時代は変わる

2018-11-28

 

先月の末、中国の上海に行ってきた。
高校・中学と10校近くまわり、講義もおこなってきた。

上海ということもあるのだが、テクノロジーを使った教育が普通に行われていた。
タブレットが教科書など当たり前で、教室の白板もデジタル化され、生徒のタブレットと連動していたり、博物館のような空間もあれば、プラネタリウムまでもある。
図書館など、デジタル対応で、おしゃれなcafeのようなスペースの中で、生徒たちは読書をしている。

また学校の学生たちの行動システムでAIが使われていたり、3Dプリンターも教材で普通に使われていたりと、日本の大学よりも遙かに進んだ設備の中で教育が行われていた。
先生にしても、学校側から定期的に、最新のテクノロジーなどを勉強するための、留学のシステムができていて、先生たちもつねに新しい教育を学び、生徒に教えていっている。

つまり中国では時代の変化に対して、「変わる」ことができなければ、今からの時代を生き残れない「攻めとしての発展」の教育を感じてきた。
そう、だれもが時代を変える人材育成としての教育をしているということだ。

それに対して、日本は大学という研究機関の中でさえ、大半の教授や学生は、変化することを拒み、昔と変わらぬ、さして時代を求めて勉強することもなく、基本はアナログだと、テクノロジーは人間をダメにすると根拠もなく言ってきたりしてくる。
批判するならテクノロジーを勉強して、ちゃんとわかった上での考えなら何も文句を言うつもりはない。

勉強もしないで、キライとか、苦手だとか、ちゃんとわかっていないにもかかわらず、たとえば、IoTやナノテクノロジー、ジュネティックス、ロボティックスなど、ニュースを見ていたら当たり前に一般でも使われている言葉を使うだけで、「そうやってわからない言葉を使って、わからなくするのよね」など、理解できないのは、ちゃんと勉強し、研究している側のせいにされる。
言っておくが、ニュースで使われている一般常識の言葉以外は、たとえば、今、取り組もうとしているハプテクスなどは、「振動、動き、皮膚感覚などデバイスを通して伝えるテクノロジー」と、もちろんちゃんとわかりやすく、そう言ってちゃんと伝えている。
…いや、そう答えたら、デバイスという言葉で「やはりね」と、ひっかかるか(笑)

そういう人たちは、変化ではなく、このままを維持することを臨んでいる。
つまり、このままが、「楽」だからだ。

だが時代は変化している。
留まるということは、現状維持ではなく、間違いなく「後退」しているということだ。
「楽」の先にあるのは、「楽」をしただけ、変わって行く時代の中で、人生の可能性を失っているだけのことだと、そのことがどこまでちゃんとわかっているのだろうか。

そしてそういった考えが、研究機関である大学の中でさえもあるのが、今の日本だということだ。

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考えてみれば、中国へ最初に行ったのは、1987年で、香港から瀋陽に飛び、撫順などを回ってきたのだが、まさにまだベールに包まれた国で、人民服に自転車の国だった。
車などまだ珍しく、道路は自転車であふれかえり、電車の遮断機は人力の丸太で、黄砂の舞う近代化とはほど遠い国だった。
今となっては笑い話なのだが、香港までの帰りの航空券が取れず、中国に予定より一週間以上出られなくなり、中国政府や公安が訪ねてきたりと大変だったのだが、その分、中国政府の中に入り込むことで、当時の中国をじっくり取材させてもらった。
そのときのことは、日本へ戻るとサンデー毎日で、大特集されるほどの、撮るもの、取材するものすべてがニュースになるほどのだれも知らない中国がそこにあった。
それからたった30年で、中国はアメリカと世界を二分する大国となっている。

2008年の北京オリンピック前の3年間ほどは、武術の取材で中国には何度も行き、特に北京のオリンピックに向けて近代化へと変わる姿は、リアルに北京の現場でみることができてきた。
2010年の夏は、上海から杭州に入り、西安から洛陽、鄭州など約1ヶ月間バックパッカーで旅もしてきている。

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考えてみれば、1987年に初めて中国を見たボクは、今の中国を想像できただろうか…
今から10年先、中国はどのようにまた変わっていくのだろうか。
そしてボクは今から、中国とどのような形で繋がっていくのだろうか。

先週も中国で活躍するプロデューサーと新宿で食事をしながら、今からの新しいマンガコンテンツの話しをしてきた。

そして12月に入ったら、また今度は南京の大学で講演をしてくることになっている。

何かが新しく始まっている予感は感じている。
だが、それがハッキリと何なのかはまだ見えていない。

ただこれだけは言える。
良くも悪くも、今、日本よりも、中国は刺激に満ちている。