AIを研究すればするほど、人間の凄さが見えてくる。
そしてテクノロジーを使って作品を創れば創るほど、自然の生み出す創造の凄さが見えてくる。
5月27日に那須で行われた、九尾の狐伝説の殺生石の前で行われる、御神火祭に行ってきた。
殺生石のこの一角は、硫黄の臭いの立ちこめる、この世とは思えない不思議で異様な空間がそこにある。
殺生石の前には、ここで何度か紹介した“プロジェクト9b”の姫川明輝先生の生み出した殺生石のキャラクターが、GPSによってこの場だけでしか見られないARで、殺生石の由来を説明してくれるシステムを4月1日からスタートしている。(あとあとはGPSではなくBeaconを考えている)
その場所に置かれてあるキャラクターの絵を、スマートフォンで写真を撮るようにARでキャラクターを呼び出し、本物の殺生石をバックに、キャラクターが動き出し殺生石の説明を始める。
この場に来てそれをやってみると、制作時に研究室で感じたものとはまったく違う世界観が見えてくる。
そう、研究室とは違い、本当の殺生石の前でキャラクターが動き始めると、そこには間違いなく「リアル」がある。
今、AR、VR、AIといったテクノロジーを使って、マンガの可能性を研究し形にしていっている。
大学のある栃木で研究、開発していることもあり、自然の中でのテクノロジーを考えつづけている。
テクノロジーを使えば、道路を作ったり、木を切ったりといった開発で自然をつぶすことはない。
「テクノロジーとマンガの融合で、この大自然の中で宇宙を創れないものか」
それをテーマに、ここ何年か取り組んでいる。
自然の中でこうやって取り組んでいると、最初に書いた自然の生み出す創造の凄さが見えてくるとともに、「マンガとは何か」ということも考え始めた。
ぼくはずっとマンガを創るとき、いつも自分の「心」で感じたものを読者に、その「心」をどう伝えるか考えて創ってきた。
だが、テクノロジーでマンガを創っていく中で、その考えはまったく逆のものになっていったのだ。
自分が「心」を伝えるのではない。
自分が創ったものを見て、見た人が「心」を生み出すものだと、そう考えはじめた。
たとえば、ボットを使って話せるマンガのキャラクターにプログラミングで「こんにちわ」と言うと「こんにとわ」と答えるようにすると、読者はキャラクターが自分の挨拶にちゃんと挨拶をキャラクターが返してくれたと喜んでくれる。
読者はキャラクターに「心」を感じてくれるということだ。
それはキャラクターが「心」を持っているのではなく、読者が「心」を感じてくれているというわけだ。
前回にも書いたが、これは仏師の彫った仏像と似ているのかもしれない。
もちろん仏師は「心」を込めて、「魂」を込めて制作する。
だが、それを見て手を合わせ、願いを込めて生み出す「心」は、制作側の「心」ではなく、それを見て手を合わす側が生み出す「心」だ。
今回、殺生石の前で行われた御神火祭を見ながら感じたことがいくつもある。
御神火祭に集まっただれもが、狐のペイントをしたり、お面をかぶり、この空間の中で、非日常を自分自身で演出している。
それは、殺生石という空間があってからこそ、非日常の宇宙が生まれたからこそ、ごく自然にだれもが「心」を開いているのだ。
匂いや空気感がなければ、単なるバーチャルで「存在」ではない。
もっと深い、生命の「心」というものは「リアル」がなければ生み出すことはできない。
御神火祭は陽が沈みかけたころから、語りべと笛の音で「九尾の狐伝説」が語られることから祭りは始まる。
この空間だからこそ、リアルに語りべの言葉が心を動かしていく。
そして白装束に身を固た100人を超える松明を持った人たちが、那須温泉神社から殺生石せっしょうせきまで行列し、大松明(御神火)へ火を放つ。
天に伸びるように、御神火が燃え上がり、その前で九尾太鼓が炎の舞いとともに鳴り響き、存在の宇宙がそこに生まれてくる。
バーチャルではなく、本物の火だから火の熱が見ている側にも伝わってくる。
飛び散る火の粉は肌に触れると熱い。
そう、そのリアルによって心の宇宙が舞い始めるのだ。
あぁ、と思う。
こういった自然のリアルはテクノロジーで創ることはできない。
積み重なった歴史の上に成り立つものには、実は「心」も歴史とともに積み重なっている。
そのリアルの生み出した「心」の上に、その「心」を壊さず、より生かすにはどうすればいいかを考えるのがテクノロジーではないだろうか。
マンガを創るとき心がけてきたことがある。
「わかりやすく伝える」だ。
この空間を利用してわかりやすく伝えるはどうしたらいいか。
たとえば、九尾の狐の語りべの背景で、殺生石の空間にプロジェクションマッピングで、語りべの物語をわかりやすく迫力を持って「伝える」を、重厚な絵で見せたとする。
リアルの中で、バーチャルな演出を加えることで、そのリアルをもっと、もっと大きなリアルとして伝えることができるはずだ。
リアルから生まれる宇宙は、そこにリアルに立つ人たちすべてに、まちがいなくそれぞれの「心」の感動が生まれるはずだ。
そう考えていくと、大自然のリアルの溢れるこの地で創っていく…いや、創りたいものがどんどん増えていくではないか。