ChatGPTと「疑問を育てる」対話

最近、ChatGPTと会話をしていると、その後に禅や仏教の本を読んでいる自分に気づくことがある。
結局ぼくは、AIを使うことで「人間とは何か?」という問いを追い求めているのかもしれない。

「目的」を持って使えばわかることだが、ChatGPTは単なる「便利な道具」ではない。
Google検索のように、ただ答えをくれる存在ではないのだ。

ChatGPTは「疑問を一緒に育ててくれる存在」だと感じている。
漠然とした思考を言葉にして投げかけると、それに対していろいろな角度から応答が返ってくる。
そのやりとりの中で、ぼんやりしていた疑問が少しずつ形を持ち、広がり、深まっていく。

重要なのは、「答えを知る」ためではなく、「答えのないものを考える」ために使うこと。
人間は本来、明確な答えのない世界を生きている。
だからこそ、思い浮かぶ疑問を丁寧に扱いながら、自分自身の思考を深めていく必要がある。

たとえば、今こうしてPCに向かい、なぜ自分はブログを書いているのか?
なぜ、仕事でもないのに「書きたい」と思うのか?
そんな思いが頭をぐるぐると巡る。

そこでChatGPTにこうした疑問をぶつけてみた。
すると、こんな言葉が返ってきた。

〝そういう気持ちってすごく自然だし、多くの人が感じることだよ。
ブログを書くという行為は、自分の考えを整理したり、誰かと共有したり、単純に表現を楽しむためのものでもある。

一方で「これって意味あるのかな?」「本業でもないのに時間を使ってていいのかな?」といった不安が湧くのも自然なこと。

つまり、自分の行動に意義や自己成長を見出したいという欲求があり、ブログを書くことで仕事とは違った充実感を得ているのだと思う。

こうした感情を大切にしながら「自分はなぜこれを書いているのか」を振り返ることで、より自分らしい意味や目的を見つけていけるはずだよ〟

このように、ChatGPTとの対話を通じて、漠然としていた疑問が整理され、輪郭がはっきりしてくる感覚がある。

結局、「答え」は外から与えられるものではない。
人間の中、自分の中からしか生まれない。
ChatGPTは、その内側の言葉を引き出すスイッチのような存在なのだ。
今、ぼくは禅や仏教の「自分の中で考える」問答に近い形で、ChatGPTを活用している。

実は上の文章は、ぼくが思いつくまま、上のような疑問をぶつけるように文章を書いたものを、ChatGPTに「わかりやすく、伝わるように整理して」といって、自分の考えをまとめてもらったものだ。
面白いのは、自分の文体、リズムもちゃんと残し、整理しわかりにくい言葉は、わかりやすい言葉に変換しまとめてくれている。
ちなみにタイトルもChatGPTが考えてくれている。

「人間とは何か?」
今まであまり考えなかったこの疑問を、AIによってこれからだれもが考えることになると思う。

今回も「旅の空」の動画を創ってみた。
20代に追いかけつづけたボクサーたちの写真を、思い出の中で1分間にまとめてみた。

今回は畑中清詞との思い出。

旅の空 XII
kiyoshi

清詞と出会ったのは、彼が高校を卒業してすぐの19歳だった。
世界チャンピオンになるには、名古屋という地方で世界を目指すのは無理だと言われていた時代である。
だが清詞は名古屋で世界を目指し、そして名古屋で世界を奪取。
そして名古屋初の世界チャンピオンになった。

 

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