ジャッカルとの日

大学のゼミで、ゼミ生に「締め切りを守る必要性、それは表現者として生きて行くための信頼」という話をしていたときだ。
学生から、「プロとしてやってきている先生は、今までいくつの締め切りをやってきたのですか」という質問をうけた。
そういえば数えたことなどなかったが、作品の連載の数から、思い出すかぎり書き出してみると、1128本の締め切りをこなして来ている。
1回きりのイラストやコラム的なものは思い出せないものがいくつかあるが、とりあえず1128本という数字が出た。
もちろんカンズメやギリギリの印刷所で書いて入稿したことは何度かあるものの、締め切りを落としたことは1度もない。

考えてみれば40年以上プロとして作家をやってきたわけだから、まぁ、これだけの締め切り数だけの作品を書いてきたわけだ。
自分の作品はノンフィクションが多いのだが、フィクションにしても自分で経験しての取材から生まれている。

ノンフィクションの原稿は、ほとんどというか、すべて「ボク」という主語で書いてきている。
つまり、書いてきたものは、つねに自分の生きている「今」から生まれてきたものばかりで、AIには創れない作品を書いてきたことになる。

これからの作家は、「自分しか生み出せないもの」でなければ、作家として生きていけない時代だと、そしてそれは「いいことだ」と、作家でAI研究もしていることもありいろいろな場所で話している。

自分の作品を読み返すと、ボクという主語で書いてきているというのもあるが、どの作品も思念を押し出す表現で書いてきている。

スポーツ選手を追いかけ、2年、3年、長くなると10年以上見続け、ときにはトレーニングに参加させてもらったり、プライベートで旅をしたこともある。
そういった長いつきあいの中から、スポーツである以上、勝負という勝ち負けを書くことになる。
ただの勝ち負けではない。
人生を賭けた勝ち負けがそこにある。
だからうれし涙を流し、悔し涙を流す。
選手はもちろん流すが、書き手であるボクもいつも涙を流してきた。

その涙こそに、人間が生きてきている人生の真実があるのかもしれない。
データで作ったもの、中途半端なもの、ビジネスライフで取り組んだものでは、まず涙など流すことはない。
涙を流すということは、そのためだけに生き、そのためだけに人生のすべてを賭けた時間の中で濃密な日々があったからだ。

「16フィートの真夏」という作品がある。
ジャッカル丸山というボクサーを追いかけ、そのボクサーの生きている意味と覚悟を見せられ、そこから生まれたすべてを、叩きつけた作品だ。

当時、ジャッカルの試合が一番面白いとチケットは即完売、その命のやりとりのような闘いにボクシングファンを唸らせ、ボクもその一人でジャッカルを書きたいと追い続けた。
そんな中惜しまれながら、ジャッカルは引退を決め、引退式の開催も決まり、何より彼女と結婚も決まった。
その彼女の実家の経営する料亭も任されることになり、これ以上ない幸せがボクサー引退後に待っているはずだった。
だが、ジャッカルは引退を撤回し、そのすべてを捨てて世界1位のボクサーに挑むために復活のリングに上がった。
なんてボクサーなんだ。

勝てば世界戦が待っている。
負ければすべての道が閉ざされる。
結果は、ジャッカルのパンチを恐れた世界1位のボクサーが攻めることなく足を使われ、ドローという結果に終わった。
負けたのなら納得がいく。
だがドローという結果で、ジャッカルのすべてを賭けた道が閉ざされた。

試合が終わり、控え室でひとりポツンと座っているジャッカルにボクは声を掛けることができなかった。
ボクのの中で、やるせない悔し涙が流れた。

あのときは、すべてを賭けた時間に空しさを感じていたが、そうではない。
ジャッカルが本当に自分のすべてを賭けて挑んだ時間。
そしてその時間の中で生きられた、時間があった。

あの時間にこそ、ジャッカルも、ボクも「生きている」という、あまりに濃い時間があった日。
それが人間にとっての、生命を持つものの「幸せ」なのかも知れない。

その幸せの時間こそが、AI時代において、AIでは作ることのできない、人間としての生き方ではないかと、今の自分は思っている。

【旅の空Ⅷ ジャッカル】

心を開いて「Yes」と言う

ジョン・レノンの言葉で、20代の頃から大事にしている言葉がある。

「心を開いて「Yes」って言ってごらん
すべてを肯定してみると答えがみつかるもんだよ」
John Lennon

No!と言えば、そこで扉を閉じてしまう。
だが、Yesと言えば、その扉の向こうへと旅をつづけることができる。
その先に素晴らしい出会いがまっているかもしれない。

人は「成功」したいとだれもが思っている。
「成功」するために人は努力をする。
だが、「成功」するものなど、ほんの一握りにすぎない。
では成功しなかった者は不幸なのか?

