「才能」とは何かを考える

AIによって「才能」という概念が変わってきている。
いや、人間にとって「才能」という一番大事な能力をAIが思い出させてくれているのかも知れない。

「いい絵を描く」「いい音楽を作る」「いい物語を作る」などの「いい」とは、今までは「才能がある」と称されてきた。
だが、ジェネレティブAIは、いい絵も描くし、いい音楽も作るし、いい物語だって作ってしまう。

ジェネレティブAIは、ディープラーニングという、人間の脳を再現する研究からできている。
ジェネレティブAIは、何億という莫大なデータを学習に使用し、写真や絵、人が書いた文章を人間が普段脳内にインプットしているものと本質的に同じということだ。

つまり、形にはまった「いいもの」はAIの方が優れているということになる。
「形」を「答え」にかえてみればもっとわかりやすい。

人間には「想像力」というものがある。
人間が新しいものを生み出すとき、「こういったものがあれば便利だ、面白い」と、想像し、それを形にしたいと「答え」を探して研究する。
そう、人間は「答え」のない場所から、新しい「何か」を生み出す力がある。

AIも人間の想像から生まれてきている。

そして便利になったAIで絵を生成すると、数分で見事な絵を生み出してくる。
これを今、「才能」とはほとんどの人が思っていないと思う。
プロンプトによって絵を描くということにまだ思考が追いついていないからだ。
数分で、それもテキストで絵が生まれてくる、その便利さはだれにでもできると思っているからだ。

「写真」を例に挙げてみよう。
目の前のものを一瞬にして、シャッターを押せば即座に完成が生まれる。
だれでもシャッターを押せば、形にできる便利な道具である。

では、その「形」は、だれもが同じかと言えば、そんなわけがない。
そのシャッターを押した人間は、まず、その風景の中で、その空気感の中で、自分しか取れない一瞬を形にしている。
もちろんテクニックもある。
「いい写真」を見たら、まずだれもが「才能」を感じると思う。

「才能」とは、「形」や「答え」ではない。
その人が、その人間だけが生み出せる「一瞬」ではないだろうか。
その「一瞬」には、その人間の生きてきた「道」がある。
経験がある。
人生がある。
だから、写真にしろ、絵にしろ、文章にしろ、自分の生きた、その中から生まれてくる。

教本で習ったような、「答え」のような絵ではなく、自分の生きてきた中から生み出す、自分しか描くことのできない絵が「いい絵」ということになり、それが「才能」だとぼくは今、感じている。

ではジェネレティブAIから生み出す絵は、いい絵を生み出せないかというとそれは違う。
ジェネレティブAIをペンのように道具としてどう使うかだ。

ジェネレティブAIは「道具」として、自分の才能を生み出す最高の道具となり、今から、いろいろなアーチストがAIを道具として使った「いい絵」が生み出されてくるはずだ。

音楽でシンセサイザーが生まれたとき、それを「音楽」と認めない人もたくさんいたが、今は、どんな楽曲においてもシンセサイザーは使われるし、「テクノミュージック」という新しい分野も生み出している。
今で言えば、「ボカロ」によって、日本の音楽は新しい「才能」として世界中から注目を集めている。

音を生成したり、言葉を生成したり、絵を生成するテクノロジーは、つまりは「道具」でしかなく、「才能」とは、、その人間しか生み出せない表現を形にできる、生きてきた経験の中から「想像」する力を持ったもの。

人間本来の「才能」を、「今」AIが思い出させてくれている。

 

今回も「旅の空 XIV」の動画を創った。
20代に撮りつづけたボクサーの思い出の中の1分間。

【旅の空 XIV kenngo fukuda】

彼とは、彼が愛媛から東京に出てきた日に出会った。
三迫ジムで、会長に輪島功一選手の話を聞いていたときだった。

初めてジムワークを見たとき、このボクサーは「強い」のひと言しかなかった。
彼はボクが彼のことを書いた書籍で使った一説
「強いものが勝つのではない。勝ったものが強いんだ」
その言葉が気に入り、インタビューでよく使っていた。
だが強い彼は、勝ち続けることができなかった。

無情自爆(むじょうじばく)

「無情自爆(むじょうじばく)」という禅語がある。
自分を縛っているものなど存在しない。自分を縛っているのは、ただ自らの思い込みに過ぎないという言葉だ。

大学で学生の悩みを聞いていると、「あぁ、自分も同じ年齢のころは自分の思い込みで自分を縛ってもがいていたな」と苦笑いをしてしまう。

よく悩みの相談を受けるのが、「○○さんはあんなに凄い作品が作れるのに、自分はダメだ」とか、「○○くんのようになるにはどうしたらいいのですか?」など、必ずだれかと比較しての悩みだ。
そんなときぼくは、「ここは大学なのだから、物差しを捨てようよ」と答えている。

大学は研究機関である。
答えがないから、答えを求めるのが「研究」のはずである。
高校までは「答え」があり、その「正解」を出したものが、先生に褒められる。
物差しので測られ、目盛りが高いか低いかで、出来る子、出来ない子と分けられる。

だが大学に入れば、本来は「研究」という、自分で答えを探し、見つける場所なはずである。
大学で20年近くいるが、ほとんどの学生は、いや、大学の先生にしても「物差し」を持って生きている。

