リアルとバーチャルの時代

Facebookが社名を「Meta」に変更し、SNSからメタバースに注力する企業として動き出した。
ソフトバンクもネイバーが手を組んで、メタバース事業を拡張するというニュースが流れてきている。
実はこれは、今からの新しい社会が生まれていくべく、その始まりとなる歴史的なニュースだと感じている。

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ここ数年間、特に南京電媒学院大学とつながりを持ってからは、マンガのキャラクターによる、バーチャルコミュニケーション研究、コンテンツ制作がライフワークになってきている。

そのライフワークの課題は、もう目の前に来ている2025年問題である超高齢化社会をどうするか…つまり超高齢者のコミュニケーションの新しい形である。

マンガのキャラクターや、自分がキャラクター化したアバターによって仮想現実の中でのコミュニケーションを考えたとき、フォノグラムとメタバースがキーワードだと考えてきた。

そのメタバースにFacebookが社名を変えてまで動いたことで、一気に加速をつけることは間違いない。

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このコロナ過の中で、バーチャルイベントがいくつも生まれ、オンライン会議もworkroomsなどメタバースのプラットホームが使われるようになってきている。
https://www.oculus.com/workrooms/?locale=ja_JP 

workrooms

富士フイルムビジネスイノベーションのCMで、秘境の森を探検している人たちの前に、
ひとりでオフィスを構える男が現れるなどのシリーズがある。
https://www.youtube.com/watch?v=yoouFDHqmq4

つまりこういった、メタバースの世界では、秘境の自然の中と、自分のオフィスという、バーチャルとリアルが一体となった、二つの世界で生きることのできる時代が訪れるということである。

ひとりの人間が、いくつもの世界を持つことが生活の一部となるということは、そこには数々のビジネスが生まれてくるとともに、生命とは何かということを考えるきっかけになるのではないかと思っている。

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ぼくは自然のある場所にリアルを求めて、今年の6月に仕事場を移した。
そして都会とは、バーチャルでつなげればいいと思っている。

いや、もしかしたら都会で生きるということは、そこに生命を感じるには自然が乏しく、それで息苦しかったのではないかと、自然の中に住みだして感じている。
そう、都会のリアルはバーチャルのようなものだったのかもしれない。

ともあれ、これからメタバースのプラットホームが次々と生まれてくる中で、リアルとバーチャル。生命とテクノロジーをどう使い、どう生きるかは、ひとりひとりの考えと生き方しだいということだ。

大学を変える

2018年3月28日

大学は春休みなのだが、毎日研究室で仕事に追われる日々がつづいている。

そうそう、まもなく(4月)、那須の自然の中で「PROJECT 9b」がスタートする。

http://www.project9b.com/

いにしえより、那須に伝わる「九尾狐」の伝説をモチーフに、アーチストの姫川明輝先生がアートディレクターとして、キャラクターたちを生み出し、そのキャラクターたちが那須の自然の中で様々なものを生み出していくという壮大なプロジェクトである。

まずは那須の刊行スポット9ヵ所で、その地に住むキャラクターたちがスマートフォンを通して、AR「拡張現実」のシステムで表れ、その地の云われを語り伝えてくれる。
(英語・中国語にも対応)
下のスポットで、姫川先生の生み出したキャラクターたちの出会えることになっている。

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① 殺生石
② 那須温泉
③ 駒止の滝
④ 那須平成の森
⑤ 茶臼岳
⑥ 八幡つつじ
⑦ 遊行柳
⑧ 黒田原
⑨ 東山道
この地に訪ねていかなければ出会えないキャラクターたちなので、ぜひ訪ねてきてもらいたい。
(まだスタート前(シークレット)なので、9ヵ所のキャラクターの絵を見せることができないが、とにかくワクワクしてくるキャラクターたちなのだ)

