TOKYO2020で見えてきたことと感じたこと

オリンピックが始まった。
パンデミックの中でのオリンピックということもあり、複雑な思いはだれもが抱いていると思う。
とはいえ、「そのために生きてきた」選手たちの、とてつもなく濃い時間を、オリンピックの一瞬に凝縮した闘いには、やはり心を振るわせてしまう。

その選手たちの凄さを「伝える」のが間違いなくテクノロジーだと思っている。

1924年のパリ大会でラジオが始まり、そして1936年のベルリン大会からのテレビによって、オリンピックは世界中の人たちが見ることのできる大会となっていっている。
前回のリオデジャネイロ五輪で世界で36億人が見たと言われている。

そうテレビというテクノロジーによってオリンピックは、世界中に感動を与える大会と
なったということだ。

そしてTOKYO2020。
2018年の平昌オリンピックで、5Gによる「伝える」の一方的ではなく、自分の目的で自由に選手を応援できるアプリなど。また自由視点カメラによるライブVR、ドローン、e-sportsと、新しい形のスポーツ観戦が体験でき、新しい「伝える」の表現が始まった。それだけに、TOKYO2020は間違いなく、世界最新のテクノロジーによって、新しい「伝える」を生み出してくるオリンピックになると思っていた。

だが、まず開会式で165億をかけた演出ということで、どんな凄い演出を見せてくれるのかと期待していたところ、テクノロジーを使った演出はドローンぐらいしかない。
それもドローンで映像を組み立てる見せ方は、すでに平昌オリンピックの開会式でも行われていたし、海外のイベントでもよく見られる、新しい驚くような表現などではない。

NTTや、CanonなどでXRの新しい表現が研究されていただけに、そういう技術はなぜ使わないのだろうと思ってしまう。

コロナ過で無観客のオリンピックだけに、裏を返せばテクノロジーを使って、現場にいなくても、現場以上のリアルを感じ、自分も参加できる新しい時代のスポーツ観戦を表現できるオリンピックが創れたはずだ。

57年前、1964年の東京オリンピックにしても、市川崑監督の映画、デザイナーの亀倉雄策氏のポスターを見たらわかるように、オリンピックは新しい表現にクリエーターは挑んでいる。
つまりオリンピックはクリエーターにとっても、新しい表現で世界を驚かせる、そういった「場」でもあったはずだ。

今、XRのエクスポテンシャルな進化によってイメージを形にできる時代である。
なぜそういった新たな表現を生み出すクリエーターを選ばなかったのか?

今回の開会式を巡るゴタゴタで、クリエーターの世界において、大きなお金の動く場所は、権力と利権とコネによって動いていく様が実によく見えてきた。

まぁ、それだけにオリンピックで闘う選手たちの、実力で勝ち取ったものが評価される純粋な世界だと思うことができる。
だからぼくたちは感動する。

ぼくはスポーツの作品を数多く書いてきた。
とことん取材して書いてきた。
たとえば、100メートルで10秒を切る選手。たとえば160キロのボールを投げる選手。たとえば150キロのパンチを繰り出す選手。
もちろん、そのためにどれだけのことをやってきたかという尊敬もある。
だが、もっと単純に、その選手が目の前に立っただけでぼくは尊敬の念を純粋に抱き、感情が湧き出てくる。

なぜなのか…
20代のときの本の中でぼくは書いている。
「人は生命力の強さに尊敬を抱く」

そう、世界の頂点を目指して、そのためだけに生きてきた選手の集まるオリンピック。
生命力の強さの塊がそこにある。

だが、生命力の強さはスポーツだけではない。
オリンピックにおいて、メディアにおいてテクノロジーを使って伝える側も、技術だけではなく、生命力を持って表現に挑まなければならない。

見る側が感嘆するような表現を、伝える側からも見せてほしい。

そんなことを思いながら、TOKYO2020を毎日テレビの前で見ている。

自然の中で生きる

6月の初旬に仕事場を東京の都会の街中から、自然に囲まれた地へ移した。
ずっと考えてきたことだ。

自然の中で生きたいというのは、詩人であり随筆家…いや、ぼくにとってはタオイストとしての哲学を感じる作家である加島祥造のような生き方にあこがれていたこともある。

加島祥造は67歳のとき伊那谷に移住し、道教の自然の宇宙に生きるといった考えの道(タオ)に包まれた中で、92歳で亡くなるまでを過ごしている。
加島祥造の本にこういった言葉がある。

この暮らしがとても気に入ってるんだ。理由は簡単だ、楽しいからさ。毎日たくさんの驚きや発見がある。遠くに見える山々は毎日違う姿を見せてくれる。道ばたの草花や木々の姿、夕焼けの色、鳥や虫の声、風。そういったひとつひとつにびっくりする。もちろんここに住む前にだって、自然に触れて「きれいだな」「素晴らしいな」と感じたことはたくさんある。でも、じっさいに住んで、心と身体で実感するのは、それとは違う。自然からうける感動というのは、何度味わってもまったく薄まらない。それどころか、もっともっと強く心に響いてくる。

そう、行くではなく、そこに身を置くが大事なんだ。
ぼくは自然が好きだからと、いつも海、山、川、森と、旅の中で自分の好きな場所を見つけ、気に入った場所には何度も足を運んできた。

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好きだからそこへ行く。
それはなぜか?
仕事も好きだから、ミュージシャン、マンガ家、作家、フォトグラファー、大学教授とやってきている。
その「好き」というのはいったいどういうことなのか?

