旅の始まり

大学での恩師の三浦久先生に久しぶりに会いにいってきた。
三浦先生はミュージシャンと大学の教授をやりながら、ふるさとの長野県の辰野町で35年以上前から、ライブハウスをやっている。

そのライブハウス「オーリアッド」で、やはり三浦先生を恩師としている「あのねのね」の清水国明さん、原田伸郎さんが、あのねのね50周年全国ライブツアーの中に、三浦先生のライブハウスもツアーに入れたのだ。
過去には武道館でもライブをやったこともあり、このツアーも全国のホールを回っているあのねのねの二人が、たった50人しか入らないライブハウスでのライブをなぜ入れたのか。

あのねのねの二人は、ライブで「自分たちは三浦先生によって、今の活動の原点がある」といった話を語り、50周年ライブツアーは三浦先生のライブハウスで歌うのが、一番の目的だったとも語った。
そう、人には、自分の人生が動き始める大事な出会いというものがある。

実はぼくも、大学で三浦先生に出会ったことによって、当時、大人気だったあのねのねもいた、インタースペースKIYOTOレコードという事務所を紹介され、その事務所でミュージシャンとして活動していた時期がある。
当時、週刊少年ジャンプで賞をもらい、マンガ家になろうとしていたときに、突然ミュージシャンとしてプロの世界に足を踏み入れることになったというわけだ。
18歳の春である。

事務所には、河島英五さん、やしきたかじんさん、笑福亭鶴瓶さん、タンポポ、ナック、そして三浦先生など多くのアーチストが所属していた。

あのねのねとは一時期行動を共にし、河島英五さんとは全国ツアーをいっしょに回るなど、今考えると、とてつもなく大きな経験をさせてもらった。

テレビの世界、ラジオの世界、映画の世界、イベントの世界など、あのねのねや河島英五さんといっしょに仕事をさせてもらえたおかげで、メディアにおいてプロのトップで活躍する人たちと何人も出会い、十代にして「プロの凄さとプロ意識」というものを目のあたりにすることになった。

※当時のミュージシャン時代の話は、旧HPの「あの頃ミュージシャンだった思い出」に書いています。
http://2002.seiichi-tnk.com/music.html
〝あの頃ミュージシャンだったような思い出〟

ミュージシャンとして活躍できなかったこともあり、三浦先生は今も、「田中くんの人生を狂わせてしまった」と言ってくるのだが、それはまったく違う。

ミュージシャンでは活躍できなかったとはいえ、その後のマンガ家、原作者、作家、ノンフィクション作家、ジャーナリスト、フォトグラファー、ディレクター、プロデュサー、研究家、大学教授など、自分が表現したいことで自由に生きてこれているのは、間違いなく、三浦先生との出会いがスタートだと思っている。
活躍できなかった音楽にしても、コロナ前までは年に何度かライブもやってきたし、今も曲を作っている。
動画制作などの仕事で、シンセやPCでの作曲をし、そして今はAIを使って曲作りを続けている。
(いつもこの場所に載せている動画も、曲はAIを使って作曲している)

ニーチェの言葉に、「生きるべき理由を知っている人は、そこにいたる方法も探し出す」
というのがあるが、「そこにいたる方法」には必ずきっかけがある。
そのきっかけを三浦先生に与えてもらったことは間違いない。

よく人生を旅に喩えることがある。
ぼくも自分の書いてきた本の中で、旅の喩えは何度か書いてきた覚えがある。

人生に立ち向かっていく中で、どんな自分になれるのか、どんな人と出会えるのか、それこそが旅であり、人生の本質だからだ。

旅の始まりは、だれもが無名で、何者でもない存在からスタートする。
その旅が何者かになろうとするときに、間違いなく出会いがある。

今回、オーリアッドで先生からのリクエストで17歳のときにつくり、先生との出会いのきっかけとなった「季節風」という曲を久しぶりに歌った。

そして先生から昨日メールが届いた。
「大学のプレハブの小屋の中で初めて聞いたときの感動が蘇りました」

そうだった。
プレハブの教室の中で、ぼくは人の前で初めてこの歌を歌い、旅が始まったのだ。

 

久しぶりに歌った「季節風」

 

自然の中で暮らし始め、今月作った言葉の動画
「すべては途中でのできごと」