ロシア軍のウクライナ侵攻のニュースがテレビから流れている。
戦争への憤り。
考えてみる。
争いというやつは、結局は「権力」闘争から来ている。
人の持つ「支配という欲」。
戦争は権力者が力づくで抑え込んでいくことで始まる。
だがフランスの哲学者フーコーは「近代以降の“力づくでない権力”が、人々をより徹底的に支配するようになった」と言った。
たしかに日本人のぼくらはすでに戦後長い年月をかけて“力づくでない権力”によって骨抜きにされてしまっていると感じている。
戦争はぜったいの悪。
だから見えやすいし、憤りを感じる。
“力づくでない権力”は、ジワジワと内から浸食していく。
ジワジワとくるから憤りも爆発しない。
飼い慣らされるように、あきらめから抵抗力を奪い、そして無関心に導いていく。
権力者にとって、無関心が一番の成功となる。
戦争は支配する権力。
だが権力を持つ政治に無関心の人たちは、すでに権力に支配されている人たちだと…
権力の目的が支配なら、テレビの前で戦場のニュースを見ているぼくたちも、戦場と同じ場所に立っているのではないだろうか…
ロシア軍のウクライナ侵攻に憤りを感じながら考える。