加島祥造の言葉がそのヒントを与えてくれた。

好きなことをしていれば、次ぎの「好きなこと」を見つける力が湧いてくるということだ。世間ではよく子供や若い人に「自分の好きなことを見つけてそれに向かって進みなさい」という。しかし、私が言いたいのは、それとはちょっと違う。どこが違うかと言うと、世間が「自分の好きなことに向かって進め」というとき、それは将来のことを言っている。

「好き」なことは遠くのほうにあって、そこへ向かって歩いて行くための目標になってしまっている。でも本当の「好き」は、「今、このとき」の感情だ。「今」したいと思うことを、「今」する。「好きなことをする」ことの本来の姿だ。

本当の「好き」は、「今、このとき」の感情。
まさにその通りだと思う。

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もう20年以上も前から武術に興味を持ち、知りたいという「好き」で、沖縄、中国と何人もの武術家に取材させてもらった。
そして武術は「禅」だと感じた。
中国禅宗の開祖である菩提達摩が少林寺武術の創始なのだが、武術を取材すればするほど技、思想と武術に留まらず禅の宇宙が繋がっていく。

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つまり、「好き」が次の「好きなこと」を生み出し、自分の「好き」なものへの、自分の答えへと導かれていく。
その導きの答えとは、道(タオ)という哲学に足を踏み入れることではないだろうか。
答えというのは、森羅万象すべて「明確でない」ということを知るということだと言うことだ。
仏教、禅、そして道教とすべては「哲学」として自分の中でうごめき始める。

仏教の教え、「即今(そつこん)・当処(とうしょ)・自己(じこ)」、「今、ここで私が生きる」とは、自然が好きだからと自然を求めて行くのではない。

自然の中に住み、移りゆく今を心と身体で実感する。
自然はその一瞬、一瞬に二度と同じ匂い、同じ光、同じ風、同じ音…同じものは存在しないことを教えてくれる。

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そしてこの地を選んだ一番の要因に、自分の中で宇宙を感じる場所がある。

山岳の渓で、自然の脅威に果てることなく、1000年以上も生き続けている「千本桂」。
その樹はぼくにとってのタオだと感じている。

変化は成長となる

Nさんからイラストを頼まれた。
ここのところ、イラストの仕事は受けていないので断るつもりでいたが、そのイラストというのが、古賀稔彦さんの名前のついた少年少女柔道大会に向けての古賀さんのイラストだった。

古賀さんとはいくつもの想い出がある。
仕事はもちろんのこと、プライベートでも飲みに行くなど、古賀さんはぼくにとって濃い時間を過ごさせてもらった尊敬の人である。
それを知ってNさんが頼んできたイラストだ。
もちろん断るわけにはいかない。

描きながら、古賀さんとのことがいくつも思い出されてきた。

その中のひとつ。
古賀さの一本背負いは、当たり前だが世界一である。
だがその世界一というのは到達ではないと、古賀さんは話してくれた。
たとえばバルセロナで金メダルを取った次の瞬間、すでに自分は世界一ではないというのだ。
もともと柔道は、相手の予期せぬ技をかけることで、相手のバランスを崩して倒す闘いだ。
だが、近代柔道はテクノロジーによって、出す技はビデオに撮られ研究される。
一本背負いで勝って世界一になったからといって、その次の瞬間は、その一本背負いは研究され、世界一の技ではなくなっている。

世界一を目指すということは、勝った次の瞬間、この技は研究され、次はこう攻めてくるということをこちらも研究しつづける。
そして、その攻めを崩す一本背負いをつねに新たに生み出していく。
その繰り返しで進化していくことが、世界一を目指すということだと。

もう20年前に古賀さんが話してくれたことだ。

 

古賀さんの言葉はまさに、チャールズ・ロバート・ダーウィンの言葉と同じことを言っていたのだと今更に思う。

最も強い者が生き残るのではなく、
最も賢い者が生き延びるのでもない。

唯一生き残ることが出来るのは、
変化できる者である。

今、ぼくらはすごいスピードでの変化を目のあたりにしている。
もちろん新型コロナの影響は大きい。

だが、考えてみれば、20年前に古賀さんが言ったように、何かを成し遂げようとするということは、「到達」ではない。
成し遂げた瞬間に、それは過去のものとなる。

だからいくつになっても走りつづけていく。
変化は成長となる。


「古賀さん、一生成長」なんだよね。
何か古賀さんを描きながら、古賀さんがあのとき伝えようとしてくれた大事な言葉、思い出したよ。
ありがとう!古賀稔彦さん!

