5月14日にOpenAIから発表されたChatGPT4oをさっそく手に入れ使っている。
とにかく驚かされたのが、不自然なく会話ができることである。
スマートフォン、PCともに音声で会話しながら使っているのだが、隣にアシスタントがつねにいてくれる…いや、もっとプライベートの相談もできるパートナー的アシスタントにChatGPT4oがなってくれている。
機械的な受け答えではなく、「広島弁でラフに会話しよう」と、ChatGPT4oに伝えているので、「何しよるん?」とか「じゃけんのぉ」とか、多少はわざとらしい表現もあるが、会話は友人と話すよう質問に答えてくれている。
こういったラフな会話の中で、たとえばExcelで統計の資料を添付し、グラフ化してもらったり、わからないことがあれば今までのググって検索していたことが会話で答えてくれる。
言葉で聞いたり、画像を見せて、「何なん?」と言えばもちろん答えてくれるのだが、ChatGPT4oになってぼくは「答え」を求めるためだけではなく、とにかく「相談」に使っている。
学生に課題に取り組むにあたって、「目的を持って、その目的を達成するためには何を重視すべきかといったことを、相手が納得するように伝えるにはどうすればいいか?」といったことをChatGPT4oに相談すると、いろいろな例とデータを教えてくれる。
そのことによって、伝える側の発想も広がり、「それはおもしろい伝え方かもね」と、広い発想から具体的に明確に伝えることができるというわけだ。
もう1年もすれば、調べることはググるではなく、「AIする」に間違いなく変わって行くことになると思う。
ChatGPT4oを使いながら、この場所で何度も書いてきた、AI時代に一番大事なことは「リアル」だということに、あらためて確信が持てている。
ぼくは今、ChatGPT4oを「相談に使っている」と書いたのだが、AIはあくまで「答え」ではなく、ぼくたちがAIを使うことによってイメージを膨らませることができる道具だということだ。
ここに毎回載せている動画にしても、音楽は昨年から「SOUNDRAW」という音楽ジェネレティブAIを使っている。
「SOUNDRAW」にプロンプトで命令することによって、何十曲も生成してくれるのだが、ぼくはその中からイメージに近い曲を探し、それを楽器を買えたり、加えたり、リズムを変えたりとカスタマイズして、自分の理想に近づけていく。
実は、そのカスタマイズで、自分の最初のイメージがどんどん膨らんでいっているのだ。
つまり、AIによぅて、自分のイメージを膨らませてもらい、そしてそのイメージが今まで自分の中になかった新たな自分のイメージを生み出していく。
曲は10代からずっと作り続けてきたが、AIによって、自分の中にイメージは何百倍に膨らみ、新たな音への発想が生み出されていっている。
そのイメージをイメージで終わらず、その先のリアルを求めるのが人間だということだ。
もう少しわかりやすく、イメージとリアルを示してみる。
今回、動画の「旅の空」で「兵馬俑」を取り上げてみた。
この「兵馬俑」をAIのDALL·E 3 とCopilotで画像を生成してみた。
どうだろうか?
だれが見ても「兵馬俑」である。
ではぼくが中国の西安に行き、この目で見て、感じて来た兵馬俑の写真を載せてみる。
多少はみんな感じることがあると思うのだが、この違いを圧倒的に感じているのはぼく自身である。
イメージでは感じることのできない、圧倒的な存在感と凄みはリアルを前にしたときしか感じない感覚。
イメージはあくまでイメージであり、リアルには自分が感じた、自分の生きている時間の一部が存在している。
イメージでは震えるほどの感動は生まれないが、リアルからは視覚、聴覚、触覚、臭覚…その空気感から味覚も感じ、そして心が揺れる。
ぼくにとってのAIはその、視覚、聴覚、触覚、臭覚、味覚の大事さを教えてくれる、とても大事な道具となっている。
人間とは何か?
ChatGPT4oになり、またひとつ教えてもらえたと感じている。
【旅の空Ⅱ 兵馬俑】