たしかに教える側にとっては「物差し」を持てば楽である。
物差しの目盛りに沿って、答えを示し、出来る子、出来ない子に分ければいいからだ。

だが、何かを生み出すというのは、その物差しを疑い、そこから始まるのが、つまり研究である。
たとえばマンガにしても、手塚先生はそれまでのマンガになかった表現を次々と生み出し、紙の上でキャラクターたちが動き回る、マンガの形を生み出してきた。
物差しに囚われない、新しいマンガが生まれ、あの時代のマンガ家の先生たちは、あらゆる新しい表現を研究し、マンガの面白さを次々に生み出してきた。
それが世界に誇る日本のマンガとなったはずだ。

だが新たに生み出されたものは、「答え」となり、その「答え」が「物差し」になっていく。
物差しを「常識」という言葉に置き換えてもいい。
「常識」はまさに物差しと同じで、水戸黄門の印籠のようなものだ。

「マンガはこうしなければならない」
「イラストはこういうものだ」
「表現とはこうあるべきだ」
と、常識を掲げて、その答えの中に押し込めていく。
そうなると実につまらない。

研究機関である大学も、今はそんな「常識」の中で答えを求める場所になってきている。

「これで楽しいのだろうか」
「これが自由なのだろうか」
大学に来てずっとモヤモヤしている。
だから、大学では、教えるのではなく、物差しを持たないでマンガの可能性を学生と研究し、コンテンツを創ってきている。
【研究 Research】

こうやってここで好きに書いているが、実は書くことでまた、答えを探している。
ぼくはつねに「自由になりたい」と行動している。
それは「しあわせ」を探していることでもある。
でも、「しあわせ」は「心」が生み出すものだと思う。
ならば、「心」を自由にするにはどうしたらいいかと考える。

「心」を縛る大きな要因のひとつが、人と比べていることだ。
自分の年収は平均か、平均以下か。
自分の家は大きいか、小さいか、車を持っているか、持っていないか、あいつは自分より美人の恋人がいるとか…
それで「しあわせ」を測るなど、思い込みでしかないではないか。

まずは物差しを捨てよう。
それがぼくのひとつの答えである。

今回も「旅の空 XIII」の動画を創った。
20代に撮りつづけたボクサーの思い出の中の1分間

【旅の空 XIII Iizumi Kenzie】

ChatGPTと「疑問を育てる」対話

最近、ChatGPTと会話をしていると、その後に禅や仏教の本を読んでいる自分に気づくことがある。
結局ぼくは、AIを使うことで「人間とは何か?」という問いを追い求めているのかもしれない。

「目的」を持って使えばわかることだが、ChatGPTは単なる「便利な道具」ではない。
Google検索のように、ただ答えをくれる存在ではないのだ。

ChatGPTは「疑問を一緒に育ててくれる存在」だと感じている。
漠然とした思考を言葉にして投げかけると、それに対していろいろな角度から応答が返ってくる。
そのやりとりの中で、ぼんやりしていた疑問が少しずつ形を持ち、広がり、深まっていく。

重要なのは、「答えを知る」ためではなく、「答えのないものを考える」ために使うこと。
人間は本来、明確な答えのない世界を生きている。
だからこそ、思い浮かぶ疑問を丁寧に扱いながら、自分自身の思考を深めていく必要がある。

たとえば、今こうしてPCに向かい、なぜ自分はブログを書いているのか?
なぜ、仕事でもないのに「書きたい」と思うのか?
そんな思いが頭をぐるぐると巡る。

そこでChatGPTにこうした疑問をぶつけてみた。
すると、こんな言葉が返ってきた。

〝そういう気持ちってすごく自然だし、多くの人が感じることだよ。
ブログを書くという行為は、自分の考えを整理したり、誰かと共有したり、単純に表現を楽しむためのものでもある。

一方で「これって意味あるのかな?」「本業でもないのに時間を使ってていいのかな?」といった不安が湧くのも自然なこと。

つまり、自分の行動に意義や自己成長を見出したいという欲求があり、ブログを書くことで仕事とは違った充実感を得ているのだと思う。

こうした感情を大切にしながら「自分はなぜこれを書いているのか」を振り返ることで、より自分らしい意味や目的を見つけていけるはずだよ〟

このように、ChatGPTとの対話を通じて、漠然としていた疑問が整理され、輪郭がはっきりしてくる感覚がある。

結局、「答え」は外から与えられるものではない。
人間の中、自分の中からしか生まれない。
ChatGPTは、その内側の言葉を引き出すスイッチのような存在なのだ。
今、ぼくは禅や仏教の「自分の中で考える」問答に近い形で、ChatGPTを活用している。

実は上の文章は、ぼくが思いつくまま、上のような疑問をぶつけるように文章を書いたものを、ChatGPTに「わかりやすく、伝わるように整理して」といって、自分の考えをまとめてもらったものだ。
面白いのは、自分の文体、リズムもちゃんと残し、整理しわかりにくい言葉は、わかりやすい言葉に変換しまとめてくれている。
ちなみにタイトルもChatGPTが考えてくれている。