安楽椅子を買った。あまりに楽で思想がわかない

2021-4-29

 

今年もゴールデンウィークのこの時期に、緊急事態宣言が発令された。
前回の緊急事態解除からの世界の状況、流れから見てこうなることはわかっていたと思う。

そう、「想像」すればだれにでも予測できたはずである。
だがエビデンスが見えてこないことで「想像」の目的があいまいになり、まん延防止にしろ、緊急事態宣言にしろ漠然としか捉えられなくなっている。

 

ぼくは大学では学生に、知識がなければ想像できないと語っている。
当たり前だが、どんなことだって知識がなければ想像は生まれない。

知識のない想像は、たんなる思いつきでしかない。

緊急事態宣言においての知識とは、科学的根拠に基づいた根拠である。
単なる数字が減ってきたからというのではなく、だれもが知りたいのはその数字のエビデンスだ。
それも目先ではなく、「こうなった場合はこうしていく」「なぜならこういうことだから」と、エビデンスによっていくつかのプランが出てこなければおかしい。

エビデンスを持ったプランを示してもらえれば、数字にリアリティが生まれ、ひとりひとりが「目的」を持って取り組むことができる。

最初のPCR検査にしても、クラスターつぶしが不可能になった時点で、なぜPCR検査を増やさないのか何の説明もないまま、どこに向かって、何をやろうとしているのかまったくエビデンスが見えてこないままでここまで来てしまっている。

日本人特有の曖昧にして、だれも責任を取らないシステムの中でその場しのぎ、だれもが人ごとのように時間だけが流れどんどんと最悪な道を歩んでいる。

今回のコロナで「あぁ…」と感じていることがある。
エビデンスが示されず、考えること、想像することができないではなく、考えること、想像することができなくなっている人間が増えているのかもしれない。

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大学で以前学生から大学側にぼくへのクレームがあった。
「田中先生は何事も考えろと、自分の頭で答えを考えろと、いつも答えを教えてくれない」
「学生に答えを教えないで考えろというのは、教師として職場放棄です。給料泥棒です」と、そういったクレームの投書だった。
ちなみに、その学生(いや、大学生の認識のないので学生ではなく生徒だな)は、自分の受け持つ生徒ではないのだが、他の先生の授業のように、教壇に立ち授業をするのではなく、研究室や、他の大学に行って学生たちと研究・制作をする田中ゼミは授業ではないと見ていたらしい。
そもそもゼミは研究であって、授業なのではないことすらわかっていない。

つまり大学とは考えるや、想像するでなく、教える側は問題の答えをちゃんと示さなければならないと考えているということだ。
それは大学を研究機関ではなく、答えを教えてくれる学校だと思っているからだろう。

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研究というのは、答えを自分で見つけ出すものであるから、検索しても出てこない。
検索して、自分の出した答えが出てくれば、それが自分の研究であり答えだということだ。
そしてそれが新しい常識として認められていく。

答えのあるテンプレートの上での教育で育った生徒は、学生にはなれず、大学に入っても生徒のままで考える力、想像する力を持たぬまま何の疑問もなく卒業していく。

今の状況も、考えないから、エビデンスを示さない政治に対して無関心だし、このままいけばどうなっていくのか想像できない人で溢れているこが今の日本かも知れない。

高校生のころに読んだ本で、どういった本に書かれたことだったのかも思い出せなく正確ではないかもしれないが、こういった言葉を思い出した。

“安楽椅子を買った。あまりに楽で思想がわかない”

安楽椅子とは、つまりは考えなくてもいい答えのあるテンプレートだということだ。

だが、今回の命のかかったパンデミックのテンプレートにない事態になったとき、考える力と想像する力がいかに必要か…日本人がそのことに気づくチャンスなのかもしれない。

目的を持って死ぬまで勉強

2021-3-31

大学の卒業生たちに、「大学を出ても、目的を持って死ぬまで勉強」と伝えている。
勉強というのはつまりは目的の研究のための「知識を得る」ということだ。

もう何度もこの場所でも書いてきたし、世界中で言われてきていることだが、今、ぼくたちは間違いなく大きな時代の変革の中にいる。
日本でも2015年あたりから、今まで機械やエネルギー・通信によって産業革命が起き時代が一変したように、AIのDeep Learningがテクノロジーの中心となり、2045年には「想像」したものがexponentialに形になっていくシンギュラリティの時代が来ると言われてきた。
それが今回のパンデミックによってexponentialに加速がつき3年~5年間違いなく早まってきている。

そう、「想像」したものが、すぐに形になっていく時代。(AIなどの技術が、自ら人間より賢い知能を生み出すことが可能になる時点とも言われている)
その「想像」こそが人間に与えられた人間として生きるための力だと思っている。

「想像」を形にするというのは、そこに必ず「研究」が求められる。
だが、研究にはまず、「知識」がなければ「想像」ができない。

たとえばマンガを制作するにしても、AIを舞台にしたマンガを描こうとすると、AIの知識がなければ、まず想像することなどできない。
つまり、知識を持ち、想像が生まれ、研究がはじまり、それが形(コンテンツ)となる。
これは人類が進化してきたすべての流れといっていい。

新型コロナによって、世界中がデジタル化で進んでいくことに対して、「人間がどんどんと機械に支配されていっている」と、大学の中でもそうだが、デジタル化を否定する人たちがいるが大勢いるが、少し考えてもらいたい。

人間が人間として生きるとはどういうことなのか?
戦後、日本が経済大国となる中で、エコノミックアニマルと呼ばれ、「24時間闘えますか」などというCMが流れる中で、日本人はロボットのように働いてきた。
とくにホワイトカラーと呼ばれるサラリーマンが、日本の経済成長の象徴だった。