こういったコンテンツ制作の他に、もうひとつ、ここ何度かこの場所で書いてきているのだが、「大学」というものを本気で変えたいと動いている。

世界は今、AGFA(Amazon Google Facebook Apple)+M(Microsoft)の5つのIT企業が世界を動かしている。
では、AGFA+Mがどういった企業かと言えば、その中心を成すのは間違いなく「研究」だということだ。
M&Aによって、世界の「研究」はAGFA+Mに集中し、その「研究」がコンテンツを生み出している。

そう考えたとき、大学とは本来「研究機関」として存在している場所である。
実際、AI、VR、AR、3Dプリンターなどなど、大学で研究している教授たちはたくさんいる。
そういった大学の研究者とともに、マンガを使うことで「研究」からコンテンツを生み出していきたいと考えている。
つまり大学の中で、「研究」を「コンテンツ」化できるということを形にして示していきたいというわけだ。

今、その体制作りをしているところなのだが、来年度から生徒募集をはじめる、今まで大学では存在しなかったコースを新設することにしている。(絵を描くためにはデッサン、骨格を知るだけではなく、生物学や歴史も学び、そしてそれをどうコンテンツ化するか、経済学も学ぶとともにリアルに体験もできるコースにしたいと思っている)
それとともに、いくつかの大学と共同授業もしていこうと考えている。

昨年、帝京大学理工学部とは、ゼミとしてではあるのだが、相互単位の授業を始めている。
それをもっといくつもの大学と行なうべく、この春もいろいろな他大学の関係者に会っている。

ぼくのいる文星芸術大学というのが美術大学なのだが、今の時代、教育もioTのように、ありとあらゆるものが繋がる時代になっていて、そこで生きることによって、無限に可能性を広げることができると考えている。
工学部、農学部、経済学部、理学部、教養学部、医学部…あらゆる学部で知識を得ることで、コンテンツは生まれてくるはずである。

こう書くと、あらゆるものと繋がることと、コンテンツを生み出すのはまったく別のことではないかと言われてしまうのだが、いやいや、すべては繋がるのである。

ぼくたちが何かを生み出すとき、まず何をするだろうか。
そう、まず「想像」するところから始まるはずだ。
では、いきなり、AIを使ってマンガを創れと言われたとき、AIのシステムを知らなければ、まず「想像」できないと思う。
つまり、「想像」とは「知識」とい「実践」の上に成り立っているということだ。

工学部で講義を受け、「知識」を得たとき、その工学部で得た知識を元に「想像」が生まれ、その想像を元に「研究」がはじまり、そこからコンテンツが生まれてくるということだ。

では人間にとって「便利」なものを生み出すのが「研究」かと言えば、それはぼくの中ではまた違ってくる。

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文星芸術大学のある栃木に来て、本当によかったと思うのは自然の中で生きられるということである。
では自然とは何かと問われると、ぼくは生きて行くのに一番大事なものと答えている。
自然がなければ人は死ぬと思っている。
そして自然は、人には生み出せないものだとも思っている。

今、ぼくはテクノロジーを使ったコンテンツを生み出していることから、デジタルに生きていると思われているのだが、ぼくの中のテクノロジーは「便利」を求めるものではない。

自然と一体化した「こころ」を伝えることができないかと考えている。

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たとえば仏像であり、道ばたに置かれている石仏のような存在をテクノロジーで生み出せないかと考えているわけだ。

いや、このあたりになると、まだ頭の中で整理できていない考えなので、うまく伝えることができないが、テクノロジーは便利を追い求めている流れの中で、マンガを軸に置くことで自然とともに生きる「こころ」を創造していきたいというのが、つまりは追い求めている「研究」だと言いたいのだが、それは言葉で書いてもたしかに伝わらないかもしれない。

とにかく創って見て、感じてもらうしかないということだ。

大学とは、研究とは、答えのないものを自分で考え、自分で答えを求め、そして自分の出した答えを形にする場所。
そして何度も失敗し、失敗が見えることで少しずつ成長していく。
その繰り返しの中から、新しいイノベーションが生まれてくると思っている。

そう、大学を本来の研究機関としてのそういう場所に変えたいと本気で動いている日々でもあるというわけだ。