空手家、佐久本嗣男先生の言葉

2017年10月30日

「別に空手でなくとも、鍛錬が人間を創るものです。困難の山をどこから上っても、どの尾根を歩いていっても、行き着くところは同じです。山の頂点に立ったときに見る月というものは、同じ綺麗な月ですよ」
「だからお互いがね、相手の生き方を認め合う。それができない人間は生き方を語れないということです」

空手の「形」で世界選手権3連覇。ワールドゲームス2連覇。ワールドカップ2連覇と、1985年から1989年までに開催された国際大会をすべて制した(この記録はギネスでも認定されている)高才の空手家、佐久本嗣男先生の言葉である。
13年前に佐久本先生のことを書かせてもらい、その本の中でこの言葉は紹介させてもらっている。

現在、佐久本先生は、2020年の東京オリンピックで一番金メダルに近いと言われている、空手の「形」の喜友名諒選手を育て、また、沖縄県立芸術大学第6代学長でもある。

その佐久本先生の言葉を突然思い出し、13年前に書いた本を読み返し、そしてゼミ生に毎週送っているメールを今、書き終えたところだ。

メールにはこう書いた。

“今、みんなは大学という、いろいろな経験ができる場所にいます。
そのいろいろな経験と本気で向き合えば、曲がりくねって大変な道を登っていくことになると思います。
簡単に手に入る道は、最短距離の直線です。
でも考えてください。
挫折を繰り返すことで曲がりくねった道を、いくつもの経験と苦難とともに登っているものは、たとえ滑り落ちたとしても、一気に落ちていくことはありません。
また、止まったところから、経験を持ってもう一度登りはじめればいいだけです。
ですが、簡単に手に入れられる、直線の最短距離は、たった一歩踏み外しただけで、下まで滑り落ちて、すべてが終わってしまいます。

人生とはそういうものだと思います。
楽(らく)ではなく、楽しく生きたいのならば、それはすべての経験と本気で向き合うことだと田中は思います。”

この文章を書きはじめたとき、佐久本先生の言う「鍛錬」を「経験」という言葉に変えて、考え、学生に向けて出てきた言葉だ。

困難の山では何度も、その崖を登るときに挫折は必ずあるものだ。
だが、何度も何度も挫折しながらも諦めないで上りつづけた人間が、その頂上にたどり着く。
それは職業ではない。
生き方だ。
空手家、野球選手、マンガ家、サラリーマンだってすべて同じだと思う。
すべての経験と本気で向き合い、本気でぶっかり頂点に立ったとき見る月は、だれもが同じ綺麗な月を見ることができる。

そして、佐久本先生の言った、相手の生き方を認め合うことで、人は初めて生き方を語れる者となる。

たしかにそういうことだ。