唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である。

2020-5-27

コロナウイルス(COVID-19)で見えてきたことがいくつもある。

日本のバブルが弾けた1991年から、すでに29年間になるが、その間「このままでいい」という意識が日本全体の中でずっと続いていたと感じている。

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バブルだった1990年の日本のGDPはアメリカに次いで世界2位。
3位のドイツのGDPの2倍の額があり、テクノロジーを含め、すべての面で日本はだれもが世界トップの経済力を持っていると思っていたし、事実そうだったと思う。
バブルが弾けたあとも、日本人の意識の中に、日本はまだまだ世界のトップだと思い込み、「このままでいい」と、変化を嫌い、変化のないままで今まで来てしまったと今、感じている。

「このままでいい」というのは、“維持”することではなく、“後退”することだと、大半の日本人はわかっていなかったのではないだろうか。
世界が発展していく中で、「こにまま」でいることは、当たり前だがどんどんと後退していくことに気づかないことに…いや、変化することを嫌う国民性が、気づかないふりをしていたのかもしれない。

事実、OECD(経済協力開発機構)加盟国47国の、将来性の指標において、日本はつねに最下位争いをしているのだが、それが国民の中で話題に上ることさえなかったと思う。

世界的な経済学者のジャック・アタリ氏が指摘していたのだが、「日本は人口が減少し続けているため、ひとりあたりのGDPが増加している」「つまり、ゼロ成長、あるいはマイナス成長だとしても、ひとりあたりのGDPは増加している」
「それが日本の現実を見えなくしてしまっている」と言っている。

きっとパンデミック前なら、ジャック・アタリ氏のこの言葉など気にもとめなかったと思う。
だが、今回のパンデミックによって、リアルに現実を日本人のだれもが目にすることになたというわけだ。

コロナというリアルの中で、中国、台湾、韓国、ベトナムなど、テクノロジーによって対策が進んでいく。
生活の中のテクノロジーに関しても、電子マネーや、最近日本の飲食店でもニュースになってきている、店の注文も個人のスマートフォンから注文するなど、そんなものはアジアにおいても数年前から当たり前になっているシステムだ。

「このままでいい」が、知らないうちに日本の成長を止めてしまっていたと思う。

だが、今回のパンデミックによって、日本人の意識を変えることに10年以上かかると思っていたことが、たった数ヶ月で起こってしまった。
現金しか信じないといっていた日本人が、触れることで感染が広がる現金のリスクによって、「現金は危険だ、電子マネーなら安全だ」と、あっというまに、電子マネーが当たり前になってきている。
生きるためにどうしなければならないか、「このままでいい」などとは言ってられなくなったのだ。

ウイズコロナももちろんだが、経済もまったく新しいアイデアが必要となっている。

1ヶ月前にここで書いた、歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏の言った「今とは異なる世界に住むことになる」という言葉は、もうすでに現実のものとなり動き出している。

その世界がどちらに動くか…
グローバル化で動いていた世界が、また再び、新しいグローバル化した地球人を生み出していくか、「アメリカンファースト」といったように、自分さえよければいいという、個々が内向き動き出すか。
1789年のフランス革命から考えたとして、100年後、200年後の地球がどうなっているかなど考える余裕のないままここまで来た、民衆主義、資本主義の考えででいいのだろうか…
ぼくらは本当に、「このままでいい」ではなく「これからどうしまければならないか」本気で考えなければならない時代に、いきなり、そう、いきなり突きつけられた現実の前にいるように思う。

ぼくも日々考えている。
本来ならグローバルに研究ははじまっていたはずなのだが、日本から身動きがとれないままでいる。
「今」「ここで」できることとともに、今から変わって行く世界の中で、新しい生き方を考え続けているし、研究自体もウイズコロナが「目的」においての軸となってきている。

そう考えるとダーウィンのこの言葉に辿り着く。

「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である」