そのロボットのように働くホワイトカラーの仕事を、テクノロジーはロボットに任せる仕事としたというわけだ。
それは、人間はロボットにできない、人間にしかできないことをやるべきとテクノロジーによって示された問いでもある。

今のデジタルによって変わる時代を、もっと全体をとらえて見れば、資本主義そのものが変わるしかない時代でもある。
資本主義というものは、簡単に言えば、資本を持っているものが労働者を資本で雇い、資本家が必ず富みを得るシステムである。
マンガ家にしても、少し前まで資本を持つ出版社の下で働かなければ、書店に自分の作品が並ぶこともなく読まれることもなかった。
だから9対1という不公平な富みの配分に逆らうことができなかった。
それが今は、インターネットによって、流通などの資本がなくても作品を読んでもらえるし、作家自身が起業することもさして難しいことではなくなった。

何より、資本を持つものの命令によって作品を描くのではなく、今の時代はインターネットによって個人が自由に配信できる、本来の自分が表現したい作品で勝負ができるようになってきている。
それならば、たとえ作品が失敗したとしても作家として納得できるはずだ。

ロボットのように資本家の下で働く時代は終わり、資本家もロボットのように働く人材ではなく、何百倍のスピードで処理をしていくテクノロジーを使うようになる。

今までは頭がいい人というのは「モノ知り」だった思う。
「勉強ができる」とはモノを知ってることだった。
だが今は、だれの手にもスマートフォンがあり、だれもがモノ知りになっている。
「頭のいい人」の定義はまったく変わってしまったと思う。

だからこそ、今から生きていくのに一番必要なのが、人間の持つ最大の能力「想像」だと思っている。
目的を持って勉強し、知識を得て、想像し、それを形にする。
今、勢いを持って世界を変えているのはDXだが、DXはデジタルの知識を得た先で、想像が生み出すイノベーションである。

「目的を持って死ぬまで勉強」
そこに人間としての新しい生き様が生まれてくるはずだ。

※写真は、妹が老いた両親を温泉に連れていきたいと感染対策をした上で計画し、城崎温泉に3月に行ってきたときのものをイメージとして使いました。

帰る旅

2021-2-21

最近、旅のことをやたらと思う。

この1年、移動の自由が規制されたことで「旅」が自分の中のリアルから消えているからかもしれない。
自分のこれまでの人生のリアルは間違いなく「旅」であり、「旅」の生き方が自分の生き方だったと思う。
毎日が同じ繰り返しの日常ではなく、何が起こるかわからない日々の非日常な「旅」の道程。

自分にとってのリアルと感じる旅の始まりは、そう、高校生のとき自転車で四国一周を皮切りに、九州、本州と自転車で旅をしたときからだ。
気の向くままペダルを漕ぎ、気に入った場所があれば野宿をしたり、ユースなど安宿を探し、その日の気分で行き先を決める。
お金が無くなれば、その日泊まった宿からバイトを紹介してもらい、お金を得ればまた旅を続ける。

ミュージシャンになって、河島英五さんとの全国ツアーも間違いなく「旅」だった。
毎日知らない町のステージで歌い、仲間と出会い、風景と出会った。
ステージ前に必ず町を探索していた「どさまわり」の旅だった。
ミュージシャンとしての十代のときに、プロ意識というものを河島英五さんに見せつけられ、そしてたたき込まれた旅でもあった。
考えてみれば10代のときに日本47都道府県、すべての地域を回っていた。

20代からは海外へもぶらりと旅に出ていった。
当時はそうは思っていなかったのだが、旅のスタイルはバックパッカーそのものだった。
つまりは、宿も取らず、行き先はその日に決めるという、自転車で旅をしていたときの旅のスタイルと、海外に出ても同じだった。

気に入った場所と出会うと、そこに何日間か滞在し、その空気の中で息をする。
そしてレンタルバイクを借りて、その土地を探索する。
ガイドブックになど載ってない美しい海を見つけたり、森の中で滝を発見したり、野生動物との出会ったりなど、予想もつかない日々に包まれるのが自分にとっての旅だった。
そう、旅は冒険だった。
今でも仕事以外で、プライベートで海外に行くときは同じスタイルを通している。

よく人に、ホテルを取らないで不安にならないのかと聞かれる。
そのときボクは例えとして、山に足で登る頂上と、とロープーウェイでの頂上では見える景色、達成感、昂揚などぜんぜん違うという話をする。
それと同じで、知らない町で「チープホテル!チープホテル!」と安宿を探して何件もまわり、そしてベッドにたどり着き荷物を下ろしたときに感じる昂揚感と達成感。
「あぁ、今日も生きている」というとてつもない生命の感動がそこにある。
たった宿を取らないだけで、まったく違う生命のときめきが味わえるのだ。
ホテルを事前にとってしまったら、そんな達成感と喜びなくつまらないと思うのだが…
つまり「楽(らく)」するというのは、安心と引き替えに達成感を捨ててしまっていることになる。

きっと大半の人は、旅ではなく、「旅行」なのだと思う。
パック旅行などまさに、安心というテンプレートの上で、みんなと同じ風景を見ているという安心感を感動と思って写真に収まるだけ。
それをSNSに上げて、「いいね」をもらって満足する。