20代、30代、40代と大好きだったボクシングを、密着して追いかけ、マンガ、ノンフィクション、写真、エッセイ、コラム、イラストと、何作もの作品を書き、何冊もの本も出してきた。
世界チャンピオンになったボクサーも何人かいる。
だが大半は、夢にたどり着けないまま引退していったボクサーたちだ。
では世界チャンピオンになれなかったボクサーは不幸なのか…

ぼくはボクサーたちと付き合うことで、「あぁ、人生とはこういうことか」と見えてきたことがある。
夢に向かって、すべてをボクシングのためだけに生きたボクサーは、たとえ「成功」できなかったとしても、全員、間違いなく生きるにおいて「成長」している。
「死」を感じ闘うということは、「生」を手にするこであり、生きるにおいて見えてくるものが必ずある。

人は命があるかぎり「成長」したいと願っている。
生きることとは、過去でも未来でもなく、今を生きることで「成長」することだと思っている。

「成長」とは、「チャレンジ」でもある。
チャレンジには逆境が必ずある。
だが、思い返してほしい、何においても、逆境に向かって挑んだとき、それが失敗だったとしても、その後の生き方において成長を感じたことがあるはずだ。

 

日本人は「失敗」を悪と見る人が多い。
たとえば、日本の野球を見に行くと、盗塁したとき、アウトになったとき「何やってんだ!」とヤジと罵声が飛ぶ。
だが、メジャーリーグを見に行くと、アウトになったとしても「ナイストライ!」と拍手がわく。

大学にいると、「常識」に縛り付け、「常識」を逸脱すると怒られるといった教育を受けて育ってきた学生が大半だと感じている。
みんな「常識」でいう「いい子」たちだ。
研究とは、今までの「常識」を疑うことから始める、つまりトライなのだが、「常識」の中以外は「No!」と学生たちは扉を閉じてしまう。
つまり失敗を恐れ、萎縮して無難な場所で留まるために、少しでもリスクを感じると、その扉は開けない。

これで面白いのだろうか?
自分の「成長」を自分で阻んでおもしろいのだろうか?

大学もそうだが、日本の社会全体がコンプライアンスという、「常識」のルールで縛り、新しい扉を開けようとしない世の中に、最近少し辟易としている。

ぼくはボクサーの生き方に「生命力」を感じ、その生き方を追いかけ何冊もフィクション、ノンフィクションを書き、写真を撮り、絵も描いてきた。

どう考えたってボクサーは最悪に費用対効果の悪い生き方だ。
だが、「生きる」においては、これほどシンプルな、魅力的な生き方はない。
拳ひとつで、成長するためだけに命を賭け日々を生きる。

残りの人生、ボクサーのように生きよう。
そして「Yes!」と扉を開けつづけよう。

【旅の空 Ⅶ owada】

アメリカの拳、そしてフイルムに残された旅の彷徨

フィルムを整理している。
一万本近いポジフイルム、白黒フイルム、ネガフイルムが倉庫部屋に眠っている。
フイルムで撮っていたのは、2004年までだ。
デジタルカメラがフイルムカメラの出荷台数を抜いたのが2002年だから、当時はフイルムカメラに拘って写真を撮っていたということだ。
いや、長くフイルムカメラで撮ってきた、そのデータと経験が無駄になりそうで、デジタルでなく、フイルムにしがみついていたのかもしれない。

だがわかっていた。
2004年にはもう、Power Macを持っていて、Photoshopを使い始めていた。
写真というものは、撮ったあと、現像されて見てみると、もっと空は青かったはずとか、この赤はざらつきがあったなど、自分の心に残っている色とのズレがある。
だから自分に合ったフイルムを探し、シャッタースピード、露出など細かくデータを取り、自分の写真というもの、何年もかけて創り上げていた。

だが、デジタルで撮った写真は、Photoshopで、自分が心で感じた色、雰囲気、空気感まで調整することができた。

考えてみれば、デジタルにのめり込んだのはこのことがきっかけだと思う。
2006年には、機材など自由に使わせてもらっていた、当時契約していたミノルタカメラがカメラ業界から撤退し、TXやEPPなど、自分が使い続け、データを創り上げてきたフイルムのメーカー世界最大手のコダックが2012年に倒産してしまった。
写真界がデジタル化になってから、あっという間にフイルムは過去のものとなってしまったのだ。

