空海の風景

中学、高校のころ香川県の丸亀に住んでいたことから、空海が身近にいた。
空海の生まれた善通寺は通学路にあったことからよく行ったし、高校のころは「旅の重さ」という映画を見て、お遍路のように自転車で四国を一周したこともある。

空海が中国から日本へ持ち帰った「密教」のことなどまったく知らなかったのだが、なぜか空海にはいつも惹かれていた。

空海と名乗るとととなった、苦修練行の窟。
そこで座禅をすると目の前には空と海しか見えないことから、「空海」と名乗り始めた
「御厨人窟」。
天空の聖地「高野山」。
圧倒される曼荼羅の宇宙。
立体曼荼羅を10代のころ東寺で見たときの衝撃…

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空海の風景の旅は中学生のころから始まり、空海が密教のすべてを学び、最高の儀式である伝法灌頂を受けた中国・長安「青龍寺」にも行くなど、旅は今もまだつづいている。

だが、なぜこれほどまで「空海」に惹かれていったのか、答えは自分が今、大学で研究しているDX研究から「そういうことだったのか」と思えてきている。

仏教には顕教と密教の2種類があるのだが、顕教とは言語や文字で明らかに説いて示したまさに「経典」の教えなのだが、密教には「経典は存在しない」。
つまり文字では伝えきれない「情報」を師から弟子へと伝られるのが密教だと解釈している。

これはアルバート・メラビアンという心理学者が1971年に発表した法則で考えるとわかりやすいかもしれない。
言語情報が7%、聴覚情報が38%、視覚情報が55%という法則。

空海にこれほどまで惹かれたのかメラビアンの法則から考えると、「視覚情報」で空海に惹かれていったと納得する。

曼荼羅、立体曼荼羅、高野山…
宇宙を視覚で空海は見せてくれていたということだ。

そしてもうひとつ、山岳信仰を起源とした修行、つまり身体で感じることで見えてくる生き方は、「行動する」をモットーとしている自分の生き方にマッチしているというわけだ。

空海の生き方に、もしかしたらAI時代に生きるヒント。
「人間とは何なのか」が見えてくるかも知れない。

そう、「人間という宇宙」を空海は求めつづけたのかもしれない。

【旅の空Ⅳ 空海の風景】