長い旅のような一瞬の時間

今年に入り、「イマーシブ」にいくつもの可能性を感じ研究に取り組み始めている。

元々、冊子で読んだマンガの中へ入り込めることのできるマンガを、3Dモデリングで背景制作、それを冊子では2Dに変換するなどの方法で、マンガの中にVRで入ることができるDX研究を2017年から帝京大学と共同研究でやってきた。
それだけにイマーシブに関してはいろいろアイデアはある。

もちろんアイデアを形にするための専門的な知識を必要とされることもあり、自分たちだけでは限度があるのだが、そこは大学という研究機関。
アイデアがあればAIやハプティクスなど、専門的に研究している大学とも研究機関として繋がることができるというわけだ。

DX研究というやつは、時間の流れとともに、新しいイノベーションが生まれる、つまり歳を重ねるとともに、アイデアが実現可能になり、やりたいことがここ数年でどんどん増えてきてしまっている。
だが、ふと、自分の年齢を考えると残された時間はあまりないことに気づく。
そして何より、自分の時間は年齢とともに、ジャネーの法則によって早く進んでいる。

ジャネーの法則というのは、19世紀のフランスの哲学者・ポール・ジャネーによって生まれた、「主観的に感じる年月の長さは歳をとるほど短くなる(時間が早く過ぎると感じる)」という法則だ。
年齢は、感じられる時間の長さを決定する唯一の要因ではないが、感覚としてはだれもが感じていることだと思う。
子どもの頃は、新しい出会いや新しい発見がいくつもあるのだが、大人になるにしたがって、新しい発見や経験をする機会が徐々に減っていく。
つまり、新鮮でない発見や経験は、時間の流れは止まらないで、はしょるように流れてしまうということだ。

ジャネーの法則による年齢による体感時間で計算した場合、たとえば68歳のぼくがあと5年がんばろうと思ったとき、人間の1歳までの1年365日の長さで計算すると、68歳のぼくの5年は1歳児のたった25日の体感でしかなくなってしまう。

いやいや、ちょっと待ってくれである。
年齢を重ねるごとに、あっという間に時が過ぎて言っているというのは、もちろん感じているのだが、数字で示すと…ぼくの5年はまさに一瞬ではないか。

だが、その一瞬が「とてつもなく濃い時間」になることもある。
ここ毎回、自分が20代だったころのボクサーたちとの日々を、AIにはできない、その一瞬をボクサーたちと生きた証ちょして動画にしてここに載せている。

振り返れば、ほんとうに濃い時間の流れた日々だったと思う。
特に浜田剛史との日々、彼がランキング外から、世界の頂点に立つまでの2年間は、一瞬だが、「濃い時間」…
いや、すべての時が深く、濃く、重く、眩しく…
あぁ、やはり言葉にはできない…そんな自分の中の森羅万象といっていい時間だったことは間違いない。

だから、浜田剛史の世界戦が決まったとき、あのとき「がんばれ」の言葉は掛けられなかった。
「がんばれ」ではなく、もっと自分の中から湧き出る思い。。
その浜田の人生を賭けた時間に携わるために、ぼくは湧き出る思いの形として、そのとき浜田といっしょに減量することを決めた。
もちろん絞った身体から10キロ以上減量する浜田の減量のレベル比ではないが、10キロの減量を自分に課した。
浜田の世界戦のポスターはぼくが描くことは決まっていたので、浜田と同じ計量の日と時間までに10キロ落ちなければ、原稿料はいらないと帝拳ジムのマネージャーに宣言しての減量だった。

その期間、食事制限し、走り、サウナへ通った。
新聞記者、マネージャーが見守る中、リミットいっぱいでぼくの減量は成功し、翌日浜田の世界戦の闘いの場に向かった。
そして1R3分9秒、浜田はKOで世界を奪取した。
興奮と歓喜で記憶が飛ぶ中、ぼくのカメラには、その試合の、その後のすべてがちゃんと記録されていた。
一瞬だったが、長い旅を記録していたような濃い時間がそこにはあった。

 