きっとそういう人たちは、非日常へのあこがれはある。
だが、安心の延長上の上での日常の旅行で、非日常を演出した時間を過ごす。

中学生のころ、高見順という詩人の文庫本を買った。
「死の淵より」というタイトルが気になり買った文庫本である。
ページを開くと「帰る旅」という詩が目に飛び込んできた。

「帰る旅 」

帰れるから
旅は楽しいのであり
旅の寂しさを楽しめるのも
わが家にいつかは戻れるからである
だから駅前のしょっからいラーメンがうまかったり
どこにもあるコケシの店をのぞいて
おみやげを探したりする

この旅は
自然へ帰る旅である
帰るところのある旅だから
楽しくなくてはならないのだ
もうじき土に戻れるのだ

おみやげを買わなくていいか
埴輪や明器のような副葬品を

大地へ帰る死を悲しんではいけない
肉体とともに精神も
わが家へ帰れるのである
ともすれば悲しみがちだった精神も
おだやかに地下で眠れるのである
ときにセミの幼虫に眠りを破られても
地上のそのはかない生命を思えば許せるのである

古人は人生をうたかたのごとしと行った
川を行く舟がえがくみなわを
人生と見た昔の歌人もいた
はかなさを彼らは悲しみながら
口に出して言う以上にそれを楽しんだに違いない
私もこういう詩をかいて
はかない旅を楽しみたいのである

高見順「死の淵より」

本来はだれもが旅人のはずだと思っている。
生きているものは必ず死ぬ。
死ぬということは、人は自然の中で生まれ、生きて、そして自然へ帰っていく旅をしている。
その旅でどこまで行くことができるか。
それは、生きている中でどれだけの経験ができるかということだ。
時間は命。

経験は出会いとなる。
どれだけ多くの人に出会えるか。
どれだけ多くの風景と出会えるか。
どれだけ多くの感動と出会えるか…

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これからもぼくは旅人で生きていきたい。

グンフー(功夫)な人になりたい

2021-1-29

「グンフー(功夫)な人になりたい」と思ったことを思い出した。
グンフーと聞いたら、ブルース・リーやジャッキー・チェンなど香港の武術映画をきっと思い出すと思う。
もちろんぼくも大好きで、あしたのジョーとブルース・リーが自分のアイデンティティだと十代のころから言っている。

なぜそれほど惹かれたのか…それはなぜだったのか…歳を重ねることでわかってきた。
「あしたのジョー、ブルース・リーから、ぼくは“哲学”を学んだ」ということだ。

それを教えてくれたのがまずブルース・リーだった。
ブルース・リーの一冊の本に書かれていた言葉。
ブルース・リーは「ブルース・リー ノーツ」という本の中でこう言っている。

「グンフーとは、ひとつの哲学である。道教と仏教の哲学では必須の部分となっている。
それは逆境に対する理想、すなわち、少しかがんでから飛び上がること、すべての物事に対して忍耐できること、人生における失敗と教訓を利すること、である。
これらは、グンフーという芸術の多面性を示し、グンフーは自分自身の在り方のみならず、生き方を教えてくれる」(ブルース・リー ノーツ)

そうなんだ。つまりグンフーとは戦闘的な言葉ではなく、自分自身の生命をを極める道のり、職種に関係なく可能性を追い求めて行くということではないか。

ブルース・リーの言葉にこういったものがある。

「流れる水は決して腐敗しない。だからただ“流れ続け”なくてはならない」

そう、水たまりは澱んでいくが、流れ続ける沢や川はは決して澱まない…まさに哲学。
そしてもうひとつ、ブルース・リーの好きな言葉(哲学)を書いておく。

「心を空にしなさい。水のように、継体や形を無くしなさい。
水をカップに入れると、カップになる。
水をボトルに入れると、ボトルになる。
水をティーポットに入れると、ティーポットになる。
水は流れることができ、衝突することもできる。
水になりなさい。わが友よ」

形に囚われないで生きなさいというこの言葉は、今も自分の考えの土台となっている。

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ブルース・リー ノーツに出会ったころ、ぼくはいろんなスポーツ選手を取材していた。
ボクシングの世界チャンピオン、世界選手権7連覇の空手家、チョモランマやK2に無酸素で登頂した登山家、100メートルを10秒切るランナー、マラソンや柔道のメダリスト…
そういった選手たちに会ったとき、無条件にぼくの中から「尊敬」の感情が湧き出てきていた。
まだ取材で話を聞く前、挨拶したその瞬間にその感情が湧き出てくるのだ。
それはたとえば世界チャンピオンと知らずに、街ですれ違った瞬間でもその感情は同じように湧き出てくる、そういった身体から放たれる威厳のオーラ。
それが「何」だったのか、このブルース・リー ノーツが自分の中の答えを導いてくれた。
「生命力の強さ」。
生きているものは、「生命力の強さ」を持つものに対して、無条件に尊敬するということ。
まさにそれは「生きる」とは何なにかという問いかけだった。

