答えのない答え

暑く長い夏が終わり、自然の中の仕事場のまわりを散歩すると錦秋の風景が広がっている。
もう2023年もあと一ヶ月で終わりなのだが、今年は間違いなく人類の歴史が大きく変わる始まりの年となった。

今日もゼミ生、研究室に尋ねてきたDX関係の企業の人とも話していたのだが、世界がインターネットで時代が大きく変わった以上に、今、AIによって時代はエクスポネンシャルに進化していっている。

ジェネラティブAIであるChatGPT-3.5が昨年11月に一般ユーザー向けにリリースされ、今年3月にGPT-4.0が発表されたときから、時代が一気に動き出したといった感がある。

同時に画像ジェネラティブAIである Midjourneyが昨年の夏、ファインアートコンテストで、デジタルアーツ部門の1位を獲得したニュースに驚かされ、今では画像ジェネラティブAIをDALL-Eを使ってのMicrosoftのイメージクリエーター、そしてAdobeのPhotoshop、illustratorで画像生成も普通に使うようになっている。
この先、Adobeのソフトで、動画、3Dとプロンプトの指示で制作できるようになるということだ。
またぼく自身、音楽AIのsoundrawで3月から普通に仕事でも使うなど、すでにジェネラティブAIは表現のコンテンツの中でも、1年も経たずして仕事の道具として当たり前に使うようになっている。

こういった話をすると、非人間的な時代になっていくといった話をする人が多いのだが、それはまったく逆である。
今、人間はAIによって、「人間が人間らしく生きるにはどうしたらいいか」を問われる時代になっていっているのだ。

つまりぼくたちは、機械によってできるような「作業」を、そのテンプレートに従ってやっていたというわけである。
だからぼくらは教育の中で、テンプレートとしての「答え」を教えられてきたのである。
そもそも「答え」など、まず一つなわけがないし、時代とともに答えなど変化するものだ。

5~6年前だっただろうか、大学で「答えなどない、自分で考えろ」と学生に言っていたところ、学生から大学へ、「田中先生は答えを教えてくれません。職場放棄で給料泥棒だと思います」という投書があり、大学から呼び出されたことがあった。

そのとき思ったのだが、学生も大学も、答えがなければ不安で耐えられなくなるらしい。

だがAI時代になれば、「テンプレート」上の答えが常識としたならば、AIがはじき出すものが「正しい答え」ということになる。
要するにその答えを実行するのに人間など必要なくなるのだ。
だが本来、答えなどひとつではなく、時代とともに新しい答え、新しい常識を生み出すのが、つまりは人間ということになると思っている。

今まで「答え」を見つけたら思考停止してしまう教育をやっていたから、だれもがひとつの「答え」を求めることが正解と思っていたことで、「答えがない」などというと、職場放棄などと言われてしまったわけだ。

本来、人間というのは「考える」ことで新しいものを生み出してきた。
それがいつしか、新しい答えではなく、今までの答えの中で知識を振りかざすものがエリートと呼ばれ、想像力のないままに権力を持つ地位に就いてきている。

それが、AIによって、今までの知識としての答えなどAIの方が遙かに優秀だという時代がやってきたというわけだ。

今から人間が生み出す「答え」とは何なのか。
それは人間が人間として生きることを問われていると思っている。

AIが問いかけてくれた「人間」とは何か?

仕事場を自然の中に引っ越してから2年半、変わりゆく風景の中を歩きながら、一瞬、一瞬変化していく自然がその「答えのない答え」を教えてくれていると感じている。

 

【動けば変わる】