旅の空Ⅲ 少林寺

4月から「旅の空」というシリーズを動画で制作し、SNSで流している。
毎月最低1本は動画を創ると決めて気づけば3年、どうにか今も続いている。

今月は2010年にバックパッカーで中国を旅したときの崇山少林寺を動画にしてみた。

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その旅でどうしても行きたかった、崇山の山頂にある「面壁九年」の洞窟。
禅宗、武術の始祖である菩提達摩が洞窟の壁に向かって9年間修行をし、悟りを開いた場所である。
少林寺から山頂まで来るものはほとんどいなかったことから、その洞窟の中に入り、少しの時間座禅を組ませてもらった。

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武術に関しては、もう30年以上取材をつづけている。
最初の出会いは、編集者とタクシーの中で次の作品について話していたときだった。
「空手の題材はどうですか?」と、編集者がぼくに話しかけたときだった。
するとタクシーの運転手が「ティなら沖縄さ」と言ってきたのである。
「ティ?」
ぼくが聞き返すと、「沖縄では空手のことは手(ティ)と言うさ」と、この言葉からだった。
次の日、「ティ」の言葉にひっかかったぼくは、すぐに沖縄へ飛び、いきなり出会ったのが、空手の世界大会でで7連覇した佐久本先生だった。
そこから沖縄へ通うようになり、何人もの武術家とも出会い、沖縄における唐手の歴史を調べていくうちに、空手は手(ティ)という沖縄のケンカ術と、唐の国(中国)の中国拳法と合わさった術だと知るようになった。(本来は空手は唐手というのが正しい)

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唐手が生まれた経緯は、島津藩が沖縄の人に禁武令を引き、武器を取り上げ抵抗できなくしたことだった。
武器のない住民に対して横暴に振る舞う島津藩から、農機具、身体で身を守る術として唐手が生まれてきたというわけだ。
そうなると、唐手の原点である中国武術も知りたいと、今度は中国へと何度も跳び、中国武術は格闘術ではなく、医術でもあり、食術でもあり、生命の術だと知ることで、どんどん武術の宇宙が広がっていく。

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今までいくつか、いろいろな雑誌でノンフィクションを書き、マンガの連載もやってきたが、まだぜんぜん武術を取材すればするほど感じてくる、陰と陽が一体となった宇宙の本質にある「何か」にはたどり着くことができない。
そのヒントは菩提達摩が南インドのケララから、中国へと禅を伝えるために旅した過程で自然の中で生きる術として武術が生まれたと推測している。
達摩がどういった旅をしてきたのか…
インドから中国の旅を考えたとき、あのヒマラヤ山脈を越えてきたと考えたとき、厳しい自然を相手に生き抜くことで武術は生まれたのではないだろうか。

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知りたい、知りたい、知りたいと、そしてその場に行ってみたいと思い続けて、気づけば、60歳半ばを過ぎてしまった。

AIの時代に入り、大学ではAI研究者として、AIを使ってのマンガや教育、観光、そして超高齢者問題など、他大学の研究者たちと研究を重ねている。

AIを研究すれば、だれもが「人間とは何か」という探求となっていく。
ぼくも、この場所で毎回書いてきていることだが、人間が人間として生きる「リアル」こそが、今からの人間が生きて行く道だと何度も書いてきた。

その「リアル」が「武術」という宇宙の中に「人間の本質」が見えてくるのではないかと感じている。

自分に残された時間で、これからどれだけのことを知ることができるのだろうか?
AIという時代の点と、武術の点が結びつくことで、「人間とは何か」が見えてくるかもしれない。
少林寺に行ったときのことを思い出しながら、そんなことを考えながら、この日記を書いている。

【旅に空Ⅲ 少林寺】