変化にもっとも適応する

「生き残る種とは、最も強いものではない。 最も知的なものでもない。 それは、変化に最もよく適応したものである」

時代が大きく変わる今、ダーウィンのこの言葉がよく引用される。

この変化に最も適応するというのは、ただ時代の流れの中で生きろというのではない。

社会が激しく変化し、テクノロジーが目まぐるしく進歩する中で生きるということは、つまりは学び続けなければならないということだ。

たとえば坂本龍馬だ。
坂本龍馬は土佐脱藩し、幕府軍艦奉行並・勝海舟に会いに勝海舟の屋敷を訪ねている。
訪ねた目的は、開国論者だった勝海舟を殺すことだったと言われている。
だが、龍馬は勝の広い見識と、卓越した意見に目を見開かされ、その場で弟子にしてほしいと入門を願い出ている。

殺そうとした相手であっても、勝の世界の大きさを知り、時代の流れが見えている凄さに、殺害ではなく、「学び」の欲が龍馬の意識を突き動かしたと、この逸話から感じている。
そしてその後、龍馬は時代を変えることとなる。

この意識こそが「変化にもっとも適応する」ことではないだろうか。

学生と話していると、学ぶ=勉強ととらえているようだが、学ぶというのは、ただ勉強して「知識が身についた」と自己満足に浸ることではない。

学ぶというのは、まず「目的」があり、その「目的」のために何をやるべきか考え、そのやるべきことのためにどうすればいいか、それを実行していくことで形にしていく。
その実行というのはつまりは「研究」である。

ぼくの研究であるマンガ表現の可能性にしても、DXの中で、XRでの表現、メタバースでの活用、そして今からはだれもがアバターを持つことになることで、マンガ表現の可能性は広がっていく。
広がることで、次々と学びの意識が突き動かされる。

日常の表現も、ぼくの中では変わっていっている。
表現や宣伝は10年前までは写真やイラストといった1枚での表現が全体の80%を占めていたが、今は全体の80%以上を動画が占めている。
そういった流れもあり、昨年からSNSやこういったブログはスチール写真ではなく、動画を載せることにした。
「創りつづけることは、学びつづけること」
こうやって日々、スマートフォンで撮ったものを演出し、形にすることで新たな表現のアイデアも浮かんでくる。

これも学び続ける面白さだ。

6月の哀音

父が逝ってしまった。
91歳。
よく生きてくれた。

父が亡くなり「人によって生かされている」ということを感じている。
人は人によって成長し生かされている。
その最初の人とは両親だ。

今の自分が創られていった原点。
亡くなった父の顔を見ていると、忘れてしまっていた父との日々が蘇る。
頭で忘れてしまっていたことを“心”が覚えている。
そう、頭ではなく心…そういった感覚だ。

野球に打ち込んだのは間違いなく、高校野球で活躍した父の影響だ。
山登りも、父に連れられ名山に登った。
今回、父の部屋から大量の写真が出てきた。
いつもカメラを持っていた父。
いつしか自分もいつもカメラを手に写真に夢中になっていた。

高校ぐらいだろうか…父とはあまり口をきかなくなった。
マンガを描き、ギターに夢中になる。
マンガで食べていきたいと、父に将来を聞かれたら答えていた。

父はそんなことで生きていくことなどできないと、もっと現実的になれと言ってくる。
それが嫌だった。
だから中学の頃から、作品を描いてはひとり夜行電車で12時間揺られ東京へ持ち込みに出ていた。

今考えると、父への反発が大きなエネルギーになっていたのだと思う。

東京に出て10年以上家には戻ることがなかった。
その間、父とはずっと口をきいていない。
マンガ、マンガ原作、イラスト、ノンフィクション、エッセイ、コラム、写真と8本の連載を持つようになっても、実家に電話はかけることはあったが、父と話すことはなかった。

10数年ぶりに実家へ戻ったときだ。
ぼくが使っていた部屋の扉を開けると、部屋が雑誌と単行本などで埋まっている。
すべてぼくが書いたものが載った雑誌と単行本だ。
自分でも取っていない、半ページのコラムやエッセイの載った雑誌まで取ってある。
単行本など同じものが3冊も買っている。

「何やってんだよ!」
父に怒った口調で、一部屋雑誌と単行本で埋まった部屋を見て声を上げたのだが、嬉しかった。
父は口では言わなかったが、認めてくれたと思った。

それからもあまり話すことはなかったが、父はパソコンを覚え、18年ほど前から気が向いたらSkypeで連絡を取ってきていた。
たわいのないスポーツの話が中心だ。

亡くなる11日前に父の住む神戸に行き、そのとき細く小さくなった父にLINEでのテレビ電話の仕方を教えた。
すると東京へ戻ってきたぼくのスマートフォンにかかってきている。
それが最後の会話となった。

父が亡くなり「心」のことを考え続けている。
お坊さんが、父は阿弥陀如来になったと言ってお経を上げてくれている。
その阿弥陀如来になった父を見て、みんなは悲しみ泣いている。

それは阿弥陀如来になった父が心を発しているのではなく、それぞれの人たちの心が父を悲しんでいるのだ。

心というものは、つねに自分の中から生まれてくる。

葬式というものは、故人のために行うのではなく、残された人のために、その心の悲しみを鎮めるために行うものだとぼくは思っている。
父の葬儀は、ぼくの中では、母のための葬儀だと思っている。

父が亡くなり、心の中で思いがどんどんと生まれてくることで、父は最後にその「心とは何ぞや」とぼくにとっての答えを教えてくれた。

人は相手の心ではなく、自分の心でその人の存在を確認している。
存在とは、形でもなく、相手の心でもなく、自分の心が生み出している。

そう、自分の心に父がいるということは、父は自分が死ぬまで生きているということなのだ。

今、取り組んでいる研究は、DXにおいて、キャラクターたちにどうやって心を感じてもらうか、それを超高齢化時代の中でのコンテンツ化である。
つまり、心を感じてもらうということは、コンテンツが心を持つのではなく、そのコンテンツによって、それぞれの人たちがどう心を生み出してくれるか。
心の中で生きている存在となってくれるかということだ。

「人によって生かされている」
また父によってひとつ生かされたよ。

ありがとう。