2月21日で69歳になった。
残りの時間を考えると、年齢とともに増えてきた「やりたいこと」「やらなければならないこと」が、どこまでできるか少し焦りの気持ちが襲ってくる。
だが、その「やりたいこと」は、ただやりたいではなく、「何のためにやりたいのか?」
そんなことをこの年齢になると考えてしまう。
「やりたいこと」をやっていて、十代でプロのミュージシャンになり、プロのマンガ家、マンガ原作者、イラストレーター、ノンフィクション作家、フォトグラファー、大学でのマンガ・キャラクターを使ったDX研究などなど、「今」やりたいことを創作することで生きてきた。
もちろん「やりたいこと」で好き勝手にやってきたのではなく、「やりたいこと」を持ってお金を稼ぐために創った作品もいくつもある。
でも基本は興味を持ったことからスタートし、取材を重ねることで「知りたい」が膨らんでくる。
膨らむことで、その「知りたい」が深く深く昂揚感を生み、だよりも深く掘り進むこととなり、自分にとってオンリーワンの「経験」となる。
だれも知らない景色が見えてくるということだ。

そこまで行くと、「書きたい」という抑えきれない衝動となり、作品を生み出さざる得なくなる。
その作品がお金を生んでくれることで、プロと言われ、この歳まで生きてきたというわけだ。
考えてみれば、「やりたい」と思い、作品になるだけの「深い」場所までたどり着き、形になるには、だいたい平均2年かかっている。
以前、ながやす巧先生と話したとき、先生も2年熟するための作品の準備が必要と言っていた。
その2年間は当たり前のことだがお金にはならない。
いや、お金になるかどうかもわからない。
それでもやらざる得なくなるのが、本当の「やりたいこと」だと思う。
そこには「損得」という考えも、思いもない。
大学へ来て、学生や他の先生、事務の人とゼミ生の「就職」について話すことがある。
ぼくは、今、大学も専任の教授ではないので、ずっとフリーで生きてきていることから、就職のことがよくわかっていないのだが、就職の条件として会社の給料を見て、こっちの方が給料がいいといった、「やりたい」の前に、お金の損得を第一基準で見ているようだ。
もちろん、それが悪いといっているわけではない。
では「やりたいこと」で生きるとは何なのか?
「やりたいこと」をやり続けることの根底は何なのか?
自分が「しあわせ」と感じることとは、その「やりたいこと」をやっているとき、やり遂げたときだと、この歳まで生きてきた経験から感じている。
そしてもうひとつ。
人はひとりでは生きてはいけない。
今日、食べたご飯だって、人によって作られた農作物であり、人が育てた家畜の肉であり、人が捕った魚である。
だから、ぼくがやっている「創る」も、その創ったもので人が喜んでいる姿を見て、「しあわせ」を間違いなく感じて来た。
「やりたいこと」、そして今、やろうとしていることが「しあわせ」に繋がると知っているからこそ、その「やりたいこと」が生きがいとなっている。
ここ数年、AIを学び、研究することで、自分がプロとしてやってきた、マンガ、キャラクターを結びつけ「人間とは何か」を考えることができるのではないかと思っている。
それを「教育」の中で活用し、AI時代における人間の生き方を考えるきっかけにならないかと思っている。
ぼくのアーティストとしての経験、研究者としてのその研究であるマンガ・キャラクターにおけるDX研究の先にある「やるべきこと」の「何か」が、漠然とだが見え始めている。
まだまだ、いや、死ぬまで「やりたいこと」の旅は終わらないということだ。
今回も「旅の空」の動画を創った。
80年代、90年代に追い続けたボクサーの思い出の1分間。
【旅の空XXII Senrima Keitoku】
28歳のとき、作家、山本茂さんの新聞連載ノンフィクション小説「祖国の名を高く掲げよ」の挿絵を描かせてもらった。(後に単行本も発売)
作品の取材から同行させてもらい、そのときの経験が、ぼくの作家として歩む貴重な財産となっている。
「生きる」を書くとは何か?
山本茂さんから学んだことである。






