2017年6月28日
大学という場所に来るようになって10年が過ぎている。
そう、10年は一昔。
時代は変わっている。
時代が変われば、大学もかわらなければならない。
この10年、ずっと考えてきていることがある。
大学でマンガを教えるとはどういうことか…
この10年間、こんな質問を大学・専門学校でマンガを教えるいろいろな先生たちにに尋ねてきた。
「大学でマンガを教えることと、専門学校でマンガを教えることの違いは何ですか?」
納得する答えは得られたことがない。
そもそもマンガ家になるのなら、大学へ来ること自体が違うと思っている。
大学に来たからといってマンガ家に必ずなれるものでなければ、マンガを学ぶための入学金、授業料があれば2年間、世界中をバックパッカーとして旅をすることができる。
その経験を積む方が、大学へ来るより遙かに作家として有意義な時間を過ごすことができる。
ならば大学でマンガを学ぶとは「何」なのだろうか。
10年前から言ってきたことがある。
「大学でマンガを学ぶということは、マンガ家になるのではなく、マンガで生きるためである」
そう言っても、「マンガで生きるとは何だ?」とつねに「何言ってるんだ」と関係者からは思われてきた。
大学でマンガで生きるとは、つまりは「マンガの可能性の研究」である。
マンガという「心」を生み出すキャラクターには、無限のコンテンツとしての可能性がある。そのコンテンツを生み出す研究こそが、マンガで生きるということではないかと、そう考え実行してきた。
そう、新しい無限の可能性が生まれてきているデジタルという世界でとことん勉強し、研究し、制作してきた。
15年前からケータイでマンガを読ませるためのオリジナルのシステムを日本で初めて研究し、メディア芸術祭で賞もいただいた。
3Dマンガのソフトも帝京大学理工学部の佐々木先生と研究し、制作し、サイエンス研究で受賞もさせてもらった。
ここ5年ほどはモーションマンガの研究とともに、ioT、AR、VR、AI、プロジェクションマッピングなどなど、マンガを使っての新しい研究とともに制作をつづけている。
ioTなど、4年ほど前など、どこでそういったシステムの話をしても、「何言ってるんだ」とまず、その意味すらわからない人たちばかりで、まったく相手にされなかったが、時代というものはおもしろいものである。
時代がまさにioT、AR、VR、AIが注目される時代になってきたのだ。
大学でやってきていたことが、やっと時代が追いついてきたというのが正直な感想だ。
だが、だがである。大学で走り続けて、その大学を振り返ると、最前線でイノベーションを起こさなければならない大学が、実は時代にとり残されつつあるではないか…
その大学を考える上で、今の時代がどういう時代に変わって行っているか…
大学事態がまずわかっていない。
今の時代に、大学という研究機関は対応できているか、まずそこから考える必用があるので、まずそのことから書いておく。
イギリス、オックスフォード大学のマイケル・オズボーン准教授は、10~20年の間に、アメリカの総雇用者の47%の仕事が機械に代替されると予測している。
それは今までの産業革命のように、「作業」を機械化化することで、労働者の職が奪われるというのとは少し違う。
AI(人工知能)の進歩によって、たとえば、2016年5月、アメリカの大手法律事務所「Baker&Hostetler」が、世界初となるAI弁護士「ROSS(ロス)」を採用したことが話題になっている。
このAI弁護士は、主に破産に関する法律のアドバイスを補い、何か質問すると人間では読み切れないほど大量の法律文書や参考文献を読み込み、最適な回答を導き出す。
質問するほどに習熟度が高まるため、さらに最適な回答が得られるようになる仕組みになっている。
これはAIによって、機械が「生産の手段」から、「生産の主力」に成り代わる時代になったということなのだ。
そうなれば、この先、どんな仕事が生まれるのか。
まず踏まえておかなければならないのは、今からの時代、AIやロボットを使う側の仕事と、使われる側の仕事が生まれるということである。
使う側とは、AIやロボットを道具のように扱ってイノベーションを起こす仕事であり、使われる側とは、AIやロボットに命じられるままに働かされる仕事だということだ。
この「AIやロボットを道具のように扱ってイノベーションを起こす」というところに、これからの大学の向かう方向が見えてくるのではないだろうか。
前に書いたように弁護士のような職業は、AIによって、人を必要とされない時代がやってくる。
大学で経済学や法律などを学んでも、経済学者や弁護士など、すでにある仕組みやルールに関することを仕事にする人は、ほんのわずかしか必要なくなってしまう。
そうなると、大学の法学部、経済学部で何を学べばいいか、どういった人材を育てなければならないか、根本から考える必要がる。
それは経済学・法律だけではなく、すべての大学で考えなければならない課題だということだ。
「知る」の認識はネットによって大きく変わってしまった。
Googleなど検索機能によって、スマートフォンひとつでほとんどのことを「知る」ことができてしまう。
「学ぶ」にても「ムーク」(大学講師陣による無料のオンライン講座)ばど、無料のオンライン講座がネット上で行われている。
ムークを利用すると、スタンフォード大学やハーバード大学、東京大学などの講座が無料で見られ、宿題やテストをクリアすると修了証も得ることができる、そういったシステムだ。
そういったことを考えると、必要とされる大学、つまり生き残ることのできる大学というのはどういった大学なのか、時代の流れの中で絞られてくる。
そのための核となるのは、大学本来の「研究機関」における「研究」となってくる。
イノベーションを起こせる研究ができる大学のみが生き残れる大学だということだ。
そのイノベーションが新しい仕事を生み、イノベーションを起こした大学で、研究とともに、その仕事の人材を育てていくという形を創っていくというシステム。
そのイノベーションを世界中から日本のブランド、マンガで起こせると考えている。
少し頭を働かせて考えてほしい。
今、時代を動かしているのは、Googleであり、Appleだということはだれもが感じているはずだ。
ではGoogle、Appleとは何なのか。
答えは一口で言えば「研究機関」である。
そう、大学と同じ研究機関なのだ。
では、大学とGoogle、Appleの根本の違いは何なのか。
Google、Appleは研究はコンテンツと結びついている。
コンテンツを生み出すための研究である。
そう考えればこれからの大学のあり方が見えてくるはずだ。
大学も研究機関でありコンテンツを生み出す機関にならなければならないとぼくは思っている。
つまり、大学の研究機関にプラットホームを創ることがまず必要である。
つまり発信していくための研究機関であり、コンテンツを発信する場所としてのプラットホームだ。
マンガはすべての研究をコンテンツ化することのできる、「心」を生み出すことのできるキャラクターという力を持っている。
今、医学、音楽、介護など、そういった方面にも研究の場を創りたいと考えているし、アイデアはいくつもある。
少し熱くなっていろいろ書きすぎてしまったが、つまりはそういうことだ。
まぁ、とにかく、そう、とにかく、やりたいことが山のようにあるということで、まだまだがんばって生きなければ!ということである。