日課の田舎道を散歩しながら最近よく考える。
「しあわせ」とは何だろう。
ぼくの研究とコンテンツ創りはデジタルが中心だ。
XRを使ってメタバースなどバーチャルな世界を表現し、今年に入ってからはAIを使っての創作、研究が自分の中でも加速している。
今まで数日かかっていたことがカスタマイズしても数時間でできてしまう。
「便利」ということでは、テクノロジーでとてつもなく「便利」な世の中になってきた。
だが、「便利」と「しあわせ」は違う。
子どもの頃、ロボットマンガを読みながら、「便利」なロボットがいてくれたら「しあわせ」なのにと思っていた。
だが、子どもの頃から、時代は数段便利な世の中になったのに、「しあわせ」とは思えない。
そんな「しあわせ」とは何かを考えているとき、スティーブ・ジョブズの有名な言葉を思い出した。
未来を見て、点を結ぶことはできない。
過去を振り返って点を結ぶだけだ。
だから、いつかどうにかして点は結ばれると信じなければならない。
ぼくはいろいろなことをやってきた。
プロとしてだけでも、ミュージシャン、マンガ家、マンガ原作者、イラストレーター、ジャーナリスト、スポーツジャーナリスト、ノンフィクションライター、フォトグラファー、デジタルアートディレクター、プロデュサー、デジタル研究者、大学教授などなど…
とにかくやりたいことをやっていたら、プロと言われるようになっていた。
そのプロとしての根底にはいつも学生たちに言っている
「だれにでもできることを、だれにでもできないだけやる」
ただそれだけだ。
その歩みの中でジョブズの言う「点」を作ってきた。
創ってきた作品とともに、何人もの人と出会い、いくつもの景色と出会い、いろいろな世界を知り、その数だけの「点」ができてきた。
そして気づけば、その過去にできてきた「点」がつながり、今の創作が生まれてきている。
もしかしたら「しあわせ」というのは、形あるものではなく、ひとつひとつの「点」に夢中になり、そこで感じていた「瞬間」なのかもしれない。
自然を歩きながら、「ぼくはしあわせなのか?」と思うのではなく、自然の中で、雲の流れ、花の揺らぎ、緑の匂いを感じ、「気持ちがいい」と感じているその一瞬。
まさに、今の「点」の感じることができているのかということ。
それが「しあわせ」なのかもしれない。
この文章を書いている今、ふと、ぼくが大好きな美術館のことが頭に浮かんできた。
瀬戸内海の小さな島、豊島にある美術館。
豊島美術館。
ここには絵や彫刻といった作品はいっさい飾られていない。
ただ大きな穴が空いた空間があるだけだ。
その穴から空が見え、海の風が入ってくる。
波の音と、木々のざわめく音。
床には、雨のとき入ってきた水滴が、美術館の中で舞う風によって自由に動いている。
ひとつひとつが、その一瞬にしか感じられない、見ることのできない宇宙。
そこへ行けば何時間も宇宙の中で漂ってしまっている。
来週、ゼミ生とともに帝京大学、宇都宮美術館との共同研究で進めているバーチャル美術館の記者会見があるのだが、「便利」なテクノロジーの話でななく、「しあわせ」を感じることのできるプラットホームにこの美術館をしていきたい…
そういった話でもしようかと「今」思った。
君はひとりじゃない