卒業生のアップデートとしての大学

今、15年前に自分のゼミにいた卒業生の作家のKに仕事を頼み、いっしょに行政から依頼のマンガ制作と、動画制作を行っている。
Kは在学中からプロとして活躍し、卒業してからは週刊少年ジャンプで連載を行なうなど活躍しているプロのマンガ家である。

今回、Kが今、ぼくが行っている地域行政のコンテンツ制作に加わってくれたのは、「仕事」以上に「学び」の目的があったからだ。

Kはプロの世界で仕事をしながら、不安を抱いていたという。
時代が大きく変わる中で、「このままでいいのか?」という不安である。

マンガは冊子で読むものから、世界では98%がスマートフォン・タブレットで読むものに変わり、来年度の2024年度から小学校の教科書改訂に合わせてデジタル教科書を全国で本格導入することになっている。
つまり表現において、紙ではなく、デジタルの世界が中心となっていく。
作家として生きるにおいて、新しい表現がどんどん生まれてきている世界で、今までのやり方では取り残されていくという不安。

そして「ジェネレーティブAI 」によって、AIでマンガも制作できる時代に入ってきた。
ジャンプ+から、マンガ制作サポートAI「Comic-Copilot」(コミコパ)、漫画制作サービス「World Maker」が生まれてきている。

ぼくは両方使ってみたが、まったくマンガの描けないものでも、マンガが制作できるし、ChatGPTを活用しているだけあって、プロンプトによって、完成度の高いストーリーを組み立ててくれる。
2年でパラメータ数が1000倍と増えていっているChatGPTを考えれば、2~3年もすれば、こういったジェネレーティブAIによってマンガが描けなくても今のプロレベルの作品が作られることになるだろう。

現代はVUCK(ブーカ)の時代だと言われている。
「VUCA(ブーカ)」とは、ビジネス環境や市場、組織、個人などあらゆるものを取り巻く環境が変化し、将来の予測が困難になっている状況を意味する、「Volatility:変動性」「Uncertainty:不確実性」「Complexity:複雑性」「Ambiguity:曖昧性」の頭文字から来ている。

そのVUCKの時代の中で自分はマンガ家として生きて行けるのだろうかと、Kは不安になり、Kが相談してきたことから、大学で学ぶこともかねてKと今回の仕事をやってみることになったのだ。

ぼくのゼミはここ10年ほど前から、帝京大学や筑波大学、宇都宮大学、中国の南京電媒学院大学などとも共同研究をして、デジタルによってマンガの可能性の研究とコンテンツ制作をやってきている。
ゼミで制作したコンテンツは、70作品以上で、NHKの1時間動画番組も制作してきた。

もちろんAI研究も10年前からやってきている。
面白いもので、AI研究をすればするほど、創作において「人間の可能性」を考えるようになってきた。
AIにできることは、AIを道具として使い、人間にしかできない創作を考え、コンテンツ化を考える。

ここでも何度も書いてきたが、人間が人間として生み出すものは「リアル」だと思っている。
そのリアルの表現としてぼくは自然をつねに考えてきた。

空も木々も、海も山も、「今」しか存在しない。
(1秒先には空の雲ひとつ見ても変化している)
そこから生まれる感情は、「今」であり、「過去」でも「未来」でもない。

「今」を感じた感情は、「過去」である情報のビッグデータからは生まれることはない。

ぼくがここで日課の散歩をしながらiPhoneで撮ったものをAIを道具として使い、言葉の動画として載せているのも、今しか創ることのできない、人間が人間として生み出すことのできる表現の実験でもある。

ゼミでゼミ生といつも話しているのは、人間にしかできない創造を考える。
その創造を表現するために、ペイントソフト、3Dソフト、動画ソフト、音楽ソフト、AIを道具として使い、自分にしか創れない表現を形にする。

そういったことをいつも学生たちと議論し、学生たちも考え自分の「リアル」を表現してきている。

実はKは、そのリアルを持ってプロのマンガ家になったゼミ生である。
15年前、ぼくのゼミにいるころから、ぼくがノンフィクション作家でもあったことから、現場を見せ、Kにはとにかく徹底的に取材をやらせて作品を作らせた。
つまり、リアルに見て感じたところから作品を生み出しプロとなっていったのだ。

Kの創った作品は、大学時代に創った作品も、まずビッグデータでは創れない自分だけのリアルから生まれた作品だった。
これは今の時代においても、いや、今の時代だからこそより必要な作家だと、Kからは感じている。

不安の要因は、今の時代の中で表現するための知識だと思っている。
当たり前だが、時代とともにディバイスが発達し、表現の80%以上を占めている動画は創れなければ、20%以下の狭い世界でしか表現できない。3Dを覚えればメタバースの世界などバーチャルな世界でも自分の作品で表現できる。
作家として表現の世界が増えれば、それだけ生きていくプラットホームが増えていく。

もちろん、AIに表現できないものは、マンガを含めアナログ表現でもいくつもある。
だが、アナログ表現で生きていけるのは、間違いなく希有な才能を持った天才を感じる作家でなければ難しいこともたしかだ。
そこで生きられるのは、ほんの一握りしかいない。
創ることで成長する世界において、創ることで生きていけないとなると、創らなくなり、才能は涸れていく。

Kと話をしていると何時間も議論が始まる。
制作についての表現の仕方、それを表現するための技術、そして大学での研究から見えてきている未来など、とにかく止まらない。
お互いこれが実に楽しい。

卒業生がこうやってまた大学にやってきて、お互いプロとして新しい表現コンテンツを制作していく。
Kもプロとして活躍する中、アップデートをするために大学に来て制作する。

今回のKとの創作は考えてみると、今からの大学においてとても必要なことかもしれない。