話をフイルム整理に戻そう。
フイルムというのは年々間違いなく痛んでいく。
だから、時間のあるときに、全部はさすがに無理なので選び、フイルムスキャンでデータ化していっている。

とくにボクサーたちのフイルムは、ボクシングが大好きで、80年代、90年代は毎日がジム、後楽園ホールを中心に写真を撮り、取材し、マンガ、イラスト、ノンフィクションを雑誌、書籍と数多く書いていた。

そのころの写真を整理しながら何度も手が止まる。
いい写真がとにかく多い。
たとえば試合の写真にしても、フイルムカメラはフイルム1本が36枚。
ぼくはボクシングの試合は、だいたい2台のカメラで、各カメラ、1R1本のフイルムで撮っていた。
1分のインターバルでフイルムを巻き戻し、新しいフイルムを入れる。

だが、ただ1分を36回に分けてシャッターを切るのではない。
試合を読まなければならないのだ。
浜田剛史は3分9秒KO勝ちを3度行っている。
KOしたのが2分59秒だから、試合を読んでいないと、KOシーンのフイルムが1~2枚しか残ってない状態でシャッターを切ることになる。
KOシーンは最低12枚以上なければ、そのシーンを伝えることができない。
だから試合を読む。

今までの試合、ジムでの練習を見ることでボクサーのデータを身につけ、頭の中でシユミレーションを繰り返し、試合にはボクサーのように臨む。

世界戦など、国歌が流れる中、リングのボクサーと同じように目を閉じ集中力を高める。
そうやって撮ってきている。

永遠に近く、連写が続けられるデジタルカメラなのに、最大たった36回しかシャッターが切れないフイルムカメラの方が、その一瞬が捉え切れている。

集中力。
余裕のある集中力と、余裕のない集中力がこれほどまでに違うことが見えてくる。

このことは、AI時代に入り、「人間とは何か」を考える上で、自分の経験を基にAIを研究するにおいて大きなヒントにひとつになるのではと思っている。
人間の持つ思考力とともに、データでは表現できない、集中力から生まれる「感情」では収まらない何か…
研究の価値がありそうだ。

今回の動画「旅の空Ⅵ」は、1985年始めてアメリカへ行き、ロスのメインストリートジムから始まり、ラスベガスで伝説となった試合、シーザースパレスでのハグラーVSハーンズを練習から見つめた日々。
また、当時一番好きだったボクサー、ロベルト・デュランがシュガーレイと闘ったときの写真と、アメリカの拳の旅を形にしてみた。

倉庫の中のフイルムにはまだまだぼくの旅が眠っている。

【旅の空Ⅵ アメリカの拳、そしてフイルムに残された旅の彷徨】

行雲流水(こううんりゅうすい)

母がこの夏に亡くなった。
92歳。
8月13日の朝、危篤の母の耳元にスピーカーを置き、喜多郎の「空海の旅4」のアルバムをを流した。
前日、何度も母といっしょに行った、空海の生まれた善通寺に行き、空海が樹に登り遊んでいたと言われる樹齢1500年以上のクスノキの話をしたからだ。

そのとき、「空海の旅4」をiPhoneから流すと、曲の中で使われている琴が流れ始めると、母は両手を宙に浮かせ、両手を使って琴を弾き始めたのだ。
母はぼくが子どもの頃、部屋でよく琴を弾いていた。

前日までは少しの会話ができていたのだが、夜には危篤となった。
それでiPhoneから流せるように、Bluetoothの小さなスピーカーを買い、朝、昨日琴を弾くそぶりを見せた、空海の旅4を耳元で流したのだ。

音楽を流し始めると、それまで反応のなかった母が呼吸でリズムを取り始めた。
曲と呼吸が一体になっている。
生命が呼吸とともに蘇ってくる…
そんな光景だった。

そのときいた、妹、そして妹の娘も、生命がまた動き始めたと…同じ感情を抱いた。

次の瞬間、リズムを刻んでいた呼吸が途切れはじめた。
間ができはじめたのだ。
呼吸から呼吸の間が長くなっていく。

そして…
呼吸が消えた。

生命を燃やし尽くした最後だった。

SONY DSC

最後まで母はぼくに教えてくれたのかもしれない。
AIを研究している「今」、「人間とは何か?」をずっと考えている。
その人間とは何かを強烈に示してくれたのだ。

「死」があるから「生」は存在する。
「死」があるから、人間は生きた物語を歩むことができる。
その物語はデータではない。
生きることで刻んできた、生き様の証である。