「死」があるから「生」は存在する。
「死」を感じないでの日々をなんとなく生きているものは、本当は「生きていない」ということであり、生きてもないのに歳を重ね死んでいくだけの一生になっていく。
この世に「絶対」は一つだけしか存在しない。
その一つとは「生き物は必ず死ぬ」ということだ。

グンフーな生き方とは、流れる水のように、死ぬまで自分の生命の可能性をどこまでも前へ前へと進み続ける強さ。その中で死ぬまでにどこまで行けるかといった生き方。
自分は生きていると実感できる生命力の強さ。
自分もそういう生き方をしたいと感じ、「功夫(グンフー)な人になりたい」とぼくは思ったのだ。

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ここ14年以上、大学でちばてつや先生の近くで仕事をさせてもらっている。
ちばてつや先生は間違いなく「グンフーな人」だ。
話していると、「それは何?」「どういうこと?」「凄いね!」と、つねに謙虚に「知りたい」を求めて聞いてくる。
その「知る」ということが「生きる」の根底にあり、そしてそれが生命を持った作品として生まれるといった本物の創造者の凄さをビシビシと感じている。。
生きている自分の創造の答えを求めようとする生命力。
だがそこで見えた答えは、他のひとたちに答えとして押しつけない。
「ぼくはそう思うよ」と断定は決してしないで、答えはそれぞれ自分で考え想像した先に見えるものだと教えてくれる。

そんなちば先生が描いた「あしたのジョー」だからこそ、ぼくは自分のアイデンティティと思うまで、自分の中の生命の根源が揺さぶられたのだと思う。

なぜ「あしたのジョー」からぼくは“哲学”を学んだのか少し書いておく。
あしたのジョーはリアルに週刊少年マガジンに1967年12月15日に連載が始まったときから読み始め、とにかく夢中になっていった。
そのときぼくは10歳の小学生だった。
本来、子供というのはまさにジャンプのテーマでもある「友情」「努力」「勝利」に心躍らされるはずなのだ。
鬼滅の刃など、まさにその典型のマンガで、今でも少年誌の王道のテーマなはずだ。

だが、あしたのジョーは違った。
一番わかりやすい例えが、主人公の矢吹ジョーはライバルに一度の勝っていない。
ライバルと言える登場人物は、力石徹、カーロス・リベラ、ホセ・メンドーサなのだが、その三人から勝利は得ていない。
少年誌で主人公がライバルに勝利をすることのないなど、本来はあり得ない設定だというのに、「あしたのジョー」から自分の人生の道しるべになるべく衝撃を受け、その思いがそれからの人生の歩む土台となった。
生きるとは、勝利などではなく、その道を駆け抜けなければ生きた感覚を得られない、その生きるテンションの高さこそが大事だと感じさせてくれた。

それは面白いマンガというのを通り越した、読むことでなぜあそこまで身体が沸々と音を立ててざわつきはじめ、ガリガリと藻掻くように前へ、上へと感情が騒ぎ始めたのか。
何か、矢吹ジョーと同じ感情、同じテンション、同じ領域に行きたいといった思い。
それは、その矢吹ジョーを生み出した、ちばてつや先生の感情であり、テンションであり領域なのだと思う。

矢吹ジョーのラストシーンなど、「生きた」証としての燃え尽きた最後に見せる微笑みがある。
そこには答えではなく「哲学」がそこにある。

哲学には答えはない。
そこにあるとしたら求める「考える」で身体の中から沸々と湧き出るような生命の鼓動。

「グンフー(功夫)な人になりたい」というのは、生命を感じる…死ぬまで「感情」、「テンション」「領域」を求めて流れ続ける生き方。
それは自分だけの答えのために生きる「哲学」だとぼくは思っている。

IMAGINE

2020-12-31

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2020年が終わろうとしている。
今年は歴史上人類にとって大きく時代が変わったターニングポイントと言われる一年となった。

グローバル化の拍車のかかったタイミングでの、世界中で流れを止めることになったパンデミック。
だがそのことによって、グローバル経済のトレンドになると言われたDX(デジタル・トランス・フォーメーション)の流れが、5年以上先と予測していたことが、たった半年で新しい時代を創っていっている。
アバターによるオンライン会議や接客、エンターテイメントのバーチャル化、Uber Eats など新しい個人流通…
生活は急速にデジタル技術を活用しての新しい「形」DXが生まれてきている。

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またコロナが引き金となり、政治の腐敗、人種差別、格差などなど、本来、人間が「悪」としてきた、その「悪」によるウソを繰り返す姿があぶり出されてきている。
そしてその「悪」が見えたことで権力という「力」を持つものは開き直り、権力者ファーストの「形」が出来上がっていることに気づかされた。
そうなれば当たり前だが、世界は分断の渦となっていく。
このままでは、2020年はコロナがきっかけとなり、閉塞感に世界が包まれていく始まりになりかねない。

だからこそ考えなければならない。
人間が生きて行く上で大切なシンプルな問い。
「しあわせ」とは何だろうか?

