目的を持って死ぬまで勉強

2021-3-31

大学の卒業生たちに、「大学を出ても、目的を持って死ぬまで勉強」と伝えている。
勉強というのはつまりは目的の研究のための「知識を得る」ということだ。

もう何度もこの場所でも書いてきたし、世界中で言われてきていることだが、今、ぼくたちは間違いなく大きな時代の変革の中にいる。
日本でも2015年あたりから、今まで機械やエネルギー・通信によって産業革命が起き時代が一変したように、AIのDeep Learningがテクノロジーの中心となり、2045年には「想像」したものがexponentialに形になっていくシンギュラリティの時代が来ると言われてきた。
それが今回のパンデミックによってexponentialに加速がつき3年~5年間違いなく早まってきている。

そう、「想像」したものが、すぐに形になっていく時代。(AIなどの技術が、自ら人間より賢い知能を生み出すことが可能になる時点とも言われている)
その「想像」こそが人間に与えられた人間として生きるための力だと思っている。

「想像」を形にするというのは、そこに必ず「研究」が求められる。
だが、研究にはまず、「知識」がなければ「想像」ができない。

たとえばマンガを制作するにしても、AIを舞台にしたマンガを描こうとすると、AIの知識がなければ、まず想像することなどできない。
つまり、知識を持ち、想像が生まれ、研究がはじまり、それが形(コンテンツ)となる。
これは人類が進化してきたすべての流れといっていい。

新型コロナによって、世界中がデジタル化で進んでいくことに対して、「人間がどんどんと機械に支配されていっている」と、大学の中でもそうだが、デジタル化を否定する人たちがいるが大勢いるが、少し考えてもらいたい。

人間が人間として生きるとはどういうことなのか?
戦後、日本が経済大国となる中で、エコノミックアニマルと呼ばれ、「24時間闘えますか」などというCMが流れる中で、日本人はロボットのように働いてきた。
とくにホワイトカラーと呼ばれるサラリーマンが、日本の経済成長の象徴だった。

そのロボットのように働くホワイトカラーの仕事を、テクノロジーはロボットに任せる仕事としたというわけだ。
それは、人間はロボットにできない、人間にしかできないことをやるべきとテクノロジーによって示された問いでもある。

今のデジタルによって変わる時代を、もっと全体をとらえて見れば、資本主義そのものが変わるしかない時代でもある。
資本主義というものは、簡単に言えば、資本を持っているものが労働者を資本で雇い、資本家が必ず富みを得るシステムである。
マンガ家にしても、少し前まで資本を持つ出版社の下で働かなければ、書店に自分の作品が並ぶこともなく読まれることもなかった。
だから9対1という不公平な富みの配分に逆らうことができなかった。
それが今は、インターネットによって、流通などの資本がなくても作品を読んでもらえるし、作家自身が起業することもさして難しいことではなくなった。

何より、資本を持つものの命令によって作品を描くのではなく、今の時代はインターネットによって個人が自由に配信できる、本来の自分が表現したい作品で勝負ができるようになってきている。
それならば、たとえ作品が失敗したとしても作家として納得できるはずだ。

ロボットのように資本家の下で働く時代は終わり、資本家もロボットのように働く人材ではなく、何百倍のスピードで処理をしていくテクノロジーを使うようになる。

今までは頭がいい人というのは「モノ知り」だった思う。
「勉強ができる」とはモノを知ってることだった。
だが今は、だれの手にもスマートフォンがあり、だれもがモノ知りになっている。
「頭のいい人」の定義はまったく変わってしまったと思う。

だからこそ、今から生きていくのに一番必要なのが、人間の持つ最大の能力「想像」だと思っている。
目的を持って勉強し、知識を得て、想像し、それを形にする。
今、勢いを持って世界を変えているのはDXだが、DXはデジタルの知識を得た先で、想像が生み出すイノベーションである。

「目的を持って死ぬまで勉強」
そこに人間としての新しい生き様が生まれてくるはずだ。

※写真は、妹が老いた両親を温泉に連れていきたいと感染対策をした上で計画し、城崎温泉に3月に行ってきたときのものをイメージとして使いました。