2019-12-31
2019年が終わろうとしている。
とにかく忙しい一年だった。
今年を振り返れば、忙しさの根底に、新しい、とてつもなくパワーを必要とする次ぎの段階への準備の1年だったように思う。
段階というのは、ぼくはテンションとよんでいるのだが、「今、生きていると感じる」べく意識の高さの場所である。
それは20代のころ、スポーツを取材しているとき感じたことだ。
取材をしていて、たとえばボクシングの世界チャンピオン、マラソンを2時間10分以内で走る選手、100㍍を10秒を切る選手、無酸素でチョモランマに登頂した登山家、世界を7度制した空手家、150キロを超えるボールを投げる投手…
そういった人間が到達できる限界の場所で闘い、限界を超えた高い意識で生きてきたスポーツ選手は、会った瞬間から「尊敬」しかない。
そして問答無用で憧れる。
だから話を聞きたいと思う。
だから書きたいと思う。
その感情、いや、もっと人間のもつ、だれもが持っているグツグツと身体の細胞がざわつく生命が根底で求めている感覚。
それは何なのか…
ぼくはそれを「生命力の強さ」という言葉で20代のころエッセイなどで書いた。
そう、人は生命力の強さを持つものと対峙すると、ただそれだけで尊敬と憧れを持って細胞がざわつきはじめるのだ。
同じ生命として、その強い生命を手に入れたものには憧れる。
それはスポーツ選手に限ったことではない。
作家だって同じだし、ミュージシャン、役者、組織の中で働く、サラリーマンだって、“その場所”に到達したものからは「生命力の強さ」を感じる。
その「生命力の強さ」というのは、高い意識を持ち上りつづけていく中で、「生きている」存在を、生きている意味を感じ始めたとき、生み出てくる「生きている感触」だと思っている。
「16フィートの真夏」という本を書いたとき、その主人公であるジャッカル丸山選手を現役から引退まで何年にわたって取材した。
目が見えなくなっても、拳が使えなくなっても、ボクシング協会から引退勧告されても、リングで闘うことだけを望み、引退させられたあとも、リングで闘いたいとずっとずっとこだわり続けていた。
「ここしか生きている感覚を持てない」
彼はリングに上がれなくなったときから、リング以外では生きている感覚を持てないことにもがいていた。
ボクシングは生死のやりとりである。
リングに上がるときは、ボクサーは「死」をつねに覚悟する。
そこで闘ってきたボクサーは、その「死」を覚悟した高いテンションの中でしか、「生きている感覚」を感じなくなってしまう。
死のない日常には生がない。
死があるから、生が輝くのだ。
そう、命を賭けて闘うものは、死がリアルでなければ生を感じなくなってしまう階段を上ってしまったのだ。
本当は人は本来そのことには気づいている。
人は必ず死ぬ。
いや、生命は必ず死を迎えることがわかっている。
だが、ほとんどの人はそれを見ないふりをして生きている。
本気で生きたら、テンションの階段を上らなければならなくなるからだ。
このままでいい…
だが、生命は必ず死を迎えるのだ。
ならば「生」を感じるためには、とことん生きると決めたならば、テンションの階段を上っていくしかないはずなのだ。
その階段を一段上れば、もう、今まで生きた場所では「生きている感覚」を得られなくなるのはわかっている。
もちろん、上り続けるのは「苦」が無限に続いていく。
「このままでいい」と階段を上るのを辞めるもの、あきらめるものもがきっとこの世の大半だと思う。
だが人は「生」を求めて、とことん「自分の限界の生」を求めて生きる生き物だと思っている。
人は「苦」を乗り越えて手にする「生」は、乗り越えた「苦」の大きさだけ、「生」の喜びを感じることを知っている。
だから階段を上りつづける。
だから「人生」なのだ。
2019年は、次ぎの段階の階段を上るために生きてきた1年だった。
その階段の舞台となるであろう、この1年の走ってきた中国でのことは、このブログでも書いてきた。
ちばてつや先生の元でやってきた大学は、2020年は専任という立場を離れることにした。
もちろん今からも、特任教授の立場で、ちば先生の元でもやっていく。
自由に動き、ある意味フリーの研究家として、作家としてやっていくために、年末も、大学での引き継ぐ人材、eラーニングなど、世界中どこからでも遠隔で講義できるシステムを駆使して、ちば先生には迷惑をかけないよう、来年度抜けても大丈夫なようにしておかなければならなく動いている。
さぁ、どこまで階段を翔けあがっていけるか。
自分の「生命力の強さ」はどれだけのものなのか。
覚悟はできている。