頭に浮かんだのは、ジョン・レノン、そう、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが生んだ曲、IMAGINEだ。

そう言えば2020年12月8日はジョン・レノン40回目の命日になる。
ジョン・レノンは40歳で亡くなったわけだから、あれからレノンが生きただけの年月が流れたことになる。
レノンが亡くなってからの40年間も、悲惨の中で「しあわせ」を考えるとき、世界中でいつもIMAGINEが歌われてきた。
9.11、パリ同時多発テロ、3.11…
IMAGINEはシンプルに「しあわせ」を考えさせてくれる。

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IMAGINE

想像してごらん、天国なんか無いって
その気になれば簡単さ
地面の下に地獄なんか無くて
頭の上にあるのは、空だけ
想像してごらんよ、みんなが今日を生きている

想像してごらん、国なんか無いって
難しい事じゃないさ
殺したり、殺されたりすることもなく
宗教だって無い
想像してごらんよ、みんなが平和に暮らしている

君は僕を夢想家だと言うかも
でも<夢想家は>僕だけじゃない
いつか君が仲間に加わってくれたら
世界は一つになるんだよ

想像してごらん、独り占めも無いって
君にできるかな
物欲も飢えも無くなって
人類は兄弟なんだ
想像してごらんよ、人々が世界を分かち合っている

君は僕を夢想家だと言うかも
でも僕だけじゃない
いつか君が仲間に加わってくれたら
世界は一つになるんだよ
 Written by John Lennon & Yoko Ono

この曲が世に出たとき、レノンは共産主義者だと声を上げる政治家たちがいた。
純粋に語る「しあわせ」にイデオロギーがそんなに必要なのか笑ってしまう。
そういったイデオロギーを持つ者が、政治の腐敗、人種差別、格差を生んでいっている。

レノンとヨーコはもっとシンプルに、想像という言葉で「しあわせ」とは何かを語りかけてくれている。

当時ヨーコはインタビューでこう言っている。
「想像する思いを描く、これは魔法のようなパワーよ。昔からあった人類の夢。たとえば空を飛びたいと想像した結果、飛行機ができたの。次ぎに私たちが想像するのは平和であるべき」

そう、すべては想像から始まる。
今からの世界の経済の核となるであろうDXも想像から始まる。
テクノロジーもつまりはすべて想像から生まれたものだ。
人間は想像によって、withコロナの未来を創っていくだろう。

その想像は、「しあわせ」になる想像なのか…
IMAGINEの曲は、「無関心」ではなく「想像」しなさいと伝えてくれている。
ぼくらの、ひとりひとりが想像が新しい時代を創っていくということを語っている。

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2021年に向けて想像する。

「君は僕を夢想家だと言うかも
でも僕だけじゃない
いつか君が仲間に加わってくれたら
世界は一つになるんだよ」

助走の時間

2020-11-30

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10代のころ考えたことがある。
「人は必ず死ぬ」
「ならば生きるということは、自分は何を求めて生きていきたいのだろうか?」
物欲、名誉欲…
そういったものではない。
いろいろ考えている中で、「あぁ」と思ったことがある。

子供のころから旅ばかりしていた。
お金がなかったので自転車中心の旅で四国を周り、太平洋沿岸を走り、日本海を東へ西へとどこまで行けるかペダルをこぎ続けていた。
毎日いろんな人と出会い、毎日初めて見る景色と出会い、毎日生まれて初めての経験と出会う。

人は動けば必ず「出会い」がある。
たとえば風景。
たとえば人。
たとえば経験。
たとえば感動…
ぼくは一生のうちに森羅万象どれだけの「出会い」があるのだろうか…
ひとりの人間が生きていて森羅万象出会えるのは、宇宙が誕生したとされる138億年からすればほんの一部、ほんの一瞬、ほんの一滴でしかないはずだ。
だとしたら、死ぬまでの一瞬の中でどれだけ森羅万象から感じることができるか…

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そう、もう半世紀も前に考え、自分の答えとしてきたものだが、実は60歳を過ぎた今でも「出会い」が自分の中の一番の生きている時間の意味だと思っている。

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この一年、もしコロナがなかったらどれだけの出会いがあったのか…
コロナによって規制され、隔離された中では出会いは限られている。
だからだろうこの一年、ずっと閉塞感のある心の日々が流れている。

予定なら今年の4月から研究の拠点を中国に移し、南京伝媒大学に用意された2つの研究室で、たくさんの出会いとともに研究の日々を送っていたはずだ。
大学でやっていくこと、中国の民間最大のメディア会社で研究していくこと。
コロナがなければどれだけの人と出会い、どれだけの風景と出会い、どれだけの研究と出会い、どれだけの経験と出会えたのだろうか…

もちろんリモートではつねに連絡を取り合い、会議も開き、新しい形での研究ととりくみは進んでいる。

だが一年前とは違う軸での研究の取り組み。
その軸というのは、もちろんwithコロナだ。

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世界は今回のコロナによって、今までとはまったく違う生き方に変化している。
デジタル化は進み、テクノロジーは加速し、未来学者. レイ・カーツワイル氏が予測した、2045年に来ると言われているシンギュラリティ(技術的特異点)も、もっと早くやってくることになるかもしれない。

ぼくが進めていた研究というのは、テクノロジー(AI,VR,ARなど)と心を生み出すマンガ(キャラクター)によるコミュニケーションの可能性なのだが、出会いが限られたコロナによって、足踏み状態だと思っていたのだが、どうも逆だったかもしれない。

