世の中の常識にとらわれると、それがあたかも自分の信念で有るかのように誤解する

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2017年12月24日

あぁ、もう2017年もあと一週間になってしまった。

それにしてもよく仕事をした一年だった。
今も日曜日でだれもいない研究室で、溜まった仕事をとにかく一つずつこなしていっている。
いや、とにかく、〆切というやつが決まっているものだけでつねに20個以上は抱えていて、「それが終わったら進めます」と、控えている〆切、プロジェクトは今、いくつあるかわからない状態だ。

かといってこんな24時間仕事のような毎日が苦痛かというと、変な話し、仕事をしていないと不安はたしかにあるのだが、今やっている仕事ひとつひとつが面白くて、それで寝る間も忘れて取り組めていることもたしかだ。

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ここのブログで「大学とは」など、持論をいくつか書いてきたのだが、信念を持って動けば形になってくる。
だれも相手にしてくれなかったことが、いつのまにかプロジェクトとして動き始めているものが、今年、いくつもあった。

15年ほど前、そう、まだスマートフォンなどなかった時代、ケータイで見る、ケータイの機能を生かしたマンガを、世界ではじめて創作した。

まぁ、ケータイなもので、スクロールではなく、クリックして画面転換をしていくとともに、デジタルならではの見せ方をするマンガとして、「クリックコミック」略して、「クリコミ」と名付け制作した。
だが、そのとき、出版社など周りから言われたのが、「マンガは本で読むもの、ケータイでマンガを読む時代が来たら、東京中、素っ裸で逆立ちして歩いてやるよ」だった。

それからスマートフォンが生まれ、マンガどころか、この地球上のモノと繋がる、コントローラーとしてのケータイ(スマートフォン)の今がある。
まぁ、マンガをケータイ(スマートフォン)で読む人の方が紙媒体より間違いなく多くなったのだから、あのときの編集者には、ぜひとも東京中、素っ裸で逆立ちして歩いてもらいたいものだ。

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マンガは紙媒体で読むものから、本の他にタブレット、スマートフォンで読むだけではなくなった。
今、進めている、那須の観光地をキャラクターがARシステムで案内し、キャラクターと空間の中で遊べる、この取り組みも、ぼくにとっては間違いなくマンガだ。

作家のアンソニー・ロビンズがこう言っている。
「世の中の常識にとらわれると、それがあたかも自分の信念で有るかのように誤解してしまう」
「多くの人が不可能と言えば、それを真実と思い込んでしまう。すると実際には壁を乗り越える力があっても、実力を発揮できない」
「ところが、誰かがそれを実現すると、先入観が取り払われると、不可能という信念が、可能という信念に変わり、人々の連鎖的な行動につながっていくのだ」

まったくその通りだと思う。

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2017年のこの1年で、本当に「常識」が大きく変わり、人々は連鎖的にその新しい「常識」を受け入れた年だったと思う。

IoTが当たり前のようになり、それがAIと繋がり、スマートフォンをコントローラーにAIが生活の中で、何の不自然もなく使われはじめている。
AIが急速に“成長”しているのは、間違いなく画像認識ができるようになった、ディープラーニングであるし、3Dゲームなどで使われているGPU(Graphics Processing Unit)との組み合わせで、自動運転を中心にAIの可能性がどんどんと広がっている。

2018年は間違いなく「AI」の年になると思う。
それも「画像認識」というのが大きなキーワードだ。
そしてマンガというキーワード。

大学という場所にいるおかげで、他の大学の研究者たちとアートとサイエンスで共同研究が動き始めている。

最近も、「常識」では考えられないシステムを開発、研究している研究者のことを知り、さっそく連絡を取らせてもらった。
来年早々にも会って、そのシステムを使っての、マンガの可能性について話し合いたいと思っている。
アイデアはすでにある。

表現者にとって面白い時代だということは間違いない。
それだけに、「新しい常識」をどこまで形にしていけるか。

まぁ、2018年も「やることがいっぱいある」ということだけは、間違いないということだ。

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※本文とは関係ないが、年末の心穏やかにで、石仏の写真を載せておきます。