「人間とは何か?」
今まであまり考えなかったこの疑問を、AIによってこれからだれもが考えることになると思う。

今回も「旅の空」の動画を創ってみた。
20代に追いかけつづけたボクサーたちの写真を、思い出の中で1分間にまとめてみた。

今回は畑中清詞との思い出。

旅の空 XII
kiyoshi

清詞と出会ったのは、彼が高校を卒業してすぐの19歳だった。
世界チャンピオンになるには、名古屋という地方で世界を目指すのは無理だと言われていた時代である。
だが清詞は名古屋で世界を目指し、そして名古屋で世界を奪取。
そして名古屋初の世界チャンピオンになった。

 

長い旅のような一瞬の時間

今年に入り、「イマーシブ」にいくつもの可能性を感じ研究に取り組み始めている。

元々、冊子で読んだマンガの中へ入り込めることのできるマンガを、3Dモデリングで背景制作、それを冊子では2Dに変換するなどの方法で、マンガの中にVRで入ることができるDX研究を2017年から帝京大学と共同研究でやってきた。
それだけにイマーシブに関してはいろいろアイデアはある。

もちろんアイデアを形にするための専門的な知識を必要とされることもあり、自分たちだけでは限度があるのだが、そこは大学という研究機関。
アイデアがあればAIやハプティクスなど、専門的に研究している大学とも研究機関として繋がることができるというわけだ。

DX研究というやつは、時間の流れとともに、新しいイノベーションが生まれる、つまり歳を重ねるとともに、アイデアが実現可能になり、やりたいことがここ数年でどんどん増えてきてしまっている。
だが、ふと、自分の年齢を考えると残された時間はあまりないことに気づく。
そして何より、自分の時間は年齢とともに、ジャネーの法則によって早く進んでいる。

ジャネーの法則というのは、19世紀のフランスの哲学者・ポール・ジャネーによって生まれた、「主観的に感じる年月の長さは歳をとるほど短くなる(時間が早く過ぎると感じる)」という法則だ。
年齢は、感じられる時間の長さを決定する唯一の要因ではないが、感覚としてはだれもが感じていることだと思う。
子どもの頃は、新しい出会いや新しい発見がいくつもあるのだが、大人になるにしたがって、新しい発見や経験をする機会が徐々に減っていく。
つまり、新鮮でない発見や経験は、時間の流れは止まらないで、はしょるように流れてしまうということだ。

ジャネーの法則による年齢による体感時間で計算した場合、たとえば68歳のぼくがあと5年がんばろうと思ったとき、人間の1歳までの1年365日の長さで計算すると、68歳のぼくの5年は1歳児のたった25日の体感でしかなくなってしまう。

いやいや、ちょっと待ってくれである。
年齢を重ねるごとに、あっという間に時が過ぎて言っているというのは、もちろん感じているのだが、数字で示すと…ぼくの5年はまさに一瞬ではないか。

だが、その一瞬が「とてつもなく濃い時間」になることもある。
ここ毎回、自分が20代だったころのボクサーたちとの日々を、AIにはできない、その一瞬をボクサーたちと生きた証ちょして動画にしてここに載せている。

振り返れば、ほんとうに濃い時間の流れた日々だったと思う。
特に浜田剛史との日々、彼がランキング外から、世界の頂点に立つまでの2年間は、一瞬だが、「濃い時間」…
いや、すべての時が深く、濃く、重く、眩しく…
あぁ、やはり言葉にはできない…そんな自分の中の森羅万象といっていい時間だったことは間違いない。

だから、浜田剛史の世界戦が決まったとき、あのとき「がんばれ」の言葉は掛けられなかった。
「がんばれ」ではなく、もっと自分の中から湧き出る思い。。
その浜田の人生を賭けた時間に携わるために、ぼくは湧き出る思いの形として、そのとき浜田といっしょに減量することを決めた。
もちろん絞った身体から10キロ以上減量する浜田の減量のレベル比ではないが、10キロの減量を自分に課した。
浜田の世界戦のポスターはぼくが描くことは決まっていたので、浜田と同じ計量の日と時間までに10キロ落ちなければ、原稿料はいらないと帝拳ジムのマネージャーに宣言しての減量だった。

その期間、食事制限し、走り、サウナへ通った。
新聞記者、マネージャーが見守る中、リミットいっぱいでぼくの減量は成功し、翌日浜田の世界戦の闘いの場に向かった。
そして1R3分9秒、浜田はKOで世界を奪取した。
興奮と歓喜で記憶が飛ぶ中、ぼくのカメラには、その試合の、その後のすべてがちゃんと記録されていた。
一瞬だったが、長い旅を記録していたような濃い時間がそこにはあった。

 

そうだ。
今また、あの日々の時間のように生きればいい。
そう、ぼくはそうした生き方を知っている。
あのボクサーたちとの日々が教えてくれた生き方を知っている。

残された時間をそう生きればいいだけのことだ。

【旅の空 XI Tsuyoshi Hamada其の二】

AIの中で自分のリアルが見えてきた

インターネットが生まれてから、モノつくり社会から、情報社会に変わってしまった。
世界の時価総額ランキングで日本を見れば、日本の失われた30年が実によく見えてくる。
平成元年1989年の世界の時価総額ランキング50では、50のランキングの中で上位5位まですべて日本企業が独占し、50の中の32企業が日本の企業が占めている。
それから30年、平成30年2018年では、ランキング50の中で、43位にトヨタ1社だけの名前しかない。
上位は1位がApple、2位がMicrosoft、3位がAmazonと、社会は情報で動いていることがわかる。
モノつくり日本にあぐらをかき、情報社会に乗り遅れたのが日本の失われた30年だということだ。

