自分が「やりたい」と思ったことには、必ずそこに自分の中から湧き出た「アイデア」があるから、「これでチャレンジするか!」という思いになる。
これはだれでも経験していることだと思う。
だが、自分のアイデアで生きて行ける人間と、いけない人間がいる。
99%の人間がアイデアは沸くが、そのアイデアで生きてはいけない人間だ。
では、そのの差はどこにあるのか?
99%のアイデアで生きれない人たちも、数千通りの優れたアイデアが湧き出たにかかわらず、その人たちはそれを実行しない。
一方、アイデアで生きることのできる1%の人たちは、アイデアを必ず行動に移している。
同じように、不幸な人と幸福な人、失敗した人と成功した人、その違いはいったいどこにあるのだろうか?
そう、簡単なこと。
「実行力」
それは人間に生まれ持った才能などではない。
今まで世界を相手に、頂点に上り詰めたスポーツ選手、マンガ家、アーチストたちと、何人も会ってきた。
もちろん「天才」たちである。
だが、その「天才」は、ぼくがいつも学生に言っている「だれにでもできることを、だれにでもできないだけやる」ことで手に入れたものだ。
その「だれにでもできる」ことを、「やりたい」とすぐに実行した。
それがなければ、当たり前だが「天才」は生まれていない。
そう、すべては実行するかどうかの違いだけ、ただそれだけだと思う。
人間の差など大して違いなどないし、生まれ持った差があってもとくに現代は、テクノロジーがそれをカバーする時代に今はなっている。
そうなると、やりたいことで生きる人間は「実行力」があるかどうかで決まるというわけだ。
「実行力」を持てば、なにより世界が広がっていく。
何人もの人たちと知り合え、いくつもの世界中の美しい世界に触れることができる。
生きている中でどれだけの「出会い」があるか…
人であれ、風景であれ、知識であれ、哲学であれ…
その出会いが「しあわせ」の大きさだと、年齢を重ねたことで感じている。
大学で学生たちをみていると、スマートフォンをいじりながら、知りたいことを知ったつもりでいる。
実際に見たことも、触ったことも、味わったことも、人間の感じる空気感をまったく知らないで、知ったつもりでいる。
AI時代、「人間とは何か?」を考えたとき、人間が生きるということは「経験」、つまり行動することで人間が人間として生きることの喜びや、苦しみや、悲しみと出会っていくのが人間だと感じる。
今、ぼくの研究はAIを研究することで、「人間」を研究することになっている。
ならば、AIを使うことで、ぼくたちのまだ知らない、人間という「宇宙」を探ることはできないか…
最近の自分の研究テーマである。
今回も「旅の空 XV」の動画を創った。
20代に撮りつづけたボクサーの思い出の中の1分間。
【旅の空 XV Ozaki Fujio】
静かな男だった。
彼に話しかけると、いつも静かに笑みを浮かべていねいに答えてくる。
だが、ボクサー尾崎富士雄は違った。
カメラのファインダーから見える尾崎の顔はいつも叫んでいた。
闘志が叫びとなって、その瞬間がフイルムに焼き付けられている。