SONY DSC

自分が創った曲の中に「菩提の空」という曲がある。
中国の世界遺産である少林寺に行き、菩提達摩が少林寺のある崇山の頂上あたりにある、達摩が悟りを開いたと言われる面壁九年の洞窟で出来た曲である。
そこまで登ってくる観光客はだれもいなかったこともあり、洞窟の前で座禅を組ませてもらったときに、この曲が生まれた。

その曲の歌詞の中で「人は生まれて旅をする 命という旅をする 生きてることは出会いだと 菩提の空が流れてく」という詩を書いた。

あのとき生まれた自分の書いた詩と、母の生き様が重なり、命の旅をしてきた母の旅の終わりを見届けた。

SONY DSC

最後の空海を聴いて母が旅を終えたからだろうか。
この10年、母と行った四国八十八カ所の寺の仏の写真をデータから探した。
大窪寺、根香寺、善通寺、弥谷寺、霊山寺などが特に好きで、一昨年亡くなった父の運転で何度か行ったそのお寺の仏が出てきた。

その写真に曲を付け、母に向けての旅の終わりを形にした。
考えれば何百といろいろな作品を創ってきたが、母に向けて創ったの始めてだ。

母はぼくに行雲流水の生き方を教えてくれた。
そして母の旅も行雲流水のいい旅だった。

【旅の空Ⅴ 四国八十八カ所の仏】

 

空海の風景

中学、高校のころ香川県の丸亀に住んでいたことから、空海が身近にいた。
空海の生まれた善通寺は通学路にあったことからよく行ったし、高校のころは「旅の重さ」という映画を見て、お遍路のように自転車で四国を一周したこともある。

空海が中国から日本へ持ち帰った「密教」のことなどまったく知らなかったのだが、なぜか空海にはいつも惹かれていた。

空海と名乗るとととなった、苦修練行の窟。
そこで座禅をすると目の前には空と海しか見えないことから、「空海」と名乗り始めた
「御厨人窟」。
天空の聖地「高野山」。
圧倒される曼荼羅の宇宙。
立体曼荼羅を10代のころ東寺で見たときの衝撃…

SONY DSC

空海の風景の旅は中学生のころから始まり、空海が密教のすべてを学び、最高の儀式である伝法灌頂を受けた中国・長安「青龍寺」にも行くなど、旅は今もまだつづいている。

だが、なぜこれほどまで「空海」に惹かれていったのか、答えは自分が今、大学で研究しているDX研究から「そういうことだったのか」と思えてきている。

仏教には顕教と密教の2種類があるのだが、顕教とは言語や文字で明らかに説いて示したまさに「経典」の教えなのだが、密教には「経典は存在しない」。
つまり文字では伝えきれない「情報」を師から弟子へと伝られるのが密教だと解釈している。

これはアルバート・メラビアンという心理学者が1971年に発表した法則で考えるとわかりやすいかもしれない。
言語情報が7%、聴覚情報が38%、視覚情報が55%という法則。

空海にこれほどまで惹かれたのかメラビアンの法則から考えると、「視覚情報」で空海に惹かれていったと納得する。

曼荼羅、立体曼荼羅、高野山…
宇宙を視覚で空海は見せてくれていたということだ。

そしてもうひとつ、山岳信仰を起源とした修行、つまり身体で感じることで見えてくる生き方は、「行動する」をモットーとしている自分の生き方にマッチしているというわけだ。

空海の生き方に、もしかしたらAI時代に生きるヒント。
「人間とは何なのか」が見えてくるかも知れない。

そう、「人間という宇宙」を空海は求めつづけたのかもしれない。

【旅の空Ⅳ 空海の風景】

旅の空Ⅲ 少林寺

4月から「旅の空」というシリーズを動画で制作し、SNSで流している。
毎月最低1本は動画を創ると決めて気づけば3年、どうにか今も続いている。

今月は2010年にバックパッカーで中国を旅したときの崇山少林寺を動画にしてみた。

SONY DSC

その旅でどうしても行きたかった、崇山の山頂にある「面壁九年」の洞窟。
禅宗、武術の始祖である菩提達摩が洞窟の壁に向かって9年間修行をし、悟りを開いた場所である。
少林寺から山頂まで来るものはほとんどいなかったことから、その洞窟の中に入り、少しの時間座禅を組ませてもらった。

