartphoneが、5Gになる今年(日本は来年を予定)、今までのSmartphoneの100倍のスピード、1000倍の容量で、コンテンツを生み出すことができるようになる。

考えてみればわかることだ。
今の時代、すべての概念が間違いなく変わる。