時代が変わる。
今までと時代が変わるということは、本来ならば大半の人たちは変化を好まないわけだから時間がかかることになる。
だが、今のコロナによる閉塞感から抜け出すには、変化が必要なことをだれもが受け入れる形に今はなっている。

そう、時代は間違いなく急速に変わっていくことになる。
今までになかった景色と、人と、経験との出会いの日々が、必然としてコロナによって変わらなければならない時代となっている。

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そのための助走がこの一年なのかもしれない。
止まっているのではなく、大きく変化をもたらすための助走。
新たな「出会い」に向かって走り出すために、考え、勉強し、知識を蓄え想像する助走の時間。

そうなんだ。
今、助走の時間の中で、新しい旅の準備を急がなければならない日々にしなければならないということだ。

Generation Z

2020-10-30

新入生学外研修で「どうぶつ王国」への往復の車の中、ちばてつや先生といろいろなことを話した。
話の中心はやはり新型コロナのことだ。

世界中がコロナによって時代が大きく変わる。
戻ることのない、新しい形をどう創っていくか、それを「今」考えていかなければならない。
先生も同じ考えを持っていた。

元に戻ることはないということは、今から人はどのように生きていくのか。
コロナによる人の命と経済。
そのバランスは実に難しい。
そこでおきる分断が世界中で起こり、広がっている。

コロナによって、人は今まで考えていなかったことを考え始めている。
「哲学」の時代。
人それぞれが、世代それぞれが、「今」の時代をどう生きるか、考えなければいけないことを、コロナが投げかけてきた。

ぼくが「今の大学生はZ世代なんですよね」と言うと、先生はその言葉に興味を持ち、
行きの車の中では、そのZ世代の学生はどう生きていくのか…そのためには大学はどう生まれ変わらなければならないのか、何を伝えなければならないのか、といった話になっていった。

Z世代とは元々は、現在63歳のぼくの世代をX世代と言われたことからこの言葉は生まれている。
ぼくらの世代にとって強烈なインパクトを与えた写真家、ロバート・キャパが、ぼくたちの世代のことをジェネレーションXと呼んだからだ。

少し説明すると、当時、第二次世界大戦後の新世代の若者たち、1965~1980年をGeneration X。
テレビや雑誌が情報で、ケネディ暗殺、ベトナム戦争、ウッドストック、ロックの時代だ。
Generation Yは80年~95年。インターネットという新しい情報時代の世代になる。
そしてGeneration Z、95年以降の若者たちは、インターネットがスマートフォンによって大きく情報化の波を起こし、だれもがSNSによって、個人が情報を発信する時代、個人がメディアを操れる時代となっている。

だからだろう。
Z世代は大学生で起業する学生社長が増えている。
ちば先生と数年前研究会で行った筑波大学には、起業するためのサポートする人、設備があり「うらやましいね」と話したことがある。

だがサポートなしでも起業できる環境が、ネットインフラでZ世代は「意識」と、「想像力」があれば、X世代と比べたら実に簡単に「個」が起業に対してのハードルを飛び越えることができるはずだ。

ましてや、今からはWi-Fi6と5Gの時代である。
想像すれば、研究すれば、新しい表現のコンテンツが生み出すことのできる環境は生まれている。

だが時代の変化の中で想像するのではなく、過去の憧れで、3Dや動画など新しい表現のためのレクチャーには、学生たちはマンガに関係ないと思っているのか授業を受けにこない。
そういった学生に対する愚痴をもらすと、先生は「うちの学生は、大学(研究機関)ではなく学校(高校の延長)の意識だからね」と、その意識を変えるにはどうすればいいのかという話になった。
ちば先生とのディスカッション。
もちろん答えなどない。

「どうぶつ王国」に着き、学生たちと楽しんだあと、那須で今月に「姫川明輝アニマルアートギャラリー」を開館した、姫川先生と合流し、ちば先生にはどうしてもギャラリーを見てもらいたいと、りんどう湖ファミリー牧場の中にあるギャラリーを見てもらった。
ちば先生は「すばらしいギャラリーだね」と喜んでくれていた。

その大学への帰り道。
車の中で、ちば先生が語ってくれた言葉が強烈に印象に残った。
行きの車の中で話した、今からの時代の「生きる」ということ。「大学」がどう生まれ変わり、何が必要なのかといったこと。
そして「人が生きる」ための「生きがい」とは何かということ。
その流れが続いていたぼくの頭の中で、ちば先生のその一言で、横でハンドルを握りながら、「あぁ、そうなんだ」と、ちば先生のとてもシンプルな言葉がストンと心に入ってきた。

「姫川先生は、だれかのためになりたいと描いてるんだね」
ちば先生はそう言ったあと、「それは(働くということは)お金のためではなく、人のために生きるということなんだろうな」

コロナでぼくたちはどう生きるか問われている。
世界が分断によって、人のためではなく、憎しみが生まれ、SNSによって、その分断を拡散することで、憎悪の塊がより大きな分断を生み出している。

人は憎しみに生きているのではないことぐらい、だれもがわかっているはずだ。
だが、「人のために生きる」は、すべての人が考えなくてはならない、「人は一人では生きられない」ということを、見失ってしまってしまっているのではないだろうか。

Z世代の若者たちに伝える一番大事なこと…

そういうことかもしれない。