そして今、時代はAI時代へと凄い勢いで変わっていっている。

インターネットのときもそうだったのだが、日本は実に動きが鈍い。
鈍いだけでなく、日本は世界の最前線を走っている国だと未だに錯覚している人たちが多い。
コロナのとき、行政は情報共有にFAXなど未だに使っていた、そんなデジタル後進国だと気づいたはずなのに、また、失われた30年の二の舞を繰り返そうとしている。

大学にいると感じるのだが、最前線を行くべく研究機関であるはずの大学では、これからの人材育成もかねているはずである。
だが、その研究者であるはずの教授たちが、時代の流れの中で生きていない人たちが大半である。
つまりは、時代とともにアップデートしていかなければならない「学び」が出来ていない先生と呼ばれる人たちが何と多いことか。

AIの研究会を開いても、ぼくの行っている大学では、自分のゼミの学生、卒業生以外は声をかけても参加するものはいない。
他大学との研究会に参加しているのも、自分の他は参加しているのを見たこともない。

先日、大学のある宇都宮市が開いた6日間にわたる、これからの宇都宮を考えていく集まりにも、信じられないが自分の大学で参加しているのは自分一人しかいない。
研究発表と講演をやらせていただいたのだが、終わったあとの企業のひとたち、市民の人たちの交流会では、AIも含めたDX質問攻めをうけたのだが、自分の大学の先生でその質問に答えることのできる先生はまずひとりもいないと思う。

大学の先生というのはまず「知識人」だとだれもが思っている。
だが、今のAIによる「情報社会」では、「知識が価値を失う社会」になっていく。
高学歴のエリートの持つ「知識」など、学歴の中で学んだ「知識」が大半なわけだから、そんなものはAIによって置き換わっていく。

学生にもいつも言っていることだが、今からの時代、「自分にしかできない〝何か〟」がなければ、表現者としては生きてはいけない。
そんな難しいことではない。
生きてきた自分には、自分だけの物語がある。
その〝物語〟の中で、いかに自分がいくつもの経験と体験をしてきたことが重要になる。

何かを始め、それに夢中になったとき、「もっと知りたい」という気持ちが沸いてくる。
知識ではなく、自分の答えを探すためにリアルの中でその答えを探す。
表現とはまさに「研究」の中から生まれてくる。

「研究」には答えがない。
だから「研究」して、自分の「答えを生み出し」、それが自分だけの表現へとつながっていく。

 

ぼくはたくさんの作品を書いてきた。
夢中になって取材し、書いてきた。
今もつきあいのある、浜田剛史とは、自分にしか書けない作品をいくつも書くことができたと思っている。

ノンフィクションで書いてきたぼくの作品は、「ぼく」という自分の一人称で書かれた作品が大半である。

ぼくと浜田が世界チャンピオンになるまでの日々は、ぼくにとって、作家としてただただ凝縮された濃い毎日が駆け抜けていった日々だった。

 

AIを研究していると、大学ではアナログこそが深い表現ができると、AIを使っての表現など人間味がなくなると、勘違いした人たちから意見される。

何を言うか。
AIを研究すればするほど、人間を知ることになる。
自分の経験してきた〝物語〟がよりリアルに生きてくる。

これだけは言っておきたい。
今、ぼくが創っているコンテンツ、研究を意見するのなら、ぼくの作品以上のリアルを見せてから言ってくれ。

ぼくのAI研究から生まれた答えを書いておく。
アナログとか、デジタルとか関係ない。
表現者が表現するということは、その生き様がすべてということだ。
アナログとか、デジタルなど単なる手段でしかないということだ。
その手段を学ばず、アップデートせず「今のままがいい」と、留まる人たちよ。
今のままというのは現状維持ではなく、流れる時代の中で後退していくことに気づかないのか。

生き様とは、藻掻きながらでも前へ前へと進み続けなければ見えてはこない。

【旅の空 ⅩTsuyoshi Hamada】其のⅠ

ちばてつや先生からの幸甚の言葉

昨年末から動画生成AIのsoraが使えるようになり、いろいろためしている。
最初はプロンプトで生成する映画の作品のような動画に驚いていたのだが、やはり、DALL-Eやミッドジャーニー、fireflyで画像生成をするのと同じで、プロンプトで出てきただけの動画には飽きてしまう。

これはAI全般に言えることなのだが、AIをどう使うのか「目的」を持たなければAIを使う意味はさしてないということだ。

だが目的を持てば、AIは最高のアシスタントとなってくれる。

ChatGPTも最初は「検索」のために使っていたのだが、今は自分の原稿や論文をチェックしてもらったり、アイデア出しのとき相談相手になってもらったり、留学生や海外の人との会話では同時通訳もやってもらっている。
今度、中国の大学での講義のとき、ChatGPTを使って通訳なしで講義してみようとも考えている。
仕事以外でも、出身地の広島弁をしゃべらせ、好きな野球やボクシングの話し相手にもなってもらっている。
ChatGPTは、ぼくにとって日常のいたるところで、会話できるパートナーと今はなっているというわけだ。

