イマジン(想像)

2019-2-28

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ちばてつや先生が、大学の学長に就任した。
ちば先生ともここ数年、大学からの学長要請の話しがあり、いろいろ意見も求められ話し合ってきた。

その中で、ちば先生が引き受けると決めたかぎりは、当たり前だが全力で力になっていくつもりだ。

この変革の時代。
いや、人類がかって経験したことのない大変革の時代、大学も変わっていかなければ、あっという間に必要ない大学となり、間違いなく時代から消えていくだけである。

このタイミングでちば先生が学長に就任したのには大きな意味があると思っている。
今、なぜここまでの大変革が起こっているか。
今までの産業革命とは別次元のスピードで変革している、前々回でこのブログで書いた、エクスポネンシャルで時代は動いているということである。

今は間違いなく第四次産業革命に入っているわけだが、エクスポネンシャルに時代を変えているキーワードは、「インターネット」「ioT」「AI」である。
すでに中国では始まろうとしている、5G(第五世代通信システム)によって、インターネットによってあらゆるもがioTとなり、そこにAIが入ってくることとなる。

そのことによって、既存の仕事の半分以上はここ数年で、この「インターネット」「ioT」「AI」で人間を必要としない仕事と変わって行く。

そのことに対して悲観的に捉える人が多いのだが、実はぼくは大歓迎なのだ。
近代社会は「高度経済成長」という号令の元、人間はまるで機械のように働かされてきた。
経済成長こそが人間の幸福があると幻想を抱いてだ。

だがそれで人間は幸福になったのだろうか。
経済成長によって、たしかに便利にはなった。
だが、幸福と考えたとき、たとえば自分が今の学生として生きてきた1970年代よりも今は幸福なのだろうか…
そもそも幸福とはなのなのだろうか…
そう考えたとき、ぼくの中にひとつの答えが生まれてきている。
「人間として生きること」
機械のように生きるのではなく、「人間として生きる」ことだ。

では人間はこの地球でなぜこれほどまでに進化を遂げてきたのか。
答えは「想像」である。
人は想像することで、それを形にしてきた。

「こういったものがあればいな」といった想像が、馬車を生み、蒸気機関車を生み、車を生み、飛行機を生んできた。
そう、人間の生み出したものはすべて想像から始まっている。

その想像は、AIにはできない。
ビッグデータにしろ、機械学習(ディープラーニング)にせよ、想像は目的ではないので生み出すことはできない。
つまり、人間は想像することで生きる生き物ではないだろうか。
そこに幸福と感じる大きなヒントがあるのではないだろうか。

今からの時代、機械的な生き方は、すべてAIが引き受けてくれると言ってくれているようなものだ。
人間は人間しかできない、「想像」で、そしてAIを道具として生きていけばいい時代が、まさに「今」だということだ。
その今から、無くなっていく仕事以上に、「想像」によって新しい仕事が間違いなく生まれてくる。

大学は本来研究機関である。
研究とはこの世にないものの答えを探す場所だ。
つまり新しい仕事(生き方)を生み出すことにおいて、「想像」を一番必要とされる場所だということだ。

マンガはまさに「想像」からしか生まれない。
ちばてつや先生は「想像」の神様だと思っている。

そのちば先生が学長となった大学でいかに「想像」していくか。
実にやりがいがある。

そうそう、前回のブログで書いた、中国の話しが、まさにエクスポネンシャルに動いている。
先日も中国伝媒南広学院を創った、テレビドラマ、映画、テレビ番組を制作する、中国メディアを動かしている「華夏視聴伝媒」の蒲社長と、副社長の孫さんと、これからの方向性を決める話し合いをやってきた。
今からのグローバルメディアの中において何を生んでいくか、まさに「想像」の話しだ。
その研究はすぐに始め、研究をコンテンツ化していく。
そして、ビジネス。

「想像」を大学で研究するとともに、それをコンテンツ化し、ビジネスに繋げることのできるプラットホームが中国で具体的になってきた。

今年は通勤のように、北京、南京、上海を行き来する1年になりそうだ。