唯一生き残るのは、変化できる者である

 

SONY DSC

2018年2月28日

最も強い者が生き残るのではなく、
最も賢い者が生き延びるのでもない。
唯一生き残るのは、変化できる者である

進化論のダーウィンのもっとも有名な言葉だ。

前回、「シンギュラリティに向けて、大学はどう変わり、学ぶべきか」といったことをここで書いたのだが、エクスポネンシャルに進化している現在、AIに仕事が奪われるとか、シンギュラリティがやってくるとか、そういったことが言いたかったわけではない。

そこに向かってテクノロジーが進化し、時代が変わっているということを、まず知らなければならないと書いたつもりである。
知らなければ、まず変化できないからだ。

だが、どうもうまく伝わらない。
大学の教授たちからも、大学を変えるにしても「まずはベーシック」といった言葉が返ってくる。
学生にしても、時代は今のまま続くと考えているのか、マンガを描くということに対して、印刷物の冊子で描くのがマンガであり、その表現でこれからも生きていけると思っている。

暴論と言われるかもしれないが、どう考えても今の形では、出版社は今後10年、とても存続できるとは思えない。
今の形のマンガはなくならないとは思うが、まず、今の形では食ってはいけない世界になることは間違いない。(今でもすでに30年前より原稿料は下がっているなど、生きてはいけない世界ではあるが)
マンガは表現であり、マンガを創るものは作家のはずだ。
作家というのは、表現者であるわけで、表現者というのは、新しいテクノロジーが生まれれば、媒体の中で、そこでできる表現法の中で、新しい表現を生み出したいと考えるのではないだろうか。
もちろん、冊子という媒体の中で、だれも表現したことのない表現を生み出すことも作家である。
だが、今のマーケティングされた雑誌の世界では、本当に新しい表現などなかなか生み出すことのできない世界になっている。
変化できなければ、新しい変化によって淘汰されていくのが時代である。

たとえば写真がそうだ。
ぼくもプロとしてプレイボーイやNumberなどでスポーツのグラビアも撮っていた。
使うフイルムはコダックである。
当時、プロ契約していたミノルタのレンズとコダックの相性が実によかったこともある。
そして何より世界一の写真フイルムメーカーである。
その世界一が、計算機メーカーのカシオがQV-10という、一般で使われ初めたデジタルカメラを発表して、たった17年でコダックは倒産してしまう。

デジタルカメラを世界で最初に開発したのは、実はコダックだったのだが、カメラはフイルムという既成概念んい縛られ時代の変化の中で消えていくことになる。

考えてみれば、そのデジタルカメラは今、スマートフォンの中に取り込まれてしまっている。
電話機、ICレコーダー、ゲーム機、テレビ、CD・DVDプレーヤー…
10年前、それぞれが個別で持っていたはずのものが、アプリとなって、それもだれでも買える値段、もしくは無料で高性能の万能機械としてスマートフォンの中でだれもが使っている。

与えられるものに対して、意識もなくだれもが変化しているのかもしれない。
だが、自分のやっていることが変化することに対しては、なぜかみんな既成概念に縛られ変化を拒もうとする。
自分がこれまで積み上げてきた実績が、変化によって変わってしまうことを認めようとしないのかもしれない。

だが時代はエクスポネンシャルに動いている。

「唯一生き残るのは、変化できる者である」なのだ。

3年ほど前、ちばてつや先生に、「なぜ学生たちは、時代が変わっていることに直視して勉強しないのですかね」「こんなチャンスな時代に生きているのに」と話したことがある。
するとちば先生はニコニコしながら、「みんなが田中先生みたいに勉強して行動したら、田中先生の商売、あがったりになっちゃうね」と言ってくれた。

「あぁ、そうだ」と、たしかにそうなのだ。
それ以来、既成概念に縛られ、変化を拒もうとする人たちに出会うと、「この人たちのおかげで、商売になってます」と、そう思うことにしている(笑)

ちばてつやMANGAイノベーション研究所として取り組んでいるプロジェクトのひとつ、「9bプロジェクト」の、4月スタートに向けての、予告ホームページがスタートしています。

http://www.project9b.com/
アートディレクターの姫川明輝先生が、続々とすごいキャラクターを生み出してくれています。楽しみに!