そうだ。
今また、あの日々の時間のように生きればいい。
そう、ぼくはそうした生き方を知っている。
あのボクサーたちとの日々が教えてくれた生き方を知っている。

残された時間をそう生きればいいだけのことだ。

【旅の空 XI Tsuyoshi Hamada其の二】

AIの中で自分のリアルが見えてきた

インターネットが生まれてから、モノつくり社会から、情報社会に変わってしまった。
世界の時価総額ランキングで日本を見れば、日本の失われた30年が実によく見えてくる。
平成元年1989年の世界の時価総額ランキング50では、50のランキングの中で上位5位まですべて日本企業が独占し、50の中の32企業が日本の企業が占めている。
それから30年、平成30年2018年では、ランキング50の中で、43位にトヨタ1社だけの名前しかない。
上位は1位がApple、2位がMicrosoft、3位がAmazonと、社会は情報で動いていることがわかる。
モノつくり日本にあぐらをかき、情報社会に乗り遅れたのが日本の失われた30年だということだ。

そして今、時代はAI時代へと凄い勢いで変わっていっている。

インターネットのときもそうだったのだが、日本は実に動きが鈍い。
鈍いだけでなく、日本は世界の最前線を走っている国だと未だに錯覚している人たちが多い。
コロナのとき、行政は情報共有にFAXなど未だに使っていた、そんなデジタル後進国だと気づいたはずなのに、また、失われた30年の二の舞を繰り返そうとしている。

大学にいると感じるのだが、最前線を行くべく研究機関であるはずの大学では、これからの人材育成もかねているはずである。
だが、その研究者であるはずの教授たちが、時代の流れの中で生きていない人たちが大半である。
つまりは、時代とともにアップデートしていかなければならない「学び」が出来ていない先生と呼ばれる人たちが何と多いことか。

AIの研究会を開いても、ぼくの行っている大学では、自分のゼミの学生、卒業生以外は声をかけても参加するものはいない。
他大学との研究会に参加しているのも、自分の他は参加しているのを見たこともない。

先日、大学のある宇都宮市が開いた6日間にわたる、これからの宇都宮を考えていく集まりにも、信じられないが自分の大学で参加しているのは自分一人しかいない。
研究発表と講演をやらせていただいたのだが、終わったあとの企業のひとたち、市民の人たちの交流会では、AIも含めたDX質問攻めをうけたのだが、自分の大学の先生でその質問に答えることのできる先生はまずひとりもいないと思う。

大学の先生というのはまず「知識人」だとだれもが思っている。
だが、今のAIによる「情報社会」では、「知識が価値を失う社会」になっていく。
高学歴のエリートの持つ「知識」など、学歴の中で学んだ「知識」が大半なわけだから、そんなものはAIによって置き換わっていく。

学生にもいつも言っていることだが、今からの時代、「自分にしかできない〝何か〟」がなければ、表現者としては生きてはいけない。
そんな難しいことではない。
生きてきた自分には、自分だけの物語がある。
その〝物語〟の中で、いかに自分がいくつもの経験と体験をしてきたことが重要になる。

何かを始め、それに夢中になったとき、「もっと知りたい」という気持ちが沸いてくる。
知識ではなく、自分の答えを探すためにリアルの中でその答えを探す。
表現とはまさに「研究」の中から生まれてくる。

「研究」には答えがない。
だから「研究」して、自分の「答えを生み出し」、それが自分だけの表現へとつながっていく。

 

ぼくはたくさんの作品を書いてきた。
夢中になって取材し、書いてきた。
今もつきあいのある、浜田剛史とは、自分にしか書けない作品をいくつも書くことができたと思っている。

ノンフィクションで書いてきたぼくの作品は、「ぼく」という自分の一人称で書かれた作品が大半である。

ぼくと浜田が世界チャンピオンになるまでの日々は、ぼくにとって、作家としてただただ凝縮された濃い毎日が駆け抜けていった日々だった。

 

AIを研究していると、大学ではアナログこそが深い表現ができると、AIを使っての表現など人間味がなくなると、勘違いした人たちから意見される。

何を言うか。
AIを研究すればするほど、人間を知ることになる。
自分の経験してきた〝物語〟がよりリアルに生きてくる。

これだけは言っておきたい。
今、ぼくが創っているコンテンツ、研究を意見するのなら、ぼくの作品以上のリアルを見せてから言ってくれ。

ぼくのAI研究から生まれた答えを書いておく。
アナログとか、デジタルとか関係ない。
表現者が表現するということは、その生き様がすべてということだ。
アナログとか、デジタルなど単なる手段でしかないということだ。
その手段を学ばず、アップデートせず「今のままがいい」と、留まる人たちよ。
今のままというのは現状維持ではなく、流れる時代の中で後退していくことに気づかないのか。

生き様とは、藻掻きながらでも前へ前へと進み続けなければ見えてはこない。

【旅の空 ⅩTsuyoshi Hamada】其のⅠ