京都で思い出す大学の意味

大学で学ぶとはどういうことか?
今の時代、「知識」に関しては、AIに聞けばほとんど教えてくれる。
ソフトのレクチャーにしても、YouTubeで動画で丁寧に教えてくれるし、ぼく自身も新しい機能や、新しいソフトが出るとYouTubeで学んでいる。

ここでも何度も書いてきたが、今からはAIを道具として使う人と、AIに使われる人に分かれてくると思っている。

前回に書いた、シンギュラリティの時代が来ている今、人間の存在はビッグデーターの外の考えを追い求めることになる。
つまり新しい考え方だ。

それは発明ではなく、90年代に任天堂のゲームの父と言われた横井軍平氏が語っていた哲学、「枯れた技術の水平思考」(古いテクノロジー(枯れた技術)を違う分野で生かし新しい価値を生み出すこと)ができる新しい考え方のできる人材を育てることだと感じている。

つまり、これから大学が育てなければならないのは、知識を持った人材ではなく、思考力を持った人材育成ということだ。

それとともに、大学という場所で一番大きい意味は「出会いだ」と思っている。

先週、京都での「あのねのね」50周年コンサートに行ってきた。
あのねのねの清水国明さん、原田伸郎さんと出会ったのは、ちょうどぼくが大学に入学した18歳のときだった。
そのとき大学で教えていた大学講師でミュージシャンの三浦久先生と出会い、作っていた曲を聴いてもらったところ、当時、あのねのねの所属していたインタースペース京都レコードに所属することになったのだ。

事務所には河島英五さん、やしきたかじんさん、尾崎亜美さん、たんぽぽ、笑福亭鶴瓶さんなど、後々有名になっていくアーチストが所属していた。

あのねのねの二人もまだ大学生だったし、あのねのねの二人以外はまだ無名といっていい存在だったこともあり、よく安い店で酒を飲みながらいつも夢を語っていた。

そして他にも、後に世に出てくる、きっとだれもが知っているミュージシャン、芝居、俳優、作家を夢見る京都大学、同志社大学、立命館、精華、京都女子など、自分の大学に関係なく、何人もの出会いがありいろいろなことをやってきた。

なぜ出会ったか。
答えは簡単で、「おもろいことをやっていれば、おもろい仲間が集まってくる」。

そういうことだ。

ライブハウスはもちろんのこと、京都の会館などそんな仲間たちと借り、チケットを手売りで売り、アルバイトをして資金を稼ぐなど、コンサートも自分たちで何度も開いた。
同人誌を出したり、イベントもいろいろやってきた。

「もっとおもろいことをやりたい」

今考えれば、学生だったからこそできたことだし、本当に楽しかった。
そしてそのときの経験、そして人脈がそこからいくつもつながっていく。

あのねのねの50周年コンサートには、スケジュールの合間を縫って飛び入りで笑福亭鶴瓶さんもやってきた。
ステージでは出会った大学時代の話で盛り上がり、その出会いがあったから今があることがよくわかる会話と笑顔だった。

そして、あのねのねと鶴瓶さんが1曲歌い出した。
河島英五さんが作った「青春旅情」という曲だ。
実はこの曲、あのねのねや鶴瓶さん、そしてぼくにとっても大事な曲なのだ。

河島英五さんとコンサートツアーで全国を周っていた時など、田舎の駅の乗り換えの時間など、英五さんとホームでギターを出しよく歌っていた。
当時は「どさまわり」という曲名で、まだまだ無名でもがいていた日々の中で、この歌がいつしか、当時のぼくたちの仲間の歌となっていた。

次の日、46年前にぼくが住んでいた京都の一乗寺にあるアパートに行ってみた。
最初、清水国明さんが借り、そこへ原田伸郎さん、鶴瓶さん、同じ事務所だった後に、レイニーウッドのベースとなるミッキーさんが住み、そしてぼくが最後に住んだアパートだ。
そのアパートがまだ残っていた。

ぼくは途中で大学は辞めたが、ぼくにとっては京都が大学で、今も当時の仲間たちと仕事もするし、飲みにもいく。
そして口癖が「おもろいことしような」だ。

時代が大きく変わっても、大学時代の「出会い」は変わることのない感応だということだ。

道元禅師の有名な逸話。
その言葉で今月の風景とともに曲と動画を創ってみた。