体と心は別のものではない。同じものを二つの違った方法で見ているにすぎない

2018年1月1日

あけましておめでとうございます。

正月早々PCの前に座って仕事を始めている。

「禅」の考えとは「ひとり悟る教え」である。
「なるほど、わかった」と会得するのは、他人ではなく自分。
そのためには、自分自らが行動しなければならないと「禅」は教えてくれる。

昨年はよく動いた。
「禅」のその考えを根底によく動いた。
そして見えてきたものがある。
「なるほど、わかった」と見えてきたものがある。

今、未来サイエンス研究で脳の持つデータもダウンロードでき、脳とインターネット、AIを結びつけ、老いても身体はサイボーグとして生かすことで、人間が無限に生きられる時代が来ると言われている。
そのことに対して「凄い」と思った。
人間はとんでもない領域に入ってきたと、これがシンギュラリティということなのかと思ったのだが…
だが、「それは本当に生きていることになるのだろうか?」という疑問。

生きているというのは、身体と脳、両方が生きていることで、「生命」と言えるのではないだろうか。

アインシュタインもこう言っている。
「体と心は別のものではない。同じものを二つの違った方法で見ているにすぎない」

そう考えたとき、「生命」とは自然の上に成り立っているということだ。

今、自然の中で、その自然を感じることのできる、デジタル表現を、自然を壊すことなく大自然の中でできないかと考えている。

いや、もう何年も前から考えていたことが、形として動き出したということだ。

それが2018年。
がんばらなければならない一年だ。

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