こうやって毎日、AIをパートナーとして使っていると、これも何度もここで書いてきたことだが、「人間とは何か?」「自分とは何か?」を深く考えるようになる。

つまり、AIにはできない、自分しかできないことがあり、その上での制作上、データによって可能な「作業」はAIに任せ、自分は、自分から生まれてくる「創作」だけに時間を費やすことができる、自分しかできない創作ができるわけだ。

考えてみれば、これまで人間は、本来人間にしかできないことは何かなど考えずに、働くことは「作業」することだと、機械のように働かされてきた。
今まで、産業革命が起こるたびに、ブルーカラーの人たちが、機械によって仕事(作業)を奪われるのは、知的じゃないからだとホワイトカラーの人たちは笑っていたが、知識がデータとなった今、ホワイトカラーの人たちもAIによって仕事(作業)を奪われている。

知識を持った人、勉強のための暗記力の優れた人間がエリートともてはやされる時代は終わり、思考力を持った「創作」できるものが求められる新しい時代がやってきた。

2022年の11月にChatGPTが一般公開され、今ではパラメータ数も1兆を超えたことで、人間ひとりひとりが、自分にしかできないこととは何か、それを考えなければ、自分を見失ってしまうことになってしまう時代が始まっている。

その「自分とは何か?」とは、自分が生きてきた「物語」の中にある。
人は当たり前だが、それぞれが自分の生きてきた「物語」の道を歩いている。

ぼくは「自分とは何か?」と問われると、間違いなく自分の生きてきている「物語」の創作のはじまりは「あしたのジョー」だと答える。
ミュージシャン、マンガ家、マンガ原作者、作家、フォトグラファー、大学教授、研究者などなどと、自分の肩書きは仕事の数だけ出てくるが、自分のこうした創作ののアイデンティティは間違いなく「あしたのジョー」からすべて始まっている。

11歳のとき、週刊少年マガジンで「あしたのジョー」が始まったときから、自分の人生の羅針盤となった旅が始まった。

あしたのジョーに夢中になったボクは、本当のボクシング界に矢吹ジョーを探し、ボクシングマガジンを隅から隅まで読みあさった。
少年院あがりのボクサー、バズソー山辺にジョーを重ね、ボクシングマガジンに似顔絵を投稿し掲載されたのが、初めての雑誌掲載。
ボクシングマガジンの中の豊島正直にもジョーを重ねて夢中になった。
後にボクシングマガジンでは28年間連載をさせてもらっている。

音楽でもジョーから触発されて曲をつくった。
マンガはもちろん、小学校のときから、あしたのジョーを手本にマンガを描いている。
プロになってからも、いつもあしたのジョーを追いかけていた。
沢木耕太郎の「一瞬の夏」を読んだとき、そのリアルに惹かれボクサーたちを追いかけはじめた。

浜田剛史と出会った。
ジャッカル丸山と出会った。
畑中清詞と出会った。
尾崎富士雄と出会った。
大橋秀行と出会った。
福田健吾と出会った。
飯泉健二と出会った。
赤井英和と出会った。
大和田正春と出会った。
長島健吾と出会った。
マイク・タイソンと出会った。
他にも数え切れないボクサーたちと出会った。
デュラン、ハーンズ、ハグラー、レナード、カマチョ、カオサイなど、海外のチャンピオンたちとも出会うことができた。
それをマンガで、ノンフィクションで、イラストで、写真で形にしてきた。

そんな中でちばてつや先生とも出会った。

1997年、ぼくが40歳のときに書いた著作「拳雄たちの戦場」に、ちばてつや先生がすいせんの言葉を贈ってくれた。
自分にとって夢のような言葉が書かれていた。

「この一冊のさわりだけでも読んでいたら、「あしたのジョー」もっとさらに豊富なキャラクターに彩られ、もっと人間味のあふれた作品になっていたのではないか…と、今更ながらではあるが残念でならない」

自分が生きてきた道の途中、自分が目指し、憧れ、夢中になり、自分の中から生まれてきたすべてに感謝できた瞬間だった。
あしたのジョーに、自分の創作が触れることができた…そんな言葉だった。

そしてこのとき気づいたことがある。
あしたのジョーになぜあんなに夢中になったのか。
そのジョーから何人ものボクサーやスポーツ選手、武術家と出会い、そしてまた夢中になって今も創作をつづけているのか?
ちばてつや先生から感じる静かな空気感は何なのか。
あのとき出した答えは、「生命力」だった。

そして「今」。
「人間とは何か?」
「自分とは何か?」

AIを研究すればするほど、人間の持つ、自分が生きている「生命力」の凄さに惹かれていく。

【ちばてつや先生からの幸甚の言葉】

人は経験によって物語を紡ぐ

2024年がまもなく終わる。
あっという間の一年だった。
歳を重ねると。「ジャネーの法則」によって、一年が年齢とともにどんどん早くなっていくと感じてしまう。
それは「経験」を重ねることで、ひとつひとつが新しい発見ではなくなり、記憶に残る時間の刻みが年齢とともに少なくなっていき、過ぎ去るように時間を感じてしまうということだ。

