知らないこととの出会いがあるから、生きていることを実感することができる。
人生の先行きなんて、いつでもわからない。
先行きがわからないから面白いのではない。
予測できる人生なんてそもそもつまらないのだ。
だから目の前に現れた出会いは、ジョン・レノンが言ったように「Yes!」と答える。
「Yes!」は出会いで、「No!」は遮断。
だから「Yes!」と答えることで、知らない世界との出会いがいくつも生まれてくる。
仕事は出会いから始まるものだ。
Yes!と答えることで、マンガ家、劇画原作者、ミュージシャン、イラストレーター、ノンフィクション作家、フォトグラファー、エッセイスト、プロデューサー、ディレクター、大学教授、デジタルクリエーター…
プロとして目指したのではなく、「Yes!」の出会いを真剣に取り組み楽しむことで、プロとして扱われるようになった。
今はマンガのキャラクターという、コミュニケーションコンテンツを使って、DXにおけるXRやAIといった機能によっての、超高齢者社会においての新しい形のコミュニケーションなどを研究している。
Facebook社が、metaに社名を変えたことで、俄然注目を浴びてきたメタバースといった、リアルとバーチャルにおいてのコミュニケーションコンテンツのプラットホームが次々に生まれてきている。
そのことで、アバター化、キャラクター化することで、仮想空間の中を通してリアルなコミュニケーションを生み出すことができると、この10年言ってきたことが、やっと周りに理解してもらえつつある。
振り返ると、人生において音楽、ミュージシャン、マンガ家、大学教授と、何かバラバラな道を歩んできているようだったが、実はすべてが繋がってきた。
マンガ、イラスト、音楽、写真、取材力、大学における研究と、コンテンツを生み出せる知識と出会いによる人脈。
それがあったからこそ、「今」がリアルとして存在している。
よくだれもが言うことだが、人生において「やってきた」ことに無駄はないということだ。
だがパンデミックによって、「Yes」の行動に足止めを食らった。
2年前から研究の拠点を海外の大学に移す予定がストップしている。
今日11月29日も日本でも新規の入国を原則停止が表明された。
まだまだ世界を自由に動くことができない。
自分の人生の残りの時間を考えると、「Yes」と言いながら進めない時間に苛立ちも感じた。
だが、人生は予測できないからこそ面白いとあらためて感じている。
自分がやろうとしていたことが、日本では補助金など予算を中心にわかってもらえないと感じて、賛同してくれる海外に目を向けたのだが…パンデミックが、動かない日本を動かしたのだ。
このパンデミックの二年間で、デジタルの意識が日本で一気に変わった。
電子マネー、オンライン教育、オンライン会議などなどが当たり前になり、DXによるイノベーションの理解が凄い速度ど動き出している。
まるで第二次世界大戦の終戦時、昨日まで正義と言われたものが悪となるように、形のあるモノしか信じなかった人たちが、スマートフォンで生活のやりとりを当たり前のように始めるようになっている。
オンライン授業、オンライン会議などのコミュニケーションはもう、2~3年もすればメタバース上でアバターとしてのやりとりが当たり前になるだろう。
リアルの世界と、バーチャルの世界、どちらも自分の世界とだれもが認識しはじめるはずだ。
こんなに現状の変化を嫌う日本の社会が動くとは予想もしなかったことだ。
だから今、パンデミックが収まるまではこの日本でできることを今は進めることができると感じている。
この日本においても、変化によっての知らないこととの出会いが、生きていることを実感できる土壌がパンデミックによって動き出している。