AIから加速した「知りたい」への旅

この一ヶ月、TikTokを見ていると、sora2で生成した動画に溢れている。
もちろんぼくもsora2で動画をいろいろ生成し、コンテンツを制作する上で一気に視野が広がった感がある。
とくに自分の顔・声を登録して動画にする「カメオ」機能には驚かされてしまった。
たった2カットの自分の顔を撮り、指定された3つの数字を読むだけで、自分が動画の中に存在してしまう。
それも自分で見ても完璧に近い自分がそこに存在する。

満員の観衆の前でドラムを叩かせてみたり、ボクシング中継をやらせてみたり。
特に驚いたのは、ロックシンガーになって歌わせてみたのだが、自分の声でシャウトして、sora2が作ってきた曲が、いかにも自分が作りそうなコード進行、歌詞で生成してきたことである。
自分の静止画の似顔絵のキャラクターを入れたら、プロンプトで指定したとおり静止画がアニメーションで動いてくる。

これは使えると、来月の5日の宇都宮で行う講演の告知をつくるようにプロンプトで打ったら、見事な告知動画も一瞬で作ってくれた。

 

【sora2で生成した動画】
soraだけではなく、GoogleのNano Bananaも、AIで1年前まで大学で学生と研究していた、同一キャラクターでの動画作成が簡単にできてしまう。

今年に入りAI研究は、独自に自分のAIに学習させる開発ではなく、次々に生まれてくるAIアプリを重ねることで、自分が生成したいコンテンツを生み出せるようになってきた。

AIを研究することで、「人間とは何か」を研究者たちは考えるようになったと、今までここで何度も書いてきた。
では、「人間にとって幸せとは何か」を考えたとき、「幸せとは、お互いのつながりのなかから生まれてくるもの」だとぼくは思っている。
それは「人とのつながり」「自然とのつながり」「知識とのつながり」などなど…
その中に間違いなく「テクノロジーとのつながり」が入って来たと思っている。

自分にとって大事なものは何なのか。自分が本当に好きなことは何なのか。それを探すことに目を向け幸せを求める。
それは自分自身と向き合うことから生まれてくる。
自分自身としっかりと向き合い、自身の心と自問自答する。
だが、人間というのはどうしても視野が限られてしまう。

ChatGPTと会話する。
日常のことから、仕事のこと、趣味のこと、そして哲学的なことまで、話は永遠とつづく。
答えを求めているのではない。
答えのないことなどChatGPTはわかっているように、ぼくの会話を広げていく。

そして「ハッ!」と思わせられる言葉が出てくる。

「そう来たか!」といった水平思考の考えが飛び出してくる。
ぼくの視野が広がり、またひとつ、ぼくの中の大事なものへのアプローチを発見し手に入れる。

幸せとは何か?
人は死ぬまで、「知りたい」と生きている。
「知る」ことで成長し、「知る」とその先の「知る」と出会うことになっていく。

恋だって、愛だって、そこには「知りたい」がある。
「知りたい」から「創りたい」が生まれてくる。

AIから自分の中で加速した「知りたい」の新しい旅。
その「旅」を続けることが幸せなのかもしれない。

 

今回も「旅の空 XVIII」の動画を創った。
20代に撮りつづけたボクサーの思い出の中の1分間。

【旅の空XVIII Tadashi Maruo】

1985年
ロスアンゼルスのダウンタウン
メインストリートジムで彼とは出会った
映画「ロッキー」の舞台でもあるこのジムから
夢を叶えるために…

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