2023年の終わりに

2023年は新しい時代のはじまりだった。。
まわりではあまりピンときてない感はあるが、世界は間違いなく、2023年から大きく変わって行く。

ぼくが週刊少年ジャンプで連載していた1988年は、ジャンプの発売日の月曜に電車に乗れば、大げさではなく8割近い乗客がジャンプを読みながら座っていた。
それが2000年代になると、乗客はケータイ電話を見るようになり、iPhoneが生まれた2007年から一気にスマートフォンが普及しはじめ、今では電車の8割がスマートフォンをいじっている。

いや、電車の中だけではなく、生活そのものがスマートフォンなしでは生きられないインフラとなっている。

Windows95が世に出たころから、電車の中でジャンプを読んでいたあの時代とは、まったく違う時代になっているというわけだ。

これほど時代が変わったにもかかわらず、Windows95で世界中でインターネットが普及し始めた中、日本の96年の普及率は3.3%と日本はインターネットの時代に乗り遅れ、1988年は世界の時価総額トップ50に日本企業は32社入っていたのが、2020年にはトヨタが40位後半に1社入るだけとなっている。
日本の経済が低迷し、失われた30年というのは、まさにインターネットによって、「情報」の時代と変わったというのに、「このままでいい」「ものつくり日本を変えるな」と、過去の考えにしがみつき変化を否定したことだと思っている。

日本でなぜGAFAMが生まれてこなかったのか。
時代を変えた、AppleのジョブズはSONYを手本としたというのに、日本の「このままでいい」という国全体の空気が、時代の変化に対応できなかった思っている。

そして今年、ジェネレティブAIによって、ぼくたちの生活は一変しようとしている。
ぼくたちのあらゆることに、AIがサポートしてくれることになる。

仕事も教育も遊びも、そして創造においても何かやろうと考えたとき、ジェネレティブAIはあらゆる分野で対応できる、人間にとって最高のパートナーとなることが、研究すればするほど見えてくる。

つまり、今までの「常識」がまったく変わってしまう時代に入ったというわけだ。

大学で言えば、「知識」を学ぶ場所ではなくなっている。
一番必要なのは間違いなく「思考力」である。
課題にしても、「必要なのはあたえられた課題を解決するのではなく、課題を見つける力」が必要となっていく。

つまり、人間のやるべきことは「覚える」ではなく、「研究」ではないだろうか。
大学はまさに、本来の「研究機関」としての場になるべきだと思っている。

大学は「学校」ではダメだということだ。
だが、「学校」という「知識を学ぶ」という常識が、大学の中での活動に大きな壁となることは予想できる。
インターネットの時と同じ、変わりたくない地位にしがみつく者たちが、古い常識を押しつけて、新しいものを否定し時代を止めてしまう。
そういう人たちは、AIを研究することなく、「人間をダメにする」とか、「恐ろしい」とか、それこそ知識なしで否定してくる。

日本が失われた30年をまた繰り返すのか、それとも変化することで新しい時代を生み出すことができるのか…

今、ぼくたちは大きなターニングポイントに立っているというわけだ。

2023年の終わりに