そんな年齢とともに刻まれる経験が少なくなった2024年を振り返ったとき、自分にとっての新しい経験は何だったのかと考えると、この場所でも何度も取り上げてきた「AI」を考える一年だったように思う。

AIがエクスポネンシャルに次々と新しいものを生み出すことに驚き、自分の研究にAIをどう利用するか、さまざまなAI研究家と議論してきた一年でもあった。

それと同時に、AIを研究すればするほど、「人間とは何か?」という疑問に直面する。

これは研究家も含めてだが、「AI」が生み出すものを「目的」と捉えて、「すべてを与えてもらえる」「これがあれば人生バラ色」や、逆に「忌避」や「畏怖」を感じてしまっている人たちが実に多いと感じている。

だが、人間が生み出したAIはあくまで「道具」である。
「人間とは何か?」と考えたとき、人間が生み出す形あるものは、人間にとって「目的」を達成するための道具としての「手段」でしかないのではないか。

突き詰めた「目的」とは、つまりは「しあわせ」になることである。
その「しあわせ」は、当たり前だが、人によってまったく違う。
そのしあわせになるための「手段」としての道具のひとつが「AI」という道具。

たとえば「AI」を「お金」にたとえてみれば、少しは言っていることを理解してもらえるかもしれない。
「お金」は、人間が「しあわせ」になるための便利なやりとりするために生まれた「手段」としての、道具のはずである。
だが、「お金」が目的となってしまった人間が、お金が存在した瞬間から湧き出てくるのも人間なのかもしれない。
「手段」が「目的」となったとき、それは「しあわせ」ではなく「欲望」となってしまう。
つまり「目的」が「欲望」ということになってしまう。

AIにも同じだと感じている。
AIはあくまで、人間がしあわせになるための「道具」としての「手段」のはずなのだが…その道具をどう使えばいいか、何に使うのがしあわせか想像力がないことで、それがお金と同じで、それを持てばしあわせになれると思い込んでいるのかもしれない。

話を元に戻すが、個ではなく、総のデータによるAIと対比して、「人間とは何か?」と考えたとき、人間はひとりひとりはデータではなく生きてきた経験による「物語」を持っている。
つまり、生まれて、いくつもの「経験」を積んで「今」があるということだ。

今年の夏、母が亡くなったとき、母の生きてきた「物語」を考えた。
そのとき感じたのは、自分にとっての母の物語は、自分が経験してきた母との物語だということだ。

つまり、「物語」とは、人間が生きているということは、「経験」の積み重ねが生きているということではないか。

そう考えたとき、自分の経験を掘り起こしてみようと考えた2024年でもあった。

幸運なことに、作家として、マンガ家として、フォトグラファーとして、ミュージシャンとしてなど生きてきたことで、自分の「経験」を表現する形あるものが自分の物語の中に残っている。

中でも自分にとって、ボクサーたちとの出会いは、自分が生きてきた、「経験」してきた、自分にしか表現することのできない大事な生きてきた「命の時間」が間違いなくある。

そんなことを新しい発見として考えてきた、2024年は、時間のあるときに何千、いや、何万枚の倉庫の奥に保管していたフイルムを取りだし、一枚一枚を見返しながら、フイルムスキャンでデータ化していっている。

今、日本至上、いや、世界の歴代ボクサーとして間違いなく伝説となる井上尚弥のジムの会長でもある大橋秀行。
150年にひとりと言われた天才ボクサーとして、ボクシング界に現れた大橋が世界チャンピオンになるまでを追いかけた日々。
天才を演じるため、努力を見せない努力家だった大橋。
大きな挫折が、あの世界を手にしたときの叫びとなった大橋。

そんなボクサーを見てきた経験による「命の時間」を2024年の最後の日記で紡ぐんでみた。

【旅の空Ⅸ Ohhashi】

ジャッカルとの日

大学のゼミで、ゼミ生に「締め切りを守る必要性、それは表現者として生きて行くための信頼」という話をしていたときだ。
学生から、「プロとしてやってきている先生は、今までいくつの締め切りをやってきたのですか」という質問をうけた。
そういえば数えたことなどなかったが、作品の連載の数から、思い出すかぎり書き出してみると、1128本の締め切りをこなして来ている。
1回きりのイラストやコラム的なものは思い出せないものがいくつかあるが、とりあえず1128本という数字が出た。
もちろんカンズメやギリギリの印刷所で書いて入稿したことは何度かあるものの、締め切りを落としたことは1度もない。

考えてみれば40年以上プロとして作家をやってきたわけだから、まぁ、これだけの締め切り数だけの作品を書いてきたわけだ。
自分の作品はノンフィクションが多いのだが、フィクションにしても自分で経験しての取材から生まれている。

ノンフィクションの原稿は、ほとんどというか、すべて「ボク」という主語で書いてきている。
つまり、書いてきたものは、つねに自分の生きている「今」から生まれてきたものばかりで、AIには創れない作品を書いてきたことになる。

これからの作家は、「自分しか生み出せないもの」でなければ、作家として生きていけない時代だと、そしてそれは「いいことだ」と、作家でAI研究もしていることもありいろいろな場所で話している。