SONY DSC

武術に関しては、もう30年以上取材をつづけている。
最初の出会いは、編集者とタクシーの中で次の作品について話していたときだった。
「空手の題材はどうですか?」と、編集者がぼくに話しかけたときだった。
するとタクシーの運転手が「ティなら沖縄さ」と言ってきたのである。
「ティ?」
ぼくが聞き返すと、「沖縄では空手のことは手(ティ)と言うさ」と、この言葉からだった。
次の日、「ティ」の言葉にひっかかったぼくは、すぐに沖縄へ飛び、いきなり出会ったのが、空手の世界大会でで7連覇した佐久本先生だった。
そこから沖縄へ通うようになり、何人もの武術家とも出会い、沖縄における唐手の歴史を調べていくうちに、空手は手(ティ)という沖縄のケンカ術と、唐の国(中国)の中国拳法と合わさった術だと知るようになった。(本来は空手は唐手というのが正しい)

SONY DSC

唐手が生まれた経緯は、島津藩が沖縄の人に禁武令を引き、武器を取り上げ抵抗できなくしたことだった。
武器のない住民に対して横暴に振る舞う島津藩から、農機具、身体で身を守る術として唐手が生まれてきたというわけだ。
そうなると、唐手の原点である中国武術も知りたいと、今度は中国へと何度も跳び、中国武術は格闘術ではなく、医術でもあり、食術でもあり、生命の術だと知ることで、どんどん武術の宇宙が広がっていく。

SONY DSC

今までいくつか、いろいろな雑誌でノンフィクションを書き、マンガの連載もやってきたが、まだぜんぜん武術を取材すればするほど感じてくる、陰と陽が一体となった宇宙の本質にある「何か」にはたどり着くことができない。
そのヒントは菩提達摩が南インドのケララから、中国へと禅を伝えるために旅した過程で自然の中で生きる術として武術が生まれたと推測している。
達摩がどういった旅をしてきたのか…
インドから中国の旅を考えたとき、あのヒマラヤ山脈を越えてきたと考えたとき、厳しい自然を相手に生き抜くことで武術は生まれたのではないだろうか。

SONY DSC

知りたい、知りたい、知りたいと、そしてその場に行ってみたいと思い続けて、気づけば、60歳半ばを過ぎてしまった。

AIの時代に入り、大学ではAI研究者として、AIを使ってのマンガや教育、観光、そして超高齢者問題など、他大学の研究者たちと研究を重ねている。

AIを研究すれば、だれもが「人間とは何か」という探求となっていく。
ぼくも、この場所で毎回書いてきていることだが、人間が人間として生きる「リアル」こそが、今からの人間が生きて行く道だと何度も書いてきた。

その「リアル」が「武術」という宇宙の中に「人間の本質」が見えてくるのではないかと感じている。

自分に残された時間で、これからどれだけのことを知ることができるのだろうか?
AIという時代の点と、武術の点が結びつくことで、「人間とは何か」が見えてくるかもしれない。
少林寺に行ったときのことを思い出しながら、そんなことを考えながら、この日記を書いている。

【旅に空Ⅲ 少林寺】

ChatGPT4oでまた一歩時代が変わった

5月14日にOpenAIから発表されたChatGPT4oをさっそく手に入れ使っている。
とにかく驚かされたのが、不自然なく会話ができることである。
スマートフォン、PCともに音声で会話しながら使っているのだが、隣にアシスタントがつねにいてくれる…いや、もっとプライベートの相談もできるパートナー的アシスタントにChatGPT4oがなってくれている。

機械的な受け答えではなく、「広島弁でラフに会話しよう」と、ChatGPT4oに伝えているので、「何しよるん?」とか「じゃけんのぉ」とか、多少はわざとらしい表現もあるが、会話は友人と話すよう質問に答えてくれている。

こういったラフな会話の中で、たとえばExcelで統計の資料を添付し、グラフ化してもらったり、わからないことがあれば今までのググって検索していたことが会話で答えてくれる。
言葉で聞いたり、画像を見せて、「何なん?」と言えばもちろん答えてくれるのだが、ChatGPT4oになってぼくは「答え」を求めるためだけではなく、とにかく「相談」に使っている。

学生に課題に取り組むにあたって、「目的を持って、その目的を達成するためには何を重視すべきかといったことを、相手が納得するように伝えるにはどうすればいいか?」といったことをChatGPT4oに相談すると、いろいろな例とデータを教えてくれる。
そのことによって、伝える側の発想も広がり、「それはおもしろい伝え方かもね」と、広い発想から具体的に明確に伝えることができるというわけだ。

