コロナウイルス(COVID-19)で見えてきている

2020-2-28

日本中が、いや世界中がコロナウイルス(COVID-19)で大変なことになっている。
もうパンデミックといっていいかもしれない。

4月から本格的に中国に渡り、中国の大学を中心にスマートシティに向けてのマンガとテクノロジーの研究に入る予定だったが、その予定がまったくたたなくなっている。

自分の身にもリアルに起こってきていることなのだが、これからの、とくに日本の経済は3月以降どうなっていくのか、考えると恐ろしくなってくる。

今、時代はどうなっているのか、また世界はどううごいているのか、今回の件で今まで見えなかった、またごまかし見えないようにしてきたことが、政治に無関心だった人たちにも見えてきている。

日本政治のあまりの危機意識の低さと“人ごと”な場当たり感。
人の命がかかった中での、原発と同じで利権争い。
医療システムの危機への、やはり利権とからむ対応の遅さ。
経済における中国への依存度の大きさなどなど…

それとともに、人が「想像」できなくなってきている危機感を感じている。

たとえばマスクだ。
今回のマスク騒動を、1973年の中東戦争を背景に原油価格の高騰による、トイレットペーパー騒動を思い浮かべる人が多いのだが、まったく違う。
トイレットペーパーは自分の手では作れないが、マスクなど1分もあれば作れてしまう。
だいたいネットを開けば作り方などすぐにわかるはずだ。
100円ショップにいくと、マスクはまったくないが、マスクを簡単に作ることのできるガーゼや三角巾、ゴムやペーパータオルは、以前と変わらない状態で売られている。
それでもマスクは不足し、ネット上で値段は何倍にも高騰している。
なぜ、なぜ、なぜ…ほとんどの人は、マスクはマスクを買わなければと思っていることに驚く。
なければ作る。
その想像すらないのだろうか…

大学でぼくのやっている制作授業で、どんな表現を使ってもかまわないので「伝える」をテーマに「自由に創れ」といったら、ほとんどの学生が「何をつくっていいのかわからない」と不満を漏らしてきた。

つまり彼らにとっての自由とは、テンプレートを示さなければ、自由がわからない。テンプレートに従うことが、つまりそこで自由を放棄しているという想像すらできないようだ。

ぼくが18歳のときに出会った、河島英五さんが“てんびんばかり”という曲の中で、こう詩っている。

うちの子犬はとても臆病で
ひとりでは街を歩けない
首輪をつけると
とても自由だ
ぼくを神様だと思ってるんだろう

まさに時代とともに人を骨抜きにしていった自由のゆがみを英五さんは70年代に詩っていた。
首輪を付けた自由には、想像のかけらもない。
自由とは想像だということすら考えない時代に今はなってしまっている…

ぼくは学生に、「ぜったいはこの世にはない」。
だがたったひとつだけ「ぜったい」はある。
その「ぜったい」とは、生きているものは「必ず死ぬ」。
そう言ってきている。

だが生きるということは、「死」があるから存在する。
「死」がなければ、「生」は存在しないことになってしまう。

それと同じで「自由」は、本来ならば「縛り」つまり、首輪を付けられる束縛があるから、そこから解放されたいと自由を求める。
だが、今は解放されたいではなく、首輪を付けてもらいたいと、首輪を付けられなければ不安でしょうがないと、自ら首輪を求めている。
そう考えたとき、今の時代、特に日本には「自由」が存在しないのかもしれない。

話は少しそれてしまったが、言いたいのは、つまりは今の時代に一番必要な「想像力」が消えていく世の中になってしまっているということである。

今からの時代。
AIの時代は、AIに使われる人間と、AIを使う人間に分かれると思っている。
AIを使う人間とは、「想像」する人間のことである。

「想像」する人間は考える。
「想像」とは「知識」があって始めて「想像」できる。
だから「考える」。

今回のコロナウイルスを考えたとき、中国が金融、流通覇権で、アメリカとの覇権争いで武器としているブロックチェーンで、今回のような危機が再び起ころうとしたとき、ブロックチェーンがこのまま進めば、ウイルスにしても初動で簡単に封じ込めると想像できる。
そう考えると、中国の進めている「一帯一路」は、5Gなどのテクノロジーとともに、ブロックチェーンは単なる金融覇権だけでなく、世界を大きく変える凄さと怖さを感じてしまう。

それに対して日本は、あまりにも想像力のない国になっているのではないだろうか…

コロナウイルス(COVID-19)の今回の件を見ていると、あまりに場当たり的で、後付けの対策、まさに今の想像力のない政治そのままの流れで日本の危機を招いてきている。

今まで「人ごと」だった国民も、やっと日本の現状に気づきはじめるのではないだろうか。