昨年末から動画生成AIのsoraが使えるようになり、いろいろためしている。
最初はプロンプトで生成する映画の作品のような動画に驚いていたのだが、やはり、DALL-Eやミッドジャーニー、fireflyで画像生成をするのと同じで、プロンプトで出てきただけの動画には飽きてしまう。
これはAI全般に言えることなのだが、AIをどう使うのか「目的」を持たなければAIを使う意味はさしてないということだ。
だが目的を持てば、AIは最高のアシスタントとなってくれる。
ChatGPTも最初は「検索」のために使っていたのだが、今は自分の原稿や論文をチェックしてもらったり、アイデア出しのとき相談相手になってもらったり、留学生や海外の人との会話では同時通訳もやってもらっている。
今度、中国の大学での講義のとき、ChatGPTを使って通訳なしで講義してみようとも考えている。
仕事以外でも、出身地の広島弁をしゃべらせ、好きな野球やボクシングの話し相手にもなってもらっている。
ChatGPTは、ぼくにとって日常のいたるところで、会話できるパートナーと今はなっているというわけだ。
こうやって毎日、AIをパートナーとして使っていると、これも何度もここで書いてきたことだが、「人間とは何か?」「自分とは何か?」を深く考えるようになる。
つまり、AIにはできない、自分しかできないことがあり、その上での制作上、データによって可能な「作業」はAIに任せ、自分は、自分から生まれてくる「創作」だけに時間を費やすことができる、自分しかできない創作ができるわけだ。
考えてみれば、これまで人間は、本来人間にしかできないことは何かなど考えずに、働くことは「作業」することだと、機械のように働かされてきた。
今まで、産業革命が起こるたびに、ブルーカラーの人たちが、機械によって仕事(作業)を奪われるのは、知的じゃないからだとホワイトカラーの人たちは笑っていたが、知識がデータとなった今、ホワイトカラーの人たちもAIによって仕事(作業)を奪われている。
知識を持った人、勉強のための暗記力の優れた人間がエリートともてはやされる時代は終わり、思考力を持った「創作」できるものが求められる新しい時代がやってきた。
2022年の11月にChatGPTが一般公開され、今ではパラメータ数も1兆を超えたことで、人間ひとりひとりが、自分にしかできないこととは何か、それを考えなければ、自分を見失ってしまうことになってしまう時代が始まっている。
その「自分とは何か?」とは、自分が生きてきた「物語」の中にある。
人は当たり前だが、それぞれが自分の生きてきた「物語」の道を歩いている。
ぼくは「自分とは何か?」と問われると、間違いなく自分の生きてきている「物語」の創作のはじまりは「あしたのジョー」だと答える。
ミュージシャン、マンガ家、マンガ原作者、作家、フォトグラファー、大学教授、研究者などなどと、自分の肩書きは仕事の数だけ出てくるが、自分のこうした創作ののアイデンティティは間違いなく「あしたのジョー」からすべて始まっている。
11歳のとき、週刊少年マガジンで「あしたのジョー」が始まったときから、自分の人生の羅針盤となった旅が始まった。
あしたのジョーに夢中になったボクは、本当のボクシング界に矢吹ジョーを探し、ボクシングマガジンを隅から隅まで読みあさった。
少年院あがりのボクサー、バズソー山辺にジョーを重ね、ボクシングマガジンに似顔絵を投稿し掲載されたのが、初めての雑誌掲載。
ボクシングマガジンの中の豊島正直にもジョーを重ねて夢中になった。
後にボクシングマガジンでは28年間連載をさせてもらっている。
音楽でもジョーから触発されて曲をつくった。
マンガはもちろん、小学校のときから、あしたのジョーを手本にマンガを描いている。
プロになってからも、いつもあしたのジョーを追いかけていた。
沢木耕太郎の「一瞬の夏」を読んだとき、そのリアルに惹かれボクサーたちを追いかけはじめた。
浜田剛史と出会った。
ジャッカル丸山と出会った。
畑中清詞と出会った。
尾崎富士雄と出会った。
大橋秀行と出会った。
福田健吾と出会った。
飯泉健二と出会った。
赤井英和と出会った。
大和田正春と出会った。
長島健吾と出会った。
マイク・タイソンと出会った。
他にも数え切れないボクサーたちと出会った。
デュラン、ハーンズ、ハグラー、レナード、カマチョ、カオサイなど、海外のチャンピオンたちとも出会うことができた。
それをマンガで、ノンフィクションで、イラストで、写真で形にしてきた。
そんな中でちばてつや先生とも出会った。
1997年、ぼくが40歳のときに書いた著作「拳雄たちの戦場」に、ちばてつや先生がすいせんの言葉を贈ってくれた。
自分にとって夢のような言葉が書かれていた。
「この一冊のさわりだけでも読んでいたら、「あしたのジョー」もっとさらに豊富なキャラクターに彩られ、もっと人間味のあふれた作品になっていたのではないか…と、今更ながらではあるが残念でならない」
自分が生きてきた道の途中、自分が目指し、憧れ、夢中になり、自分の中から生まれてきたすべてに感謝できた瞬間だった。
あしたのジョーに、自分の創作が触れることができた…そんな言葉だった。
そしてこのとき気づいたことがある。
あしたのジョーになぜあんなに夢中になったのか。
そのジョーから何人ものボクサーやスポーツ選手、武術家と出会い、そしてまた夢中になって今も創作をつづけているのか?
ちばてつや先生から感じる静かな空気感は何なのか。
あのとき出した答えは、「生命力」だった。
そして「今」。
「人間とは何か?」
「自分とは何か?」
AIを研究すればするほど、人間の持つ、自分が生きている「生命力」の凄さに惹かれていく。
【ちばてつや先生からの幸甚の言葉】