デジタルは何のためにあるのか?

2020-9-30

オンラインでの日々が日常になっている。
会議も講義も、今まで対面で行ってきたことのほとんどがオンラインな毎日だ。

テクノロジーによって便利になったからだけではない。
人の意識が変わったのだ。

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考えてみれば昨年の今ぐらい、2020年の春から中国の大学での研究が始まることで、中国から遠隔でのオンライン授業、またe-learningを使っての授業を考えていた。
だが、大学側からは、オンライン授業、e-learning授業は、単位授業としては認めないと、もっと言えば、e-learningとは何かすらわかっていなく、「田中がまた変なことをやろうとしてる」としか、受け取られなかった。

それが今年に入り、パンデミックになると、世界中の大学がオンラインで授業をはじめ、e-learning、c-learningと騒いでいる。

世界が騒げば、「みんながやっている」ことが「いいこと」の常識となる日本は、もちろんどの大学でも取り入れるようになっている。

ぼくがオンラインを取り入れようとしたのは、もちろん海外にいて、日本での授業をどのようにやっていくか。
そこでデジタルハリウッドなど、e-learningを取り入れている大学と相談し、システムを見せてもらうことで「これはいい」と確信したからだ。
その確信というのは、「デジタルは何のためにあるか」という本質が、見せてもらった教材にあったからである。

ではデジタルの本質とは何か、実は大半の人たちがわかっていなかったのかもしれない。

たとえばマンガを例に挙げよう。
ここ10年で、Comicstudio、CLIPSTUDIOと、プロもアマチュアも、マンガを描くものにとっては手放せないソフトになってしまった。
もちろん、デジタルになり、今までできなかった表現ができるというのもある。
だが、一番のデジタルの「本質」は「時間」ではないだろうか。

今まで何日もかかっていたことが、数時間でできる。
今まで何人ものスタッフが必要だったことが、一人で制作できる。

ものを生み出すに一番必要なことは、「リアル」だと思っている。
そのリアルは、頭の中だけではできない。
空気感、感触、匂いなど、生命を感じる「心」を揺さぶる経験がなければ、生まれてこない。
ものを生み出すというのは、「作る」とは違う、デジタルとは対局の場所にあるものだ。

ほとんどの人は、マンガを描くというのは、机にしがみつき、ずっと原稿用紙に向かっているイメージを持っていると思う。
だが、そのイメージはなぜ付いたのか。

描くという作業に「時間」が奪われるからだ。
その描く時間を、デジタルによって短縮することで、リアルの時間を増やすことができる。

ものを生み出すために一番必要な、リアルに時間を割くことができるのだ。

e-learningも、24時間いつでも勉強でき、わからないことは何度でも繰り返し勉強できる。
つまり、知識を得る時間を、自分のペースで学ぶ。
そして、大学の本質である「考える」、つまり研究のための「時間」、リアルを知識を持って想像し、創造する。
その時間を生み出すためのe-learningなのだ。

人は生命である。
生命はリアルの中で生きている。

だが人間は忙しくなりすぎた。
産業革命が起こり、発展という奢りのもとで自然破壊をつづけてきた。
マンガだって、発行部数で自慢しているが、森林がその数だか消えていく自然破壊を続けてきた。

デジタルによって、「情報」世界になり、GAFAとBATHが世界を動かすことになっている。
2018年の日記で書いたことだが、2000年にUCバークレー校のピーター・ライマンが、1999年末までに、人類が30万年かけて蓄積した全情報を計算したところ、12EB(エクサバイト)。
次の2001年から2003年までの3年間に貯蓄される情報量が、人類が30万年かけて貯蓄してきたすべての情報量12EBを超えたと発表している。
そして2007年には10年前と比べて情報量が410倍になっていると発表され、2018年の統計はないが、1年単位でのエクスポネンシャルで計算してみると、1999年までに人間が30万年かけて蓄積してきた情報量の17000倍に2018年にはなっていたはずだ。

デジタルによって、ぼくらは「時間」をワープさせてしまう情報量の海で溺れかけていたこの時代に、パンデミックは起こり、今がある。

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最初に「人の意識が変わった」と書いたのだが、このパンデミックの中で気づかされたことがたくさんあるのではないだろうか?

通勤という時間は「何だったのか」考え始めている。
都会に住むのも、そこに住まなければいけないという「時間」に縛られていたからだということも、テレワークで気づき始めている。

海が好きなら海の見える家に住み、森が好きなら森の中で生きる。

「デジタルは何のためにあるか」
だれもがそこに「時間」があることに気づき始めている。
情報の波を生み出し、「時間」をSNSなどでワープすることで人を傷つけることもわかっている。

その今の「時間」をどう生かすか。
情報の海でワープされた時間の渦で、泳ぐのではなく、泳がされて生きるのか。
時間は命だということをどうこれから考えるか。

2020年、時代が変わるとともに、大きな分岐点であるのかもしれない。

よりリアルになるか、それともバーチャルが中心になっていくか…
人はどこに向かうのだろうか。

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