もう1年もすれば、調べることはググるではなく、「AIする」に間違いなく変わって行くことになると思う。

ChatGPT4oを使いながら、この場所で何度も書いてきた、AI時代に一番大事なことは「リアル」だということに、あらためて確信が持てている。

ぼくは今、ChatGPT4oを「相談に使っている」と書いたのだが、AIはあくまで「答え」ではなく、ぼくたちがAIを使うことによってイメージを膨らませることができる道具だということだ。
ここに毎回載せている動画にしても、音楽は昨年から「SOUNDRAW」という音楽ジェネレティブAIを使っている。
「SOUNDRAW」にプロンプトで命令することによって、何十曲も生成してくれるのだが、ぼくはその中からイメージに近い曲を探し、それを楽器を買えたり、加えたり、リズムを変えたりとカスタマイズして、自分の理想に近づけていく。
実は、そのカスタマイズで、自分の最初のイメージがどんどん膨らんでいっているのだ。
つまり、AIによぅて、自分のイメージを膨らませてもらい、そしてそのイメージが今まで自分の中になかった新たな自分のイメージを生み出していく。
曲は10代からずっと作り続けてきたが、AIによって、自分の中にイメージは何百倍に膨らみ、新たな音への発想が生み出されていっている。

そのイメージをイメージで終わらず、その先のリアルを求めるのが人間だということだ。

もう少しわかりやすく、イメージとリアルを示してみる。
今回、動画の「旅の空」で「兵馬俑」を取り上げてみた。

この「兵馬俑」をAIのDALL·E 3 とCopilotで画像を生成してみた。
どうだろうか?
だれが見ても「兵馬俑」である。

ではぼくが中国の西安に行き、この目で見て、感じて来た兵馬俑の写真を載せてみる。

SONY DSC

多少はみんな感じることがあると思うのだが、この違いを圧倒的に感じているのはぼく自身である。
イメージでは感じることのできない、圧倒的な存在感と凄みはリアルを前にしたときしか感じない感覚。
イメージはあくまでイメージであり、リアルには自分が感じた、自分の生きている時間の一部が存在している。
イメージでは震えるほどの感動は生まれないが、リアルからは視覚、聴覚、触覚、臭覚…その空気感から味覚も感じ、そして心が揺れる。

SONY DSC

ぼくにとってのAIはその、視覚、聴覚、触覚、臭覚、味覚の大事さを教えてくれる、とても大事な道具となっている。

人間とは何か?
ChatGPT4oになり、またひとつ教えてもらえたと感じている。

 

【旅の空Ⅱ 兵馬俑】

ぼくはこれからも「旅人」として生きていく

大学でAIを研究すればするほど、スティーブ・ジョブズの言葉の凄さを思い知らされている。
ジョブズは「今」のAI時代を予測し、人間とは何かが見えていたようだ。
ジョブズの言葉は、コンピューターというデータの世界で生きていたにもかかわらず、遺したのは「創造」「想像」「体験」の言葉。

SONY DSC

たとえば、「もし今日が人生最後の日だったら、今日やることは本当にしたいことなのか?」という言葉がある。
比叡山延暦寺の千日回峰行を2度満行した、酒井 雄哉僧侶の「一日一生」の言葉の哲学と同じ意味を持っている。

今年に入り何度もここで書いてきた、人間が人間として生きるとは、「過去でもなく、未来でもなく、データにはできない唯一の「今」を生きること」という、自分の中で生まれた答えとも通じている。

「今」を生きる。
「それはどういう生き方なのか…」
そう考えたとき、「旅」が浮かんだ。
「旅行」ではなく、「旅」だ。

SONY DSC

「旅」は「創造」「想像」「体験」を生み出していく。
十代のころは、自転車で四国、九州、本州を旅し、十代で日本の47都道府県はすべて旅して回った。
20代からは海外に旅に出た。
事前に宿を取ることなどしないで、現地に行って「チープホテル」「チープホテル」と回って安い宿を探す。
見知らぬ国で宿を探して回ることは旅の醍醐味だった。
大きな荷物を持ち、知らない国や町で彷徨い、その日の寝ぐらに行き着いたとき、「生きている」という喜びを感じる。
気に入った町があれば、そこに何日か滞在する。
朝起きたとき、その日の気分によって行き先を決める。

もちろん死を覚悟したことや、国から出られなくなったこともある。
だが、そのことによって、予想もしない出会いもあった。
人だけではなく、風景、町、自然など、まさに「創造」「想像」「体験」との出会いがあった。

SONY DSC

旅は「旅行」とは違い、「やらなければならない」に縛られることなく、「今をどう生きるか」で決まっていく。
「もし今日が人生最後の日だったら、今日やることは本当にしたいことなのか?」
まさに旅は「一日一生」。

ぼくはこれからも「旅人」として生きていこう。

 