自分の作品を読み返すと、ボクという主語で書いてきているというのもあるが、どの作品も思念を押し出す表現で書いてきている。

スポーツ選手を追いかけ、2年、3年、長くなると10年以上見続け、ときにはトレーニングに参加させてもらったり、プライベートで旅をしたこともある。
そういった長いつきあいの中から、スポーツである以上、勝負という勝ち負けを書くことになる。
ただの勝ち負けではない。
人生を賭けた勝ち負けがそこにある。
だからうれし涙を流し、悔し涙を流す。
選手はもちろん流すが、書き手であるボクもいつも涙を流してきた。

その涙こそに、人間が生きてきている人生の真実があるのかもしれない。
データで作ったもの、中途半端なもの、ビジネスライフで取り組んだものでは、まず涙など流すことはない。
涙を流すということは、そのためだけに生き、そのためだけに人生のすべてを賭けた時間の中で濃密な日々があったからだ。

「16フィートの真夏」という作品がある。
ジャッカル丸山というボクサーを追いかけ、そのボクサーの生きている意味と覚悟を見せられ、そこから生まれたすべてを、叩きつけた作品だ。

当時、ジャッカルの試合が一番面白いとチケットは即完売、その命のやりとりのような闘いにボクシングファンを唸らせ、ボクもその一人でジャッカルを書きたいと追い続けた。
そんな中惜しまれながら、ジャッカルは引退を決め、引退式の開催も決まり、何より彼女と結婚も決まった。
その彼女の実家の経営する料亭も任されることになり、これ以上ない幸せがボクサー引退後に待っているはずだった。
だが、ジャッカルは引退を撤回し、そのすべてを捨てて世界1位のボクサーに挑むために復活のリングに上がった。
なんてボクサーなんだ。

勝てば世界戦が待っている。
負ければすべての道が閉ざされる。
結果は、ジャッカルのパンチを恐れた世界1位のボクサーが攻めることなく足を使われ、ドローという結果に終わった。
負けたのなら納得がいく。
だがドローという結果で、ジャッカルのすべてを賭けた道が閉ざされた。

試合が終わり、控え室でひとりポツンと座っているジャッカルにボクは声を掛けることができなかった。
ボクのの中で、やるせない悔し涙が流れた。

あのときは、すべてを賭けた時間に空しさを感じていたが、そうではない。
ジャッカルが本当に自分のすべてを賭けて挑んだ時間。
そしてその時間の中で生きられた、時間があった。

あの時間にこそ、ジャッカルも、ボクも「生きている」という、あまりに濃い時間があった日。
それが人間にとっての、生命を持つものの「幸せ」なのかも知れない。

その幸せの時間こそが、AI時代において、AIでは作ることのできない、人間としての生き方ではないかと、今の自分は思っている。

【旅の空Ⅷ ジャッカル】

心を開いて「Yes」と言う

ジョン・レノンの言葉で、20代の頃から大事にしている言葉がある。

「心を開いて「Yes」って言ってごらん
すべてを肯定してみると答えがみつかるもんだよ」
John Lennon

No!と言えば、そこで扉を閉じてしまう。
だが、Yesと言えば、その扉の向こうへと旅をつづけることができる。
その先に素晴らしい出会いがまっているかもしれない。

人は「成功」したいとだれもが思っている。
「成功」するために人は努力をする。
だが、「成功」するものなど、ほんの一握りにすぎない。
では成功しなかった者は不幸なのか?

20代、30代、40代と大好きだったボクシングを、密着して追いかけ、マンガ、ノンフィクション、写真、エッセイ、コラム、イラストと、何作もの作品を書き、何冊もの本も出してきた。
世界チャンピオンになったボクサーも何人かいる。
だが大半は、夢にたどり着けないまま引退していったボクサーたちだ。
では世界チャンピオンになれなかったボクサーは不幸なのか…

ぼくはボクサーたちと付き合うことで、「あぁ、人生とはこういうことか」と見えてきたことがある。
夢に向かって、すべてをボクシングのためだけに生きたボクサーは、たとえ「成功」できなかったとしても、全員、間違いなく生きるにおいて「成長」している。
「死」を感じ闘うということは、「生」を手にするこであり、生きるにおいて見えてくるものが必ずある。

人は命があるかぎり「成長」したいと願っている。
生きることとは、過去でも未来でもなく、今を生きることで「成長」することだと思っている。

「成長」とは、「チャレンジ」でもある。
チャレンジには逆境が必ずある。
だが、思い返してほしい、何においても、逆境に向かって挑んだとき、それが失敗だったとしても、その後の生き方において成長を感じたことがあるはずだ。

 

日本人は「失敗」を悪と見る人が多い。
たとえば、日本の野球を見に行くと、盗塁したとき、アウトになったとき「何やってんだ!」とヤジと罵声が飛ぶ。
だが、メジャーリーグを見に行くと、アウトになったとしても「ナイストライ!」と拍手がわく。

大学にいると、「常識」に縛り付け、「常識」を逸脱すると怒られるといった教育を受けて育ってきた学生が大半だと感じている。
みんな「常識」でいう「いい子」たちだ。
研究とは、今までの「常識」を疑うことから始める、つまりトライなのだが、「常識」の中以外は「No!」と学生たちは扉を閉じてしまう。
つまり失敗を恐れ、萎縮して無難な場所で留まるために、少しでもリスクを感じると、その扉は開けない。

これで面白いのだろうか?
自分の「成長」を自分で阻んでおもしろいのだろうか?

