大学にいて「このままでいいのだろうか?」と感じることがいくつもある。
大学に限らず、教育全体の問題といっていいかもしれない。
時代は大きく変わってきている。
これはだれもが認識していることだと思う。
この場所でも何度も書いてきたことだが、時代は「生産」の時代から「情報の時代」、そして今は「経験の時代」と言われている。
「経験の時代」とは、「自ら経験して学ぶ」ことが必要とされるという意味だ。
日本が〝失われた30年〟といっているのは、「生産の時代」で成功した日本は、「情報の時代」に世界が変わっていっているにも関わらず、形あるコンテンツの「生産」に拘り、形のない情報における新しい発案や才能を日本全体で潰してきた流れがある。
2004年、DXという言葉が生まれ、世界がデジタル化に動き出した年に日本で起きたWinny事件など最たるものである。
金子勇氏の開発したWinnyの基礎技術P2Pは、のちのYouTubeやFacebook、ビットコインのブロックチェーンなどを生み出すこととなるこの技術、日本でGAFAMが生まれていたかもしれないすごい技術である。
それを「犯罪につながる」という理由で金子氏を逮捕、日本のIT開発は萎縮し、インターネット産業も世界からどんどん遅れていってしまった。
ホリエモンのフジテレビ買収にしても、あのときホリエモンが言っていた映像コンテンツのインターネットを使っての動画配信サービス。
もしあのときフジテレビが買収されていたら、フジテレビはNetflixになっていたかもしれない。
時代に変革をもたらすものを否定する。
研究機関であるはずの大学においても、その空気が淀んでいる。
今、30年前デジタルでつまずいた同じことが、AIで再び起こっている。
日本の教育現場においてのAIに否定的な教育。
世界の教育では「AIがあって当然」であり、「使いこなせるのが前提」で動いている。
日本の教育で起こっている「よくわからないから、何となくAI禁止」といった、そんなレベルではなく、〝AIをどう使うか〟の競争が世界で始まっているというのに「なぜ?」である。
AIを検索の延長のように、受け身として使っているだけの、AIが何かということがまだ理解できていないのが日本の現状だとつくづく感じている。
AIをもっとあらゆる可能性のあるものとして使っていればわかることだが、ただ便利というものではない。
自分自身を拡張してくれる、自分の頭の中にあったができなかったイメージを、AIを使うことでそれを生み出すことができる。
前回のブログで、自分のどうしても見えなかった自分の感情を、AIを使うことでどう表現したかその実験的試みを書いているので、興味があれば読んでもらえればわかると思う。
で、今回は教育の現場でなぜAIが否定的なのかである。
ひとつ、eスポーツを例にあげるとわかりやすいかもしれない。
アジア大会では正式競技となっていて、オリンピックでも正式競技に向けて進められている。
このeスポーツを「eスポーツはスポーツなのか?」と年配者やeスポーツをやったことのない人たちはだいたい思っていると思う。
そういう人は、スポーツ=走ったり、蹴ったり、投げたりといった筋力を鍛えるものという、アップデートできていない常識に縛られている人たちだ。
eスポーツをやってみればわかるのだが、反射神経、戦術、メンタル、集中力、持続力ーどれをとっても、リアルなスポーツと同等な能力が求められることがわかる。
eスポーツの選手たちもまぎれもなくアスリートである。
スポーツの常識がアップデートできていないように、AIも見えてない人たちの常識のアップデートがまったくできていないと思っている。
教育で、AI禁止などといってやらせなかったら、AIが何なのかわからないまま、それこそ何も考えないで卒業してしまう。
社会に出て、学びや考えもなくAIを使い始めれば、AIに丸投げで、何の発見も成長もないままAIに使われる人間になってしまうではないか。
教育の現場において、指導者の役割は「知識を伝える人」から、「学生の成長に寄り添い、導く人」へと変化しているのだが、スポーツ=筋肉といったような常識から抜け出せない指導者があまりにも多すぎる。
eスポーツ同様、まず教育における指導者はAIを知らなければはじまらない。
AIを使って、ぼくの場合だと表現を研究すればするほど、人間の感情・創造性・共感力の可能性を拡張することができている。
だが、「AIによってすぐに成果が出る」と勘違いしてはいけない。
AIは〝魔法の杖〟ではないということも書いておく。
人間が生きるということは、生きてきた経験によって感情・創造力・共感力が生まれてくる。
そこを飛ばしてAIを使ったとしても、それは単なるデータによる丸投げ表現でしかない。
だから、教育の現場において、AIを使うことで「人間とは何か」「自分とは何か」を考える必要性に気づかなくてはならないと思っている。
つまり「経験の時代」とは、「自ら経験して学ぶ(時代)」である。
今回も「旅の空」の動画を創った。
80年代、90年代に追い続けたボクサーの思い出の1分間。
【旅の空XXV 浜田剛史の日々 episode 03】1986年7月24日。
両国国技館でWBC世界スーパーライト級王者39勝37KOのレネ・アルレドンド(メキシコ)に挑み、1R、3分9秒KO勝ちを収め世界王座奪取。
あれから40年が経とうとしている。
今も浜田に会うとあの凝縮された濃く、そして熱い時が蘇る。