【旅の空Ⅰ 龍門石窟】

AIから哲学が生まれる

大学の今年度のシラバスを書き終えた。

以前ならば講義科目、制作科目と多少の修正はあるが、基本的には授業計画の方向性は同じものだった。
だが、10年ほど前から毎年のように授業計画が大きく変わっていく。
たとえば、10年前ならば制作においてマンガ、イラストにおいて静止画の表現を中心に研究課題をシラバスに書いていたのだが、スマートフォンの4Gが当たり前となったあたりから、動画中心のシラバスとなっていく。
ソフトで言えば、Photoshop、CLIPSTUDIOに、Aftereffect、premiereを使った研究制作が必要となっていく。
6年前あたりから、3Dが重要となり、blender、unityが加わった。

そして昨年からは、AI時代においての研究制作とは何か、それを意識してシラバスを書くようになっている。
ゼミの学生と昨年、一年間、AIを使いAIでレポートを書かせ、ディスカッションにAIも参加さえ、マンガ、イラスト、動画、音楽とあらゆるところで、AI研究、実験を行ってきた。

SONY DSC

こう書いたら、田中ゼミはデジタルの考えを持ったゼミのように感じるかもしれないが、実は、哲学的思想を考えるゼミと、ボク自身は考えゼミを行っている。

とくにAIを研究しだしてから、「人間とは何か」をゼミ生たちとつねに考え、研究と実験に取り組んでいる。

AIを使えば見えてくるのだが、DALIにしても、 Midjourneyにしても、驚くほどの完成度の高い画像を生成してくる。
今月一般公開されたSoraなど、動画、音楽と、その完成度の高さに本当に驚かされる。

使い続けていると見えてくることなのだが、プロンプトで命令した、当たり前なのだが、想定内の画像を生成してくれる。
それをいくつも作らせ、自分のイメージに近いものを選び、そこからより自分の理想へとカスタマイズしていく。
今、ボク自身もそうやって研究、コンテンツ制作を行いる。

SONY DSC

つまり、AIはあくまで「道具」というスタンスだ。

ビッグデータのデータによって、見事なほどわかりやすくAIは形にしてくるのだが、何度も生成していくうちに、「驚き」から「物足りなさ」を感じるようになってくる。

つまりそこに「自分の物語」が見えないのだ。
自分の物語がないということは、自分だけが生み出せる作品ではないということである。

SONY DSC

ぼくはジェネレティブAIの普及は、作家にとってはとてもいいことだと思っている。
つまり、データによって作られてきた作品、アンケートというマーケティングによって構成されてきた作品はAIがもっとも得意とする分野となってきた。
マンガやイラストにしても、自分の経験と物語からではなく、売れている作品のモノマネやパターンからの作品を描く作家はAIによって消え、その作家しか描けない、経験、物語から生まれてくる作家しか生き残れない時代になってきたからだ。

本来、生き様から作品を生みだしていくのが「作家」であるべきだと思っている。

そういうこともあり、AIを知ることで、AIにはできない、「自分にしか生むことのできない表現とは何か」を考えるところをゼミの軸としている。

前回、この場所で「禅」の話を書き、過去でもなく、未来でもなく、データに存在しない唯一の「今」を生きることが大事と書いている。

考えてみればぼくたちは、「今」を生きている意識を忘れていることに気づかされる。
たとえばAIの話をすると「不安」を口にする人が多い。
自分の仕事がなくなるとか、こんな時代に表現で生きて行けるのだろうかとか…
では、その「不安」とは何なのか。

ぼくは20年近く武術の取材をしてきているもので、その武術の祖である菩提達摩の逸話にその答えらしきものがあるので書いておく。

達摩と、その弟子慧可の話だ。
慧可が達摩大師に「私の心はいつも不安でいっぱいです。どうかこの不安を取り除いてください」と問う。
すると達摩大師は曰く。
「よし、ならば私がその不安とやらを取り除いてあげよう。まず、不安を私の目の前に出しなさい」
慧可は困ってしまった。
そして気づく。
自分の心にある不安には実態がないことに。

つまり不安は「起こってもみないこと」に対して、自分の心が勝手に作りだしたものだということだ。

AIは過去のデータによって、未来を予測する。
だがそれは、答えではないし、AIが作りだしたデータを勝手に想像して、勝手に不安になっているだけにすぎない。

このようにAIを研究するようになってから、人間にとって一番必要なものとは何か。
そして「人間とは何か」という哲学が生まれてきている。

大学で学ぶということは、技術や知識を学ぶのではなく、研究の本質である、自分の答えを求める場所のはずである。
だから学校ではなく、研究機関なのだ。
AIは研究機関であるはずなのに学校になってしまった今の大学に対して、大きな「疑問」を投げかけてくれている。