大学もそうだが、日本の社会全体がコンプライアンスという、「常識」のルールで縛り、新しい扉を開けようとしない世の中に、最近少し辟易としている。

ぼくはボクサーの生き方に「生命力」を感じ、その生き方を追いかけ何冊もフィクション、ノンフィクションを書き、写真を撮り、絵も描いてきた。

どう考えたってボクサーは最悪に費用対効果の悪い生き方だ。
だが、「生きる」においては、これほどシンプルな、魅力的な生き方はない。
拳ひとつで、成長するためだけに命を賭け日々を生きる。

残りの人生、ボクサーのように生きよう。
そして「Yes!」と扉を開けつづけよう。

【旅の空 Ⅶ owada】

アメリカの拳、そしてフイルムに残された旅の彷徨

フィルムを整理している。
一万本近いポジフイルム、白黒フイルム、ネガフイルムが倉庫部屋に眠っている。
フイルムで撮っていたのは、2004年までだ。
デジタルカメラがフイルムカメラの出荷台数を抜いたのが2002年だから、当時はフイルムカメラに拘って写真を撮っていたということだ。
いや、長くフイルムカメラで撮ってきた、そのデータと経験が無駄になりそうで、デジタルでなく、フイルムにしがみついていたのかもしれない。

だがわかっていた。
2004年にはもう、Power Macを持っていて、Photoshopを使い始めていた。
写真というものは、撮ったあと、現像されて見てみると、もっと空は青かったはずとか、この赤はざらつきがあったなど、自分の心に残っている色とのズレがある。
だから自分に合ったフイルムを探し、シャッタースピード、露出など細かくデータを取り、自分の写真というもの、何年もかけて創り上げていた。

だが、デジタルで撮った写真は、Photoshopで、自分が心で感じた色、雰囲気、空気感まで調整することができた。

考えてみれば、デジタルにのめり込んだのはこのことがきっかけだと思う。
2006年には、機材など自由に使わせてもらっていた、当時契約していたミノルタカメラがカメラ業界から撤退し、TXやEPPなど、自分が使い続け、データを創り上げてきたフイルムのメーカー世界最大手のコダックが2012年に倒産してしまった。
写真界がデジタル化になってから、あっという間にフイルムは過去のものとなってしまったのだ。

話をフイルム整理に戻そう。
フイルムというのは年々間違いなく痛んでいく。
だから、時間のあるときに、全部はさすがに無理なので選び、フイルムスキャンでデータ化していっている。

とくにボクサーたちのフイルムは、ボクシングが大好きで、80年代、90年代は毎日がジム、後楽園ホールを中心に写真を撮り、取材し、マンガ、イラスト、ノンフィクションを雑誌、書籍と数多く書いていた。

そのころの写真を整理しながら何度も手が止まる。
いい写真がとにかく多い。
たとえば試合の写真にしても、フイルムカメラはフイルム1本が36枚。
ぼくはボクシングの試合は、だいたい2台のカメラで、各カメラ、1R1本のフイルムで撮っていた。
1分のインターバルでフイルムを巻き戻し、新しいフイルムを入れる。

だが、ただ1分を36回に分けてシャッターを切るのではない。
試合を読まなければならないのだ。
浜田剛史は3分9秒KO勝ちを3度行っている。
KOしたのが2分59秒だから、試合を読んでいないと、KOシーンのフイルムが1~2枚しか残ってない状態でシャッターを切ることになる。
KOシーンは最低12枚以上なければ、そのシーンを伝えることができない。
だから試合を読む。

今までの試合、ジムでの練習を見ることでボクサーのデータを身につけ、頭の中でシユミレーションを繰り返し、試合にはボクサーのように臨む。

世界戦など、国歌が流れる中、リングのボクサーと同じように目を閉じ集中力を高める。
そうやって撮ってきている。

永遠に近く、連写が続けられるデジタルカメラなのに、最大たった36回しかシャッターが切れないフイルムカメラの方が、その一瞬が捉え切れている。

集中力。
余裕のある集中力と、余裕のない集中力がこれほどまでに違うことが見えてくる。

このことは、AI時代に入り、「人間とは何か」を考える上で、自分の経験を基にAIを研究するにおいて大きなヒントにひとつになるのではと思っている。
人間の持つ思考力とともに、データでは表現できない、集中力から生まれる「感情」では収まらない何か…
研究の価値がありそうだ。

今回の動画「旅の空Ⅵ」は、1985年始めてアメリカへ行き、ロスのメインストリートジムから始まり、ラスベガスで伝説となった試合、シーザースパレスでのハグラーVSハーンズを練習から見つめた日々。
また、当時一番好きだったボクサー、ロベルト・デュランがシュガーレイと闘ったときの写真と、アメリカの拳の旅を形にしてみた。

倉庫の中のフイルムにはまだまだぼくの旅が眠っている。

【旅の空Ⅵ アメリカの拳、そしてフイルムに残された旅の彷徨】