AI時代に生きるための「即今・当処・自己」

ここのところ、ブログや日記では、AIでの研究・制作していることから、AIのことばかり書いているように思う。
最近の研究レポートとしても「心を創る ~AI時代の心を描く新たな表現~」を書いた。

心を創る ~AI時代の心を描く新たな表現~

先月もこの場所で書いたのだが、今のAI時代をアインシュタインはわかっていたのか下のような言葉を残している。
「知識とは唯一、経験から得られるものだ。それ以外のあらゆることは、ただの情報にすぎない」
つまり、人間が人間として生きるには、データではなく「経験」だということだ。

だがその考えは、約2500年前にインドで釈迦(ゴータマ・シッダールタ)によって始まった仏教でも伝えられている。
禅にしても、1500年前、禅で悟りを目指す教えとして菩提達摩が伝えている。

禅の開祖であり、武術の祖でもある菩提達摩については、武術の取材を始めてからなので、もう30年以上取材を続けていることになる。

琉球の手(ティ)という喧嘩術と、中国拳法が合わさり生み出された唐手(空手)の取材からはじまり、中国拳法の取材でも何度も中国にわたり、武術家にいろいろな話を聞いてまわった。

最初は格闘技的な「闘い」を知りたくて始めた取材だったが、武術を知れば知るほど、それは「闘い」ではなく、「生命力」だと知ることになっていく。

武術の祖である達摩は、禅の開祖でもある、そこに答えがあったということだ。
つまり武術と禅は同じ悟りを求めての旅だということである。

武術を調べ、考えれば考えるほど、ひとつの哲学になっていく。
「人間とは何か」

そう、AIを考えれば考えるほど、膨らんでいく哲学。
「人間とは何か」
AIと武術が同じ旅になっていく。

禅の言葉で、学生にもつねに言っている言葉だが、大事にしている言葉がある。

「即今(そつこん)・当処(とうしょ)・自己(じこ)」
「今、ここで私が生きる」という言葉。
未来を心配したり、過去を後悔したり、他人の目を気にして生きるのではなく、「今」を生きるという意味だ。

過去はデータとなり、未来は過去のデータで予測する。
それがデータで答えを出してくるAIである。
だが、「今」はデータではなく、「生」そのもの。
自分が生きている瞬間。
AIには存在しない。

その「今」をどう生きるかで、自分という存在がひとつ、ひとつ決まっていく。
「禅」は「ひとり悟る教え」である。
自分の人生を会得するのは、他人ではなく自分でしかない。
そのためには、自分自らが行動しなければ何を生まれない。

この行動が、アインシュタインの言う経験だということだ。

自分が歩いてきた「武術」という旅が、現在歩いている「AI」という旅とかさなってくる。
実に面白い。
(先日亡くなった東野圭吾さんのガリレオシリーズ、福山雅治演じる湯川教授の決めセリフ…哀悼を込めて使わせてもらいました)

今回の「旅の空」は武術への旅の始まった琉球唐手の旅

旅の空XXVI オキナワの風 琉球唐手の旅1

30年前、タクシーに乗っているとき、沖縄出身の運転手さんから「手(ティ)」の話を聞いた。
「手」とは沖縄で生まれた空手(唐手)のことだった。
次の日、ぼくは「手」を知りたいと沖縄へ飛んだ。
そこで、世界で7度頂点を極めた空手家、佐久本嗣男先生と出会った。
ここからぼくの武術への旅ははじまった。

 

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