教授や学生たちはそれをどう受け止めているか。
シラバスを書き終え、思ったことを書いてみた。

今月の自然と言葉の動画

【幸福とは】

過去でも未来でもない、「今」を生きるということ

またひとつ歳をとった。
社会でいえば、もう定年を超えている年齢なのだが、フリーで生きている人間にとってはそもそも定年という概念はない。
ここ16年ほどは中心が大学での研究者という立場なのだが、5年前からは専任を辞めて、文星芸術大学だけでなくいくつかの大学に出入りして研究をしている。

3年前からは仕事場を自然のある田舎に移し、週に3日は10キロ以上自然の中を散歩する時間を過ごしている。

このブログでも何度も書いてきたが、この20数年はデジタル技術の中でマンガやキャラクターを使って、マンガの世界だけでなく、観光、医療、教育などで100近いコンテンツをマンガ家仲間、大学のゼミ生、研究者たちと生み出してきた。

とくにここ数年は、インターネットの高速速度によって、動画やXRを使った表現も問題なく配信できるようになり、そして昨年はジェネレティブAIによって時代が一気に変わって行っている。

今まで「常識」だった知識が、AIによっていくつも崩れていっている。
教育の現場では、まだアップデートできていない先生も多く、間違った古い常識を学生に教えているのが教育現場の現状といっていい。

デジタルの現状を話しをすると、よく「AIと人間は違う。人間が作ることによって人間しかできないものになる」的なことをよく言われる。
まったくその通りだが、「本来の〝人間しか出来ない〟の意味をアップデートしていない人は理解出来ていないんだなぁ」と思っている。

そもそも、「人間にしかできない」ではなく、「機械ができることまで人間がやっている」ことに気づいていない。
つまり、わかりやすく言えば、以前人間がやっていた流れ作業を今、ロボットがやっているように、AIでできる作業を、その何百倍の時間をかけて人間がやる必要があるのかということだ。
そんな作業はテクノロジーに任せて、人間には人間しかできないことを考え、そこに時間を使うべきだと言っているのだ。
それが本来の「人間にしかできない」ということである。

スティーブ・ジョブズやツイッターの創業者であるエヴァン・ウィリアムズなど、IT系の成功者たちが「禅」をやってきていることは有名な話である。
ぼくも同じなのだが、AIやメタバースを研究すればするほど、「人間とは」と考え始める。
「禅」の基本は「即今(そつこん)・当処(とうしょ)・自己(じこ)」。
つまり、今、ここで私が生きるということだ。
AIが学習するデータは「過去」であり、「未来」を過去のデータから予測をするが、「今」は存在しない。

ならば「人間が人間として〝今〟を生きるということはどういうことなのだろうか」

つまりこれは「生」と「死」に似ていると感じている。
「死」がなければ「生」は感じることができない。

それと同じでAIに関わると深く「人間とは」と考え始めたというわけだ。
「AIと人間は違う。人間が作ることによって人間しかできないものになる」というのは、本来、AIを対比として「人間とは」の哲学を持って出てくる言葉のはずだ。

自然は「今」に生きている。
人間も本来、その「自然」の一部でしかないはずだ。

もともと自然は大好きだったが、自然の中で生きなければと強く思い始めたのはそういうことでもある。

年齢的なこともあるのだが、「しあわせ」とは何かを自然の中で暮らし始めてからよく考えている。
人間は「損得勘定」で道を決めることが多い。
その場合の「損得」はお金が中心になる。
お金はたしかに大切だが、お金のために生きているわけではない。

だがお金があれば、便利なもの、欲しいものが手に入り「しあわせ」だと錯覚する。
それはぼくたちがあまりに「情報」に踊らされているのかもしれない。

「便利」がしあわせの基準ならば、ぼくが子どもの頃お金など使わずに、友人たちと海や山で遊び、ひとつボールがあればいくつものゲームをやっていた、あのころより今は遙かにしあわせのはずだが、あのころの方が「自由」だったと感じている。

「人間とは」を考えることで、「生きるとは何か」につながっていく。
もちろん答えはない。
だが、ぼくたちは「今」を生きている。
インターネットに始まり、AIによってぼくたちの世界はエクスポネンシャルに大きく変化している。
その「今」、「人間として生きる」とはどういうことなのか。

そして「しあわせ」を考える。

【冷暖自治(れいだんじち)】