大学でのぼくのゼミでは、課題は自分で決めることにしている。
「課題の目的」というレポートを提出してもらい、「目的」が定まっていない場合は、課題の制作には入れないことになっている。
ChatGPT3.5が一般公開された2022年11月からは、レポートを書く上で必ずAIを使うように指示している。
アーティストが制作に挑むとき、「なんとなく」では、まずまともな制作などできるわけがない。。
数年前、ながやす巧先生と話したとき、ひとつの作品を生み出すとき取材など2年の時間を掛けていると話してくれた。
実はぼくも、取材で最低2年追いかけ、生きたキャラクターを生み出してきた。。
もちろんそれはプロの作家としての「覚悟」があるからである。
学生は「絵が好きで絵がうまくなりたい」と、「絵」が優先順位のほとんどを締めて大学にやってきている。
大学に来たときから言っているのだが、それだったら学費の高い大学ではなく、専門学校で学ぶ方が、レクチャーを主として学ぶ場所なのだから、絵の描き方は間違いなく上達するはずだ。
でも、大学は違う。
研究機関である。
ぼくは作家は研究者でもあると思っている。
興味を持ったものをとことん調べ、生きたキャラクターを生み出すためだったら、世界、どこへでも行くし、モデルとなるキャラクターを見つけると、とことんそのキャラクターを追いかけ、深くリアルに知ることで自分の中からキャラクターが産み出るまでとことん粘る。
それにはどうしても2年以上かかってしまう。
もちろん学生にそれができるとは思っていない。
だが、大学で真剣に研究し、制作する以上、プロ、アマ関係なく作家の意識だけは持たなければならないと思っている。
大学で学生を見ていると、自分がやりたいことが漠然としていて、目的の解像度が低いまま、「なんとなく」で制作を進めるて、宿題のように課題を提出してくる。
もちろんそれでは表現者としての「覚悟」などまず生まれるわけがない。
ましてやAI時代。
絵に優先順位を置いている学生には、生成AIを使って成長していくキャラクターを創って見せている。
レベルの高い、魅力的な絵をAIは、それもそのキャラクターが生きている世界の中で成長を創ることができる。
絵を創るだけなら、AIの方が遙かに魅力的なキャラクターを数秒で生み出してくれる。
なぜなら今の生成AIには何兆というパラメータ数から、こちらの意図と形にしてきている。
狭いひとつの思考ではなく、水平思考も含め、あらゆる可能性をプロンプトで引き出すことができる。
それを見て、人間は自分の中の可能性を大きく広げ思考する。
そのために、AIを活用するべきと指示をしているというわけだ。
それともうひとつ。
AIを知ることによって、人間が今までいかに「機械」のように生きてきたかを知ってもらいたいとも思っている。
それは教育に関してでもある。
そしてそこで「人間とは何か」を考えてもらいたい。
ぼくは今、10代、20代のころ読んでいた「哲学」の本をまた読み返している。
自分の目的を考えたとき、究極は「しあわせ」になることだと思っている。
そのためには「お金」はいるのか?権力がほしいのか?ぜいたくに生きたいのか?
それがしあわせなのか?
ぼくが10代のころ夢中で読んだフランスの哲学者アランの「幸福論」ではこう言ったことが書かれてあった。
「人間は自分の意志によって幸福になれる」
つまり、外的な環境や偶然の出来事に振り回されるのではなく、自分の心の態度を整えることで幸福は手に入る。
人間の生み出す哲学は、AIの答えを求めるでななく、「答えのない答えを求めていく」。
人間は実におもしろい。
今回も「旅の空 XVII」の動画を創った。
20代に撮りつづけたボクサーの思い出の中の1分間。
【旅の空 XVII Hiroyuki Miyata】
彼の忘れない言葉がある、
「本気で闘いながら、本気で闘っていなかった」
その言葉の意味
「ぼくは人を殴れなかった」
ボクシングには殴られる怖さだけではない。